二輪・自転車安全日
~ 十二月十八日(金)
二輪・自転車安全日 ~
※
まるで芝居のように、
激しく移り変わる
恋敵と思っていた相手だ。
よっぽど葛藤はあっただろう。
でも、なんとか王子くんからの電話に出てくれた先輩が話してくれたこと。
それは。
決して後ろ向きな話ではなく。
むしろ。
これ以上ないほど前向きで。
「すごい……、ね? 愛の力?」
「でも、やっぱ寂しいよ。こんちゃん先輩と、もっと一緒に舞台に立ちたかった……」
「そう思うんなら、西野も来ればいい」
もともと短めの髪を。
ワイルドに刈って。
OL風な印象から。
アクトレスへとすっかり変貌を遂げた今野先輩。
小さな旅行バッグ一つを手に。
学校から二つ先の駅前で。
二学期の終業式の後。
たった三人に見送られて。
今、東京へ旅立とうとしていた。
「……僕の芝居は、学生の間だけ。多分、卒業したら、趣味で続けることも無いと思う」
「そうか。……残念な反面、安心した、かな」
王子くんの芝居の腕を認める先輩の顔と。
未だに恋敵と感じている女子の顔。
相反する二つの気持ちを表しているのだろうか。
白く凍るほど冷たいはずの彼女の頬が。
熱を帯びたように赤く染まっていた。
ちらつく
小さな駅舎の庇を濡らす。
行き交う車がはね上げる水に。
冷たい重みが混ざり始める。
このまま降り続ければ。
夜には俯いて下を向いて歩くことになりそうだ。
雪に隠れた歩道の位置と。
先輩の笑顔を思い出しながら……。
「西野、ありがとうな。部の連中とかクラスのみんなとかに囲まれたら気まずいなって思ってたから」
「い、いえ……。でも、ほんとにこんな見送りで良かったんですか?」
「そもそも一人で行こうって思ってたんだ。盛大なくらいだよ」
そう言いながら、少し輪郭がぼやけ始めた駅舎へ振り向く先輩の横顔から。
一人で行こうと思っていたという言葉を。
鵜呑みにするわけにいかないほど弱々しいため息が漏れる。
下北沢の安アパートから始めて。
プロの役者を目指すといういばらの道。
目指すは、遥か彼方に眩しく輝く。
スポットライトを浴びる未来の姿。
でも、今の彼女が望むのは。
そんなまばゆい栄光ではなく。
もっと近くの。
まるでろうそくの炎のような。
柔らかく揺れる。
たったひとつの。
あたたかい光。
「来なかった……、ね」
秋乃が、俺だけに聞こえるよう。
気を使って耳打ちしたんだが。
「そりゃそうよ。だって、まだプロの役者じゃないんだから」
聞こえちまったらしく。
こっちに振り返らないまま先輩は語る。
姫くんが。
彼女にするならと公言した条件。
それは。
プロの役者であるということ。
プロではないものの。
彼女だって立派な演劇部員。
役者だという事を前提に考えれば。
もっと早く気づけるはずだった。
この、明るい声の裏に。
深い悲しみと。
熱い決意が隠れていたことに。
……そんな先輩の頬が。
冷え切った白さを俺たちの側に向ける。
視線の先には、たった一つの望み。
二十分後。
彼女が旅立つまでの時間内。
最後の下り電車がホームへと近付いてきた。
明け放しの駅舎のドア向こう。
かすかな期待を胸に。
誰もが見つめる反対側のホーム。
その視界を遮るように電車が止まり。
早くどいて欲しい。
いつまでも行かないで欲しい。
二つの想いで待っていると。
ぎしりと動き始めた車両が。
過ぎ去った後には。
……無人のホームだけが。
俺たちを待っていた。
線路を。
今。
渡っているのかも。
駅舎の影から。
声をかける。
機会をうかがっているのかも。
電車が去ってからも。
俺たちは。
先輩は。
いつまでも。
いつまでも。
雪の舞い散る、白と黒だけで描かれた無機質な景色を。
ずっと見つめ続けていた。
……もちろん。
姫くんに、先輩のことは伝えた。
でも。
あいつがここに来ることは無かった。
すべては、先輩が。
役者になってからということなのか。
それとも…………。
ずっと、彼だけがいない世界を見つめ続けていた先輩。
彼女の目尻に雪が落ちる。
すると、氷の温度に冷え切っているはずの彼女の頬で。
雪の欠片はとけて流れて。
あご先から一滴。
世界で一番冷たい結晶になって。
足下に。
ぽつりと。
砕けて消えた。
……その時。
背後から響き渡る。
甲高いブレーキ音。
乱暴に自転車を倒す音に振り返れば。
「お前……っ!」
「も、最上君……」
まるで雪中の溶鉱炉。
音を上げて吐く息が。
姫くんの顔を白く包み隠す。
そして俺たちに目もくれず。
旅行カバンを取り落として息をのんだまま動けなくなった先輩に。
喉が切り裂けるほど激しい呼吸のまま近づいて。
ふらふらになった体を。
彼女の肩に手をかけて何とか支えると。
「ぜへっ! ぜへっ!」
そのまま、しゃべることもできずに。
涙を流す先輩のことを、いつまでも見つめ続けた。
呼吸が落ち着くまでどうしようもないが。
いても立ってもいられないって気持ち、よくわかる。
わかるけど。
いてえよ秋乃。
手首に掴まってそんなに力入れるな。
血、止まってんだけど。
そろそろ指がしびれて来たんだけど。
「ぜえ……。ほ、本気……、なんだな……」
「ずっと、本気だったんだけど。……ようやく伝わった?」
二人の会話はそれっきり。
お互いに、きっと言いたい事は沢山あるはずなのに。
じっと見つめ合ったまま。
動かない。
……でも。
時間だけは確実に流れていて。
二人に積もる雪だけが。
タイムリミットが迫ることを伝えようとしていた。
そんな声に。
先に気付いたのは先輩の方。
肩から力を抜いて。
姫くんに積もった雪を払ってから。
旅行カバンを手にすると。
「役者に、なれたら、連絡するから。……だから、できればそれまで、待っててほしい、かな」
一言一言。
選ぶように。
手繰るように。
なんとか紡いだ、精一杯の言葉を。
「いや、その願いは聞いてやらん」
姫くんは。
ばっさりと切り捨てる。
……やはり。
姫くんの気持ちは決まっていたのか。
誰もが落胆した。
長い長い一瞬の間をおいて。
生真面目な役者馬鹿の言葉は。
意外な道を走り出す。
「役者になる前もだ。毎日、連絡は寄こせ。芝居についての話をしてこい」
そして、大きく息を継いで。
先輩の肩を改めて掴み直すと。
「芝居と関係ない話には返事はしない。でも、別に送ってくれても構わん。全部読んでやる。だから、連絡を……、いや、そうじゃなくて……」
目を丸くさせた先輩を前に。
姫くんは、頭を盛大にかきむしって。
ちがうんだとか。
そうじゃないとかつぶやいたかと思うと。
「……俺は、役者希望じゃないが芝居の道を進みたい。必ず東京に出る。だが、それはずっと先の話だ。それでもいいなら……」
そして。
別れを告げる車両が軋みをあげながら。
二つの照明で彼らを包み込んだその瞬間。
「…………俺と付き合ってくれ」
冷たいはずの雪が。
白いはずの雪が。
スポットライトに照らされて。
黄金に煌めく花吹雪に姿を変えながら。
二人の前に。
新しいレールが敷かれたことを。
最高の舞台演出と共に。
あたたかく祝福してくれた。
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