クレープの日


 ~ 十二月九日(水) クレープの日 ~

 ※胸中成竹きょうちゅうのせいちく

  あらかじめの見通しと準備




「前にもこんなことあったな……」

「だ、大丈夫?」


 先生に、畑の真ん中に立たされたまま。

 すっかり忘れられて。


 昼飯を食うタイミング無く。

 現在六時間目。


 あとちょっと我慢すれば好きなだけ食える。

 それは分かっちゃいるんだが……。


「くそう、朝メシ食ってねえから耐え切れん!」

「な、なんで朝ごはん抜いてきたの?」


 そうしねえと……。

 三食連続でカレーになるからだっ!


 突っ込みてえのはやまやまだが。

 善意と向上心百パーセント。


 始めて俺に弁当を。

 ……カレーを。


 作ってきたはずの。

 舞浜まいはま秋乃あきの


 当然こいつに。

 文句なんか言えるはずはねえ。


 それに、朝から昨日の余りを食わされそうになったから。

 腹いっぱいだってウソついたのは俺のせいだし。


 自業自得。


 世の中、食いたくても食えねえ人がごまんといるのに。

 同じ食いもんが続いて文句言うなんて。

 そんなわがままなことしてる俺に。

 罰が当たったに違いなぐううぅぅぅぅぅ。


「……だれだ、腹の虫を鳴かせているのは。静かにしろ」


 静かに、じゃねえ。

 高校生男子の食欲舐めんな。


 それに、だ。

 てめえが俺を三時間ちょい立たせたまんま忘れてたからこうなったんだろうが。


 すきっ腹のせいで。

 いつもより五割増しで煮えるはらわた。


 でも、こんなに腹は立っているが。

 大騒ぎするわけにはいかない。


 腹が減りすぎてくらくらしてるから。

 とてもじゃないけどこれ以上立てる気がしねえ。


「じゃ、じゃあ……。隠れてこっそり食べる?」


 そう言いながら。

 秋乃が次々に並べる三つのタッパー。


 でもさ。

 今開ける訳にはいくまい?


「カレーは無理だろが」

「なんで?」

「香りでバレるだろ」


 ああそうか、じゃねえよ。

 ついこの間、異臭騒ぎ起こしたばっかだろうが。


 赤、青、黄色。

 こんなの並べられたら拷問だっての。


「そ、それなら、香りの無いものだけ食べれば……」

「おお、御飯ならいけるよな。そうかそうか」


 腹が減りすぎてると。

 簡単なことも思いつかないらしい。


 俺は早速とばかりに。

 赤いタッパーに手を伸ばしながら。


「カレーはどれだ?」

「青いのがカレー」

「じゃあこれはOKだな」


 もう、レールの切り替えも何もねえ。

 俺はトロッコが通り過ぎていくのを横目に見ながら。

 さっそく蓋を開けて中の物を…………?


「なんじゃこりゃ?」


 平たくて四角い。

 赤いタッパーの中に入っていた茶色っぽい物体。


 ほんのり醤油の香りが漂うそいつを摘まみ上げると。


 ほぐした形跡がなく。

 完全にくっ付いたまま手で持ち上げることができる。

 両面こんがり焼いたうどんが現れた。



 こいつは。

 ……どういうつもりだ?



「どうして焼うどん?」

「ナン」

「うはははははははははははは!!! ……ごほっ! ごっほごほ!」


 やべえやべえ。


 慌てて誤魔化してみたが。

 先生、ぎろりとこっちを見てやがる。


 でも、なんとかおとがめは無し。

 執行猶予を貰えてひと安心。


 そのまま板書に戻ったから。

 俺は急いで醤油味の麺のかたまりを腹に詰め込んだ。


「…………うん。うまい」

「ほんと? …………やった」


 感想を言った後。

 ツッコミを入れようと思ってたのに。


 随分嬉しそうにしてるから。

 まるで文句言えなくなっちまった。


 ちゃんと美味いし。

 綺麗に焼けてるし。


 でも、カレーに向いてるかと言われたら。

 答えはノー。


 もしもカレーに合わせるなら。

 邪魔だったのは、焼いたことと。

 醤油味。



 つまり全部。



 ……世の中に存在する女子のうち。

 料理が出来る子なんて、今時ほとんどいないはずで。


 俺は、将来できるであろう彼女に。

 唯一注文を付けるとしたら。



 袋を開けたらそのまま食べてもお腹を壊さない品。

 それだけを調理せずテーブルに並べて欲しい。



 さて。


 中途半端なもん食ったせいで。

 余計に腹が減って来た。


 ナン? とカレーってことは。

 もう一つのタッパーは。

 トッピングかデザートだろう。


 これだけ食っても問題あるまい。

 俺は、黄色いタッパーの蓋を開けて。



 そして。

 一瞬でふたを閉めた。



「……ん?」

「これは…………」


 途端にざわつくご近所の皆さん。

 すげえ申し訳ない。


 これは。

 カレーの蓋取った方がマシだったかもしれん。


「……どうして納豆持って来たぁぁぁ!」

「ト、トッピングに美味しいからって、お母様が……」


 だからさあ!

 これ以上、においマンとか陰口叩かれたくねえんだよ俺は!


 春姫ちゃんというあらためばばあの前を通らずに。

 箱根の関所を抜けて美濃までたどり着いた出女でおんな


 彼女が持つ独特な香りが。

 教室中に広がって。

 お代官様の鼻まで届くと。

 あっという間にしかめ面。


 孤立無援。

 四面楚歌待った無し。


「…………おい」

「ち、違うんです!」


 でも、そんな有罪確定のお白州の場に。

 秋乃が颯爽と立ち上がる。


「おお! 籠城中に空から補給物資!」

「ま、任せて……」


 とは言ったものの。

 胸中成竹きょうちゅうのせいちくも無かった模様。


 フォローの言葉をわたわたと探して。

 いつまで経っても言い訳を開始せず。


「あの、その……」

「なんだ。どうしてこんな臭いがするのか言ってみろ」


 挙句に。


「たつ、保坂君、今、上履きを脱いだんです!」

「うはははははははははははは!!! 補給物資で天守閣に穴が開いたわ!」


 ただの高高度からの爆撃だよ!

 いたたまれねえわ!



 でも、ただでは転ぶまい。

 俺は青いタッパーとスプーンを隠し持って廊下に出て。


 遅い遅い昼飯にようやくありついたんだが。



 やっぱりこいつの香りは。

 侮るべきじゃなかった。



 ぐう……


 ぐう……



 隣のクラスから聞こえるお腹の音。

 そして同じ階の各クラスが。

 次第にざわつき始めると。


 しまいには。

 校内放送が聞こえて来た。


『えー、現在各クラスの授業を妨害している生徒。至急校長室に出頭しなさい』



 …………俺は、反省文の代わりに。


 高校生の食欲について。

 原稿用紙五枚の論文を書かされることになった。

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