大雪


 ~ 十二月七日(月) 大雪 ~

 ※雨露霜雪うろそうせつ

  人生、困った事ばっかし




 寒波と共に。

 初雪と共に。



 OL女襲来。



「さむさむ……! 最上くん!」


 いつもは、かっちり伸ばした背筋を曲げて。

 組んだ腕で体をさすりながら教室に入って来た今野さん。


 その頭と肩口に。

 うっすら雪が積もってる。


「か、花壇のとこで待ってるよって言ったのに……」

「行かないと言ったはずだが」

「そそ、そうだよね!」

「用はなんだ」

「お弁当作って来たから一緒に食べよ!」

「いらん」

「フラれた! この傷心のあたしを温めて!」

「それを俺に頼むのおかしいだろ」

「うはははははははははははは!!! やっぱこの人おもしれえ!」

「……立ってろ」


 昼休み前、四時間目。

 授業中に乱入してきてなに言ってんだこいつ。


 そして、授業中に大笑いする癖も。

 そろそろどうにかしないといけない季節になって来たな。



 ~´∀`~´∀`~´∀`~



「うわ。まじさみい」

「ほ、ほんとね……」


 俺の隣でガチガチ震えて。

 窓の外に舞う雪を恨めしそうに見つめるOL女。


 昼休みまであと十五分ってとこか。

 なぜ休み時間まで待てなかった。


「いつから待ってたんだよ、花壇で」

「二時間目と三時間目の間のお休み……」


 …………まじか。


 これだけ寒い日に。

 体に雪積もらせて。


 あと十五分、なぜ我慢できなかったのかなんて考えた俺は間違ってる。


 約百分。

 よく我慢できたもんだ。


「やれやれ……」

「お? 嬉しいことしてくれるじゃない」


 こんな一途な人。

 風邪ひかせるわけにいかねえよ。


 上着をかけてやったら。

 返ってきたのは大人びた柔らかい笑顔。


 それと。


「……食べるかい?」


 温かみのある。

 オレンジ色のお弁当包み。


 受け取れるはずねえっての。


「いや、昼飯が多くて」

「変な断り方ね。……ごめんね、迷惑なこと言って」

「そうじゃねえんだ。ほんとに今日は、弁当残すわけにいかなくて」


 我ながら、随分下手な大人会話。

 遠慮に理屈付けるのって難しいな。


 でも、OL女は俺の言い訳を真に受けて。

 そのうえで、面倒な勘違いをし始めた。


「へえ。……あたしもいつか、そんな優しいこと言って欲しいな」

「ん? それはどういう意味……、はっ! ちげえよ!?」


 いやいやいや。

 ニヤニヤすんじゃねえ。


 彼女からの手作り弁当とかじゃねえし。

 そもそも彼女いねえし。


 しかも……。



 響き渡るチャイムのせいで。

 開きかけた口を一旦つぐむ。


 後ろの扉が開いて。

 廊下に出てくるクラスの連中。


 そこに、王子くんと姫くんが連れ立って歩く姿を認めたOL女が。

 心境をそのまま体で表現すると。


 俺の上着が。

 ずるりと床に滑り落ちた。


「…………ふう」

「あー、その、あのな?」

「うん」

「俺、恋愛とかよくわからんのだが……、他の男じゃダメなのか?」

「そうね。彼が、例え西野さんと付き合ってるとしても……、あたしの気持ちは変わらないと思う」


 前側の扉から出てきた先生に。

 教室へ戻れと言われたその後も。


 俺たちは、二人突っ立ったまま。

 窓枠で区切られた世界を舞う雪を眺め続けていた。


 ……この窓は、実は窓なんかじゃなく。

 鏡なんじゃないだろうか。


 暗い灰色に塗り固められた二人の心。

 それをどうにか取りつくろうために。

 白い雪で隠そうとしてる。


 でも、そんなかりそめが。

 いつまでももつはずはない


 OL女の、よく整えられた短めの髪から。

 さっきまで、真っ白になってすべてを隠そうとして頑張っていた雫が。


 まるで涙のようにぽつりと足下に落ちた。



「……あんたは、三つ勘違いしてる」


 俺の言葉に何も反応を示すことなく。

 その呼吸だけで先を促すOL女。


「まず一つ目。あの二人は付き合ってねえ」

「で、でも……、ね?」

「ほんとだって。姫く……、最上も言ってたろ」

「うん。プロの役者じゃないと付き合わない……」

「そうだ。だからな? そんな最上の気持ちを、だな」

「そうね、分かってる。プロの役者になってから、か……」


 最上の気持ちを考えると。

 諦めてもらう方が正しいに違いない。


 でも、こう何度も一緒に立たされてるうちに。

 先輩の気持ちも汲んでやりたくなってる俺がいる。



 廊下を行きかう喧騒が。

 まるで別の世界から聞こえてくるよう。


 俺の耳に届くのは。

 もう、何度目かの先輩のため息ばかり。


「……あたしは、どう見える?」

「ん? ……きっちりした人に見える」

「授業中に入ってくるのに?」

「そう感じるんだからしょうがねえだろ」


 見た目と違って。

 大胆で。


 そして、見慣れた感じと違って。

 真面目で一途だって思う。


「見た目じゃ、他人の本心なんて分からねえ。あんたがしつこく言い寄ってる姿が本気なのか一時的な想いなのか、それすらも」

「そうだよね……」

「もしも本当に本気だって伝わったら、あいつはあんな態度とらないと思う」

「本気……、か」


 もっとも。

 本気の想いを伝える手段があったら苦労しねえ。


 元気づけようと話してみたけど。

 結局、何の役にも立たないまま。


 こいつの進む道は、雨露霜雪うろそうせつ

 でも、ちょっとは楽しいことがねえとまいっちまうだろう。



 ……しょうがねえ。



 ほんとは、本人いねえとこでこんな話をするのは微妙なんだが。


 今日は。

 あいつを犠牲にする道を選択するか。



「……で、だ。あんたの勘違い、二つ目と三つ目なんだが」

「ああ、うん」

「昼飯が多くて、今日は残せねえって言ったとき」

「彼女さんのお弁当?」

「それが勘違い。俺に彼女はいねえ」

「え? でも、舞浜さんって子といつも一緒じゃない?」

「彼女じゃねえ。そして、三つ目」

「う、うん」

「…………あいつに弁当を作ってやってるのは俺だ」

「ええええええ!?」


 よし。

 ちょっとは元気になったか。


 意外過ぎてびっくりしたろ。


「で、でもでも、舞浜さんってスポーツも勉強も何でもできるスーパーガールって二年生の間じゃ有名なのに!」

「見た目に騙されんな」

「でも!」

「スポーツは球技以外。勉強は理系だけ。そして家庭スキルは壊滅的」

「あ、あんなお嬢様然としてるのに……」

「それこそ、見た目じゃねえって話だ」


 そしてようやく。

 力の抜けた笑い声が隣から聞こえると。


 見た目じゃなく。

 こいつの内面。


 大人びた優しい笑顔が。

 ぽつりとつぶやいた。


「…………ありがと、ね」


 秋乃をダシに使ったわけだからな。

 感謝されても、素直には受け取り辛いが。


 それでも肩の荷は下りた感じ。

 俺はようやく、窓の外の、白い景色を落ち着いた気持ちで眺めることが出来た。



 問題は、何も解決できてねえ。

 これからも苦難の日々はずっと続く。


 いつか、誰かが傷つくのが早いか。

 二人の内どちらかの気持ちに変化が訪れるのが先か。



 お隣りを見ると。

 大人びた笑顔のまま雪景色を見つめる優しい微笑。


 なんだか、廊下の寒さのせいで。

 まるで雪女みたいだ、なんて思っちまったから。


 ちょっと怖くなって。

 慌てて正面を見ると。


 窓に映った、俺のお隣りに。



 微笑を湛えた雪女が。



 ……もう一人。



「ひやああああああっ!? いいい、いつからそこに!?」

「見た目に騙されるな、のあたり……、かな?」



 ……見た目では。

 心の中を見通すことができない?


 バカ言っちゃいけねえ。

 くっきりはっきりよく分かる。



 だから。


 俺は床におでこを擦りつけて謝り続けることにした。


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