第7話 クロワゼで向き合って3
また様子を見に来ると言って帰ったランディを見送った後、美嘉はランディの置き土産を埋めるべく、ロイクに問われるままに質問に答えていった。
自分の名前を聞かれたら、春川美嘉と答える。
どこからやって来たのかと聞かれたら、日本と答える。
日本はどこにあると聞かれたら、ちょっと困ってこの世界にはないかもしれないと答える。
何歳なのかと聞かれたら、十七歳と答える。
今まで何をしてきたのかと聞かれたら、ずっとバレエをやってきたと答える。
バレエとは何かと聞かれたら、自分がいつも庭でやっている踊りのことだと答えた。
ロイクは美嘉が分からないことや、返答に窮したことは深く聞くことはなかった。答えられることだけでいいと言って、さらさらと紙に書き込んでいく。
書き終わると、その紙は明日持っていくことにしたらしく、ロイクは自分の部屋へと置きに行った。
紙を置きに行ったついでに楽な格好に着替えてきたロイクと一緒に夕食を食べる。
その後はせっかくだからと、少しだけこの国の文字について教えてもらった。
◇
「なぁランディ。妖精が飛ぶ姿はどういう感じなんだろうか」
「畜生誰かこの惚気から解放してくれ」
騎士団での書類仕事のさなか、不意に発されたロイクの言葉にランディは机に突っ伏した。
ロイクは『妖精』の存在をランディに教えてからずっとこの調子だ。調子を崩して仕事が疎かになれば一刀両断してやれるものを、器用なことにこの堅物はきっちりかっちり仕事をこなすので嫌味すら言えないでいる。
ランディに残された道は、ロイクの惚気を延々と聞き流しながら仕事をすることだけだ。
「彼女は毎日飛ぶための儀式をしているらしいが、中々それは実を結ばないらしい」
「飛ぶための儀式? そんなもんがあるんですか」
「お前も見ただろう。彼女は毎日庭に出ては、流麗で可憐なダンスを踊っている。あれは、バレエという妖精の舞踊らしい。そして踊るたびに彼女は『やっぱり飛べない』と悲しい顔をするんだ」
ランディは興味が惹かれたように片眉を器用に跳ねてみせた。
「妖精の舞踊ねぇ」
そもそも美嘉が妖精でないことをランディは確信している。何かを拗らせている堅物と違って、魔術師並みに小技の効くランディは美嘉に魔力がない事を確認済みだからだ。
美嘉本人に証言を元に記載した調査書に書かれていたことは、よく分からないことの方が多い。依然として美嘉の出自は不明なままだが、魔力がないことで彼女の存在の危険性そのものは排除されたと言っても良いだろう。
顔に似合わず脳内お花畑になっているロイクとは違い、ランディはそう結論付けていた。
だからこそ、魔力も何もない美嘉が『飛べる』はずがないことも確信している。
それなのにどうして美嘉は『飛べない』と嘆くのだろうか。
それだけが腑に落ちなかったのだが……その答えを、ロイクが持ってきたようだ。
若干、いやかなりロイクの言動に影響され、美嘉に対する妖精の先入観が強すぎたために思い浮かばなかった感が否めないが。
「どうしてあの子は『飛べない』なんて言うんでしょうかねぇ」
「ダンスを踊りきれたなら、彼女は本来の妖精の姿を取り戻せるのかもしれない。そのためのダンスが踊れないから『飛べない』と言うんじゃないか」
そういうことじゃないんだが。
ランディの心の突っ込みはロイクに届かない。
だがロイクは仮にも騎士団長だ。
合理的な騎士団長は、どんなに脳内お花畑でも本当は理解しているはず。
だからランディはロイクの言葉に突っ込むことをせずに言葉を投げかける。
「それならどうして、彼女は踊れないんですかね?」
ロイクはぴたりと口を閉じた。
ランディはロイクのそんな様子を見て苦笑する。
「団長は、彼女が躍り続ける理由を聞きました?」
ロイクが視線をほんの少しだけ反らす。
じっと見据えているランディは、その些細な視線の揺らぎさえも見逃さない。
「……団長、そうやって事実から目をそらすのも良いんですけどね、あんたはこの国の騎士団長だ。身元不明の女に入れあげるのも大概にしといてくださいよ」
「……だから彼女は妖精だと」
「言い訳はもう良いんです」
ランディはきっぱりと上司の言葉を遮った。
それから今まとめていた報告書をひらひらと振って見せる。
「これ、あんたが持ってきた書類を元に調査した報告書です。あんたも書いてて思ったでしょーが、書いてあること全部でたらめ。結局は身元不明のままで、なんにも解決していません」
ロイクは苦虫を噛み潰したかのように渋面になった。優秀すぎる部下は、時に上司の首を絞める。
騎士団とはいえ、脳筋ばかりではなくランディのような頭脳派だっているのだ。
「……どうすればいい」
「さてねぇ。でも見た感じ、素直そうな子ですし? 嘘ついているとは思えないんですよねぇ……魔力もないから魔術は使えない。んでもって空から降ってきた……初めて出会ったとき、この世のものとは思えないくらいのドレスを着ていたんでしたっけ?」
「そうだ。薄紅色で、小粒の宝石が輝き、裾は雪の結晶のように繊細な折り目をしていた」
「刺客だったらそんなド派手な衣装着るわけないよなぁ」
そんな事は分かっているとでも言いたげなロイクの視線に、ランディは茶色い前髪をかき上げながら飄々と言葉を続ける。
「ま、とにかく。背中には羽もなければ『隷属印』もありませんでした。どこかの魔術師の傀儡でないってことだけが分かれば上々ですね。後は俺の方でもうちょい調査してみようかと思います」
ランディは体を張った自分の優秀さに感謝してくださいね、とにやにやと笑ってやる。面倒事はさっさと処理して他人に押し付けるのが吉だ。
ロイクは深くため息をついた。問題を先延ばしにするばかりでは解決しないこともまた知っているからこそのため息。
妖精の彼女が、自分以外の誰かに見初められてしまうのは想像するだけでも腹立たしい。
羽のない妖精は、ロイクが用意した籠の中で、伸ばす羽を忘れていればいいのだから。
決心したロイクはランディへと指示を出す。
「……明日、陛下に謁見を申し入れる。ミカは連れて行かないから、そのつもりで」
「はいはい、過保護なことで。あーもー、仕事増やしやがって……」
面倒そうに返事をしながら、ランディは幾つかの書類を片手に部屋を出ていこうとする。身元不明の少女の調査に加え、これから最速で謁見までの根回しをしなければならないとはとんだ重労働だ。
「もう一度確認しますけど、手放す気は無いんですよね?」
「もちろんだ」
「彼女が飛べるようになっても?」
「……彼女は二度と飛べない。飛ばさせない」
断定してみせたロイクに、ランディは皮肉めいた表情で笑った。
もしかしたら、この堅物は最初から何かに気がついていたのかもしれない。
きっと本人も明確に言葉に示すことはできていないから、こうやって遠回しにランディに違和感を伝えているのだろう。ロイクの第六感というものは信用に値すると、補佐官のランディは誰よりも知っていた。
その上で美嘉を囲うための布陣を淡々と敷いているのだとしたら、末恐ろしい。
きっとロイクは、美嘉の前では『よい人』に違いない。
だがロイクという人間は仮にもこの国を支える騎士団の長だ。
そんな人が多少脳内お花畑になったところで、根本的なところは変わらないらしい。
口下手だが頭の切れる団長は、何をすれば自分の欲しいものが手に入るのかが、やっぱり分かっているのだ。
妖精は飛びたがっている。
その上で、妖精と呼ぶ少女が持ちえない羽をもごうとする、悪い男なのだ。
「それじゃ、根回し行ってきます」
「頼んだぞ」
はいはい、とランディは軽く返事をして部屋を出ていく。
妖精……もとい美嘉もまた、こんなねちっこい男に目をつけられて可哀想だと思いつつ、恋ってものは人を変えるものだなぁと感心した。
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