ジュニアシェフの日


 ~ 十二月八日(火)

     ジュニアシェフの日 ~

 ※持粱歯肥じりょうしひ

  ご馳走を食べること

  ご馳走を食える身分になること




「ぐぬぬぬぬ、こいつ……!」

「……待つのだ凜々花。まだ、慌てる時間ではない」

「むきいいいっ! ふんぬううううう!」

「……落ち着け。そのまま破けたら大惨事だぞ」

「このっ! このっ! こちら側のどこからでもアイル・ビー・バック!」


 おろおろと。

 エプロン姿の春姫ちゃんがなだめるのも聞かず。


 今にも沸騰寸前で地団太を踏みながら

 小袋に挑み続ける凜々花の手。


 水が滴る状態で切れるはずねえだろ。

 いいから大人しくハサミ使え。


 そのうち、スパイスが入った小袋を床にたたきつけた凜々花は。

 絶対に子供が真似しちゃいけない指をスパイスに向けて一本立てながら。


「そっちがその気なら、凜々花だってこちら側のどこからでもキレてやるっ!」

「うはははははははははははは!!! こんな料理番組あったらおもしれえな!」

「そ、そして、あらかじめキレた状態にしておいたものがこちらになります」

「うはははははははははははは!!!」


 背後からの声に振り向けば。

 盛大にスパイスの小袋をぶちまけて。

 床とエプロンを黄色く染め上げたこいつ。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 おもしれえけど。

 台無しにすんなお前は。


「……カレースパイスセット、余分に買っておいてよかった」

「ほんとだな。お前はまず、外行ってエプロン叩いてこい」

「ラ、ラジャー」


 俺が掃除機をかけている間に。

 エプロンに飛び散ったスパイスを落とさないように。

 まるでシャクトリムシみてえな動きで外へ出ていく秋乃と。


 いつまでも袋が切れず。

 まるで地面に転がるセミのようにクルクル回り続ける凜々花。


 今日は。

 普段まるでやらない二人の料理大会を開催中だ。



 この大会。

 凜々花は面白そうだからという理由での参加だが。

 発案者は秋乃である。


 今日のレールの行き先は。

 一つは、昨日俺がバカにした、料理が出来ないという話。

 それを気にせずスルーする道。


 そしてもう一方。

 秋乃が選んだレールは。


 妹に教わるという屈辱と引き換えに。

 料理の腕を磨こうという道。


 まあ。

 そうは言っても。


 料理なんて一日で上達するもんじゃねえから。


 俺は、ただの面白日記の一ページになるだけだと思ってる。



「……では、そこで先ほどのスパイスを鍋に投入」

「よっしゃまかせとけい! 悲しくもハサミの力を借りることになったせいで手料理感が一割減った恨みを込めて!」

「……減ってない減ってない」

「せめて、手料理感アップのために手ですくって鍋に入れるべき?」

「……そのびしょびしょの手で、か?」

「くっ付いちった分は、鍋ん中で洗い落とせばあるいは」

「……敵は熱湯だぞ。そんな出汁と悲鳴はいらない」

「はっ!? じゃあ、豚足ラーメンってひょっとして……」

「……今、お前が想像したシェフの体形に対して謝れ」


 春姫ちゃんは難儀しながらも。

 口だけ出して、手は出さず。

 全部凜々花に任せているが。


 こっちのチームは。

 そうもいかない。


「じ、じゃあ、こっちもスパイスを……」

「お前はまだだ。もうちょい煮込んだ方がいい」


 火にかけ始めた時間が違うから。

 もうちょい煮込みスパイスの香りを立ててから。


 だというのに。


「だから。入れようとすんな」

「え、えっと、凜々花ちゃんに負けるわけには……」

「早さで競ってどうする。味で戦え」

「…………いいこと言った」

「そしたら代われよ。ヘラでかき混ぜるの辛いんだぞ?」

「わ、私はスパイスの袋持ってるから両手塞がってる……」


 気付けば。

 八割方俺が作っているわけだが。


 これをお前の手料理と呼べるのか?


 丁寧な料理法まで書いてある初心者向け。

 スパイスセットに書いてある宣伝文句。


 どなたでも本格的なカレーをお楽しみいただけます。


「と、ところでたつ、保坂君」

「おう」

「中火って、具体的には混合液を何度に保てばいいの?」

「そう言いながら温度計出すな。普段どんな薬品に突っ込んでるんだよそれ」

「…………昨日は、火薬?」

「スパイシーにもほどがある」


 一般常識皆無の秋乃は。

 『どなたでも』のくくりに入れないわけで。


 それでも、宣伝文句に偽りなし。

 秋乃は間違いなく。


 俺が作った。

 『本格的なカレーをお楽しみ』いただくことができるだろう。


 持粱歯肥じりょうしひ

 良い御身分でいらっしゃること。


「こ、これで見た目通り?」

「なにが」

「わ、私の印象、お料理上手……」


 そうだった。

 思い出したよ、昨日の雪女みたいな顔。


 ここは正直に言ったものか。

 それともおべっか使うべきか。


「…………千里の道を、ようやっと一歩だけ踏み出したって感じじゃねえの?」

「ほんと!? ……じゃあ、私もプロの料理人と同じ土俵……、ね?」


 こいつ!

 人が、さんざん悩んで正直に言った意味ねえじゃねえか。


 でも料理だけは。

 褒められねえと絶対にうまくはならねえし。


 ……しょうがねえから。

 その、緩み切った顔。

 改めて曇らせるようなことは言わないでおこう。



 ちらりとお隣りの様子をうかがうと。

 春姫ちゃんがこっちを見ていたから。


 俺は、渋い顔して。

 ウインクで心境を伝える。


 すると、両肩をすくめた春姫ちゃん。


 俺が言い辛くしていたことを。

 はっきりと言い放つ。


「……お姉様。立哉さんは、その腕ではまだまだだと。ほんの一歩目に過ぎないと言ったのです」

「う、うん。そう、ね?」

「……ですから、肝心なのはたゆまず続ける事。たまには立哉さんに、おかずのお返しなど持って行ったらどうです?」

「そ、それ。いいこと言った……」


 おお。

 すげえや、春姫ちゃん。


 まさか、秋乃が俺に。

 おかずを作ってくれる日が来ようとは。


 ウインクが苦手な金髪のお嬢様は。

 こっちを向いて、両眼をきゅっとつぶってきたが。


 こんなの、こっそりやり取りでは済まねえ。

 俺は、春姫ちゃんの頭に手を置いて。


 すげえじゃねえのと尊敬の念を込めつつ撫でてやった。



 ……だが。



 そんな、和気あいあいも。

 一瞬で吹っ飛ぶ秋乃の宣言。


「じゃ、じゃあ、頑張る……、ね? 今夜」

「おお、頑張れよ。…………今夜?」

「うん。たくさん作って、一番おいしかったの持ってく」

「何を作る気だ?」


 聞いてみた俺の目に入って来た。

 秋乃が指差す袋。


 その中には。

 予備で多めに買っておいたものが入っているわけで。


「…………だって、これしか作り方教わってない……、よ?」

「ごもっとも。いや待て、学校に?」

「お弁当だから、当たり前……」


 弁当に。

 手作りカレー。


 嬉しいやら。

 すげえ困るやら。



 まあ。

 屋上で食べればいいか。



 俺は、二つの鍋で音を立てるカレーを見つめたあと。


 善後策が思いつかない様子の春姫ちゃんに。


 渋い顔と共に。

 両目でウインクをした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る