[SS]No.2 窓辺で詠う、ある日の放課後
――ポツッ。
誰もいない、放課後の教室。窓の近くに並べられた机のひとつに腰掛けていると、不意に水滴がベランダの手すりを打った。
「あちゃー、降ってきたよ」
そんなつぶやきを吐いている間にも、水滴は数を増し、勢いを増し、地面に向かって落下し始めた。後はもう、為すがままの土砂降り。
ザアァァァッ……と降り頻る雨の音色に耳をすませながら、記憶の引き出しに手をかける。
「雨ふらば、紅葉の――」
――ガラッ。
引き出しが開き始めたその時。耳馴染みのある引き戸の音が耳を衝いた。
「……なんだ、まだいたのか」
ぶっきらぼうな言葉が教室に響く。男子なのに、声はそんなに低くない。成長途中、といった感じだ。
「まぁね」
私も同じように、素っ気なく返事をしてから、入り口の方を振り返る。
そこには、予想通りの彼がいた。
クラスメイトの、小柳彰だ。
高校生男子にしては小柄で、少し野暮ったい髪の毛。スポーツとは無縁の体つきに、ちょっと怖い切れ長の目。持ち前の無愛想な態度と合わせれば、あんまり友達がいないのも頷ける。
「おい、なんか変なこと考えてるだろ」
おっと危ない。
「いや〜、まさかまさか」
私はおどけたようにひらひらと手を振った。バレたか。相変わらず洞察力はあるなぁ。
「……まぁ、べつにいいけど」
私の態度には特に気を留めることもなく、彼はそれだけ言って教室に入ると、早足で自分の席に行き腰を下ろした。
そこからは、無言だった。
私は窓の外を見つめ、彼は読書に耽った。
聞こえるのは、相変わらずの雨音のみ。
しかしそれは、なぜかさっきよりも遠くに聞こえた。
「……ねぇ、何読んでるの?」
私は右斜め後ろの席に向き直ってから、世間話をするように尋ねた。
「……なんでもいいだろ」
読書の邪魔をするなと言わんばかりに、彼は鬱陶しげに私を睨んできた。おー、怖い怖い。
「えー、いいじゃん! 教えてくれても!」
全く感じてもいない恐怖を受け流しつつ、せがんでみる。こうすると、彼は教えてくれるんだよねー。
「……小説」
お、やっぱり教えてくれた。なんだかんだいって、彰の性根は優しい。ちょっとまだ押しが足りないようだけど。
「いや、それはわかってるよ。文芸部なんだし。その小説のタイトルはなんていうの?」
「秘密だ。てか、そういう小百合は古典部なんだし、次のコンテストに向けて短歌でも考えたらどうなんだ」
あちゃ、操作ミスか。
彰のもっともな正論に、私は苦笑いをした。
私は古典部なる部活に所属している。理由は単純明快で、短歌が好きだからだ。それとは別に陸上部にも所属しているが、専ら好きなのは走ることよりも詠うことだ。
次のコンテストの応募締め切りは明後日。それまでに、私は渾身の一首を詠まないといけない。
「じゃあさ。そのヒントになるかもだし、タイトル教えてよ」
「しつこいな。なんでそんなに、この小説のタイトルにこだわるんだ?」
また痛いところを突いてくる。そんなの、面と向かって言えるはずない。
「……秘密」
「よし。交渉は決裂ってことで」
そう言うと、彼は視線を本へと戻した。青色のブックカバーはだいぶ擦り減ってはいるものの、さすがに目を凝らしてもタイトルは見えない。
「そのブックカバー、まだ使ってくれてるんだね」
なんだか悔しくなって、思わずそんな言葉が口をついた。
「…………まぁ、まだ使えるから」
彰は視線をそのままに、それだけ答えた。見ると、少しだけ頬が赤くなっていた。
それは、小学校の頃から本が好きだった彰の、七歳の誕生日にあげたプレゼント。
まだ私たちが思春期の微妙な距離感に戸惑わずに遊べていた頃にあげたもの。
「ねぇ、雨が止むまでいるよね?」
今度はちょっぴり嬉しくなって、私はついそんなことを聞いていた。
「……そのつもり」
「そっか」
家が反対方向じゃなければな、なんて思ってしまう。この教室を出て、階段を降りて、生徒玄関で靴を履き替えたら、バイバイだから。だから、もう少しだけ……――
「ナガメ」
私がぼんやりと雨に濡れた街を眺めていると、不意に彼がつぶやいた。
「え?」
「本のタイトル。長い雨って書くけど、読みはナガメ。古典部なら、その辺りは知ってるだろ?」
本そのものは全く聞いたことのないタイトルだったけど、「長雨」と「ナガメ」なら確かに得意分野だ。
「あっ!」
その時、雷が降ってきた。もちろん、小雨になっている外で鳴ったものではない。
「……やれやれ。大丈夫そうだな」
「ふふっ、もちのろん! ありがとね」
おかげで、応募する歌が決まった。
「ああ」
遥か先、彼方まで続く街並みと秋の曇り空を見つめながら、私は詠う。
「窓の外」
本当は、もっと一緒にいたくて。
「ふりてなやみそ」
突然できた心の距離に、落ち込んだりもするけれど。
「ながめては」
でも。やっぱり私は、君といる時間が――
「秋風香る」
――好きなんだ。
「光芒と虹」
ふわりと舞い込んだ風に乗せて、視線を彼へと向ける。すると、パラパラと彼の手元でページが音を立ててめくれていた。
「どういう意味だ?」
「ふふっ。それはね……――」
精一杯の笑顔を彼に向けて、私は応えた。
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読んでくださり、ありがとうございました!
本作のラストで小百合が詠った短歌の意味が気になる方は、野暮な解説を下記近況ノートでしておりますので、ぜひ。
https://kakuyomu.jp/users/tatsuuu/news/1177354055010791813
※注:繰り返しになりますが、本当に野暮です。
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