マージャンの日


 ~ 十二月十七日(木)

    マージャンの日 ~

 ※躡足附耳じょうそくふじ

  ひとに注意する時は

  誰かに聞かれないように

  その人を傷つけないように




「……西野さんから、メッセージ」

「なんだって?」

「今野先輩、しばらく学校に来てないって……」

「まじか」


 今野先輩とは。

 昨日、デパートの屋上で会ったばかりなのに。


 もしその情報を先に掴んでいたら。

 相談に乗ることが…………。


「いや、俺たちが先輩の悩みをどうこうできるなんて考え、おこがましいか」

「う、うん。多分役に立たない……」


 今日は珍しく早起きしたからという理由で。

 俺を巻き込んで、三本も早い電車で通学中のこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 東京と違って。

 こっちの三本。


 つまり、一時間半も早く歩く通学路。


 学校までの道のりも。

 さすがに、いつもとなにか違って見える。


 それが時刻のせいなのか。

 寂しい気持ちのせいなのかは。


 分からないけど、な。


「なんだよ。結局、悩んだまんまだったのか」

「そ、そうは見えなかったけど……」

「さすがは役者ってことか」

「うん。…………あれ?」


 秋乃は。

 俺と思考の速度が全く同じ。


 だから、お前が疑問に思ったことに。

 俺も同時に気付いたわけで。


 さらに。


 何も言わなくても。

 俺が気づいたってことを、秋乃も分かってる。



 ……王子くんは。

 演劇部とは言え、心境を素直に顔を出す人だ。


 でも。

 姫くんはどうなんだろう。


 迷惑そうに先輩を遠ざけていた姫くん。

 あの姿は。



 本心なのか。

 それとも芝居なのか。



 思考の海を泳ぐように。

 ふわりと足が浮つく道に。


 散らばる氷の欠片が。

 ぱきりと小気味よく目覚めの声を上げる。


 冬。

 早朝の田舎道。


 すがすがしさと。

 寂しさを共存させた世界。


「……たつ、保坂君」


 先輩の、屈託のない笑顔を思い浮かべながら。

 吐いた息から生まれる氷の粒を眺めていたら。


 いつものように。

 右袖がくいくいと引かれた。


「ん? なんだ?」

「男の子、泣いてる……」

「どこ」


 まだ、早朝とは言え。

 学校の周りにはそれなり民家も建ち並ぶ。


 子供がどこかで遊んでいてもおかしくは無いんだが。


 泣いてるとなると話が違う。


「お前、よく気が付くよな、こういうの。……で? どこ?」

「こっち」

「お前、ほんと苦手だよな、こういうの。……押すなよ」


 助けたい。

 でも子供は苦手。


 俺なら悩むレールの切り替えを。

 こいつはあっさり。


 俺に押しつけるという見事な解答を出して背中を押す。


 ……しかしいやはや。

 こんな小さいすすり泣き。


 ほんとよく気付いたな。



 枯れた畑に背高ススキ。

 二つに割った畔の先。


 膝を抱えて。

 腿まで真っ赤にさせた半ズボンが。


 ちいさく鼻をすすっていた。



 ……俺たちに気付いて。

 ちょっと体を強張らせたけど。


 凍っちまった鼻の下を拭いもせず。

 そのままじっと、俺たちを見上げてる。


 さて。

 泣いてる事情を探るためにも。


 まずは話のきっかけを作らねえと。


 俺は、秋乃笑わせ用に作ってきた。

 キャラメルを鞄から取り出した。


「……ちょっと硬くなってっから。口ん中で柔らかくなってから噛めよ?」

「くれんの?」

「ああ」


 箱の中。

 十三個入れたキャラメルのうち一つを口に放り込むと。


 男の子も慌てて手を伸ばす。


 ちきしょう。

 これ彫るのに三時間もかかったんだ。


 しっかり味わって。

 そしてとっとと白状しやがれ。


「お前、なに泣いてんだよ」

「だって……」


 まだ硬いんだろう。

 口の中でキャラメルをカラコロさせたきり黙り込む男の子。


 でも、秋乃にハンカチで鼻を拭かれてるうち。

 ようやく話し始めてくれた。


「ぼく、おへやのおばけとたたかってたの」

「は? ……あ、いや。……おお、それで?」

「あのね? まどからわるいおばけがきたから、ゲキメツ・ブレードで、アクをきってたの」

「地元住人に大人気!」


 まさかのご縁に口あんぐりな俺をよそに。


 男の子は。

 そのまま夢中で武勇伝を語りだす。


 ……ああ、なるほど。

 朝から、棒振り回して。


 やらかしやがったな?


「で?」

「ん?」

「結局、なにやっちまったんだよ」

「……おかあさんにあたっちゃった」


 あちゃあ。

 そりゃあまいったな。


 叱られてへこんで。

 でもそれ以上に。


 自分がしでかしたことが悲しくて。


 悲しくて。


 悲しくて。



 ……どうにも、昨日から。

 子供とセイギマンに縁があるみたいだが。


 俺は苦手なんだよ。

 子供も改造人間も。


 躡足附耳じょうそくふじなんて。

 器用な真似できねえから。


 思ったまんまを。

 そのまま言ってやる。


「……お前がやったのは、悪いことだ」

「でも、ぼくはあくをたいじしてたの」

「男が『でも』って言うんじゃねえ」


 俺が。

 散々お袋から言われてきたことを口にすると。


 男の子は口をへの字にキュッと結ぶ。


 ……懐かしい。

 俺も、よくそんな顔したもんだ。


「じゃあ、言い方を変えよう。お母さんを叩いたのは、善か悪か」

「…………あく」

「だったらこんなとこで膝抱えてる場合じゃねえ。一つ悪い事したら、良いことを五個やらねえといけねえ」

「……うん」

「今すぐ家に帰って、今日のうちに五個、お母さんの手伝いをするんだ」

「でも……」


 また言いやがった。

 お袋ならここで烈火のごとく怒りだすんだが。


 自分が同じ体験してきてるからな。

 お前が何を躊躇してるのか、よく分かるぜ。


「……お母さん、もう怒ってないから」

「ほんと?」

「怒ったふりしてるだけ。でも、良いこと五個やるまでは笑顔にならないぞ?」

「じゃあ、いいことしてくる!」


 男の子は、そう叫ぶなり駆け出して。

 畔から畑を横切って行っちまった。


「なんだよ。礼もバイバイも無しか」

「で、でも……、よかった、ね?」


 ハンカチをしまいながら呟く秋乃の、心からの笑顔。


 そんなの、駄賃にしちゃ貰い過ぎだから。

 こいつをあげてバランスとろう。


「……キャラメル? くれるの?」

「よく見ろ」

「ま、麻雀パイ……。彫ったの?」

「果物ナイフで」

「こまか……」


 うまいタイミングで使って。

 お前を無様に笑わせようとした国士無双十三面待ち。


「た、食べるのもったいない……」

「だったら、唯一手間がかからなかった『白』を食えばいい」


 しつこく勧めると。

 秋乃はキャラメルの箱を受け取って。


 デザインを一つ一つ楽しんだ後。

 『発』を口に放り込むと。


 にっこり笑いながら。

 奥歯の方でコロンと嬉しそうな音を鳴らす。


 でも。

 その後、少し寂しそうに俯くと。


「ち、小さな子供……。仲良くしたいのに、苦手……」

「じゃあ、遠くから眺めてりゃいい」

「でも……」

「だから、『でも』って言うな」

「わ、私、男の子じゃない……、よ?」

「あ、そうだった」


 よっぽど気に障ったみたいだな。

 キャラメルしまってない方の頬まで膨らんじまった。


「……悪かったって」

「悪いことしたら?」

「ん? 五個、良い事しろってか?」


 秋乃はにっこり笑って。


 ……からの。


 首を左右に振って。


「悪いことしたら、立ってる」

「うはははははははははははは!!!」


 おもしれえけどふざけんな!

 こんなとこで立たされたら風邪ひいちまうわ!


「冗談じゃねえ。俺は立たねえぞ」

「ちゃんとできたら、ご褒美あげる」

「ご褒美? なに?」

「チュウ」

「ぶっ!? ……な、なんだって!?」


 突然の大胆の晴天の霹靂の。

 正面の栗色の瞳の見つめるの。

 長い髪に掻き上げるキャラメルは箱な持って俺へ見る目はあわわわわ。



 パニーーーーーーーック!!!



「ちゃんとできる?」


 どういうつもりなんだおまえ!

 まさか秋乃!

 俺のことが好きとか!?


 いや、そんなはずはねえ!

 こいつとは友達で!

 でも意識しねえって方が無理っ!!!


「ねえ……」

「た、たた……っ! 立ってるけど!? でも、ご褒美が欲しいとかそういう訳じゃねえし!?」

「そうなんだ。……じゃあ、ご褒美」


 急転直下。

 心臓があり得ない程のビートを刻んで。

 めまいを起こしそうな俺の顔の前。


 秋乃が。



 差し出したキャラメルに彫られた文字。



 『中』



 …………笑うこともできずに。

 俺は畔からよろけて落ちて。


 用水路になってる小川に。

 頭から突っ込んだ。



 ほんと。

 分かっててやってたならタチ悪いし。

 分かってなかったとしたらとんだ小悪魔。


 こんな時期に風邪ひいたら。

 ぜってえただじゃおかねえ。


 可愛さ余って憎さ百倍。

 差し出された手を恨みがましく見つめながら掴んで小川から這い出ると。



「はっくしょ!」



 ん?



「…………なぜお前がくしゃみ?」

「う、うわさ?」

「悪魔みてえな女だって噂されてんだ。きっと」

「そ、そんなこと無い……」

「いいや。きっと今頃、クラスのグループメッセに書き込みが……」


 そんな俺の言葉と同時に。

 秋乃の携帯が鳴ったもんだから。


 こいつ、俺の手を離して。

 今度は尻から冷水にぼちゃん。


 ……絶対風邪ひくわ。


「た、大変……!」

「自分でやっといて何を言う!」

「そ、そうじゃなくて……」


 秋乃が、青ざめた顔で差し出す携帯。

 俺は歯の根も合わないほど震えながら覗き込むと。


 ……その、王子くんからのメッセージを見るなり。


 心まで凍り付くことになっちまった。



 『今野先輩

  昨日



  退学した』

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