奇術の日


 ~ 十二月三日(木) 奇術の日 ~

 ※鬼出電入きしゅつでんにゅう

  目にもとまらぬ速さで現れたり消えたり




「春姫ちゃんとお母さんと一緒に、東京?」

「うん、クリスマスイブから一泊……。久しぶりに、お父様とみんなと一緒……」


 今日は最大のヤマ場。

 我らが担任の受け持ち。

 英語のテストが待っている。


 だから、家から駅までのルート。

 電車内。

 学校までの道すがら。


 俺が英単語とその意味を耳から叩き込んでやった門前の小僧。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 でも、一教科目の日本史に向けて。

 脳を切り替えなきゃならねえから。


 下駄箱に到着したあたりで。

 ちょっと休憩ついでに振った話。


 年末、楽しみにしてることは何だと聞いてみたら。

 想定と違う言葉が返ってきた。



 ……俺は、例えばクリスマスとか。

 イベント自体について。

 なにが楽しみか聞いたつもりで。


 ……いや、正直に言えば。

 今年は秋乃と春姫ちゃんと舞浜母も招いて。


 盛大なクリスマスパーティーでもできないもんかと思って。

 話を振ったんだが。


「も、目下、一番の楽しみ……」


 そういうことなら。

 やむを得んな。


 いつも通りのクリスマス。

 親父と凜々花と一緒に過ごすか。


 ……おかげで、また。

 フライドチキンの腕前が上がっちまうっての。


「じゃあ、レストランで食事とか? 東京じゃあ、早めに予約しねえと店なんか入れねえぞ?」

「そう! それで食べたいもの聞かれてね? 楽しみにしてるの!」


 どうやら当たりのくじを引いたらしい。


 秋乃は当選者を祝福する鐘を鳴らすため。


 おめでとうございますとばかりに。

 右の袖をぐいぐい引っ張る。


「やめい」

「で、でもね? 嬉しくてね?」

「いいから引っ張んな。伸びる。さもなくば脱げる」

「も、もう教室だからちょうどいい……」

「自分で脱ぐわ」

「の、伸びる方」

「うはははははははははははは!!! なんでやねん!」

「萌え袖は男女共通の嗜み。By、パラガスくん」

「うはははははははははははは!!!」


 連日のバイトとテスト勉強でヘロヘロなくせに。

 面白いことはすぐ思いつくな。


 そして、よっぽど楽しみにしてる食べ物があるようで。

 席に着きながらも。

 日本史の対策ノートを広げながらも。


 こっちを向いて。

 興奮しながら話しかけてくる。


「どうしても食べてみたくて、お願いしてあるの。えっと……、なんだっけ? 待ってね? 紙に書いたから……」


 秋乃がポケットを探って。

 取り出したメモ紙。


 なにが書いてあるか知らんが。

 そんな話してる場合じゃねえだろ。


「後にしろ。そんなに楽しみにしといて、補習とか追試ってわけいかねえだろ」

「そんなのあるの? 赤点だと留年なのに」


 おっとと。


 先生のたわごと利用して。

 勉強煽ってるの忘れてたぜ。


「……留年なんてしたらパーティーどころじゃねえだろ。ちょっとはあがけ」

「そ、そうだよ……、ね?」


 まったく。

 こいつは。


 緊張感があるのやらないのやら。


 王子くんへのフォローと。

 OL女と姫くんとの問題。


 そしてバイトに。

 テスト勉強。


 いろんなことを同時に気にして。

 全部に一生懸命向き合って。


 いつもは凛々しいその横顔が。

 とうとう、疲れの色を隠しきれなくなってきた。


 ……そんな秋乃は。

 日本史のテストに備えて。


 小さな紙に。

 年表を書き込んでる。


 どれどれ?

 …………おお。


「なんだ、ちゃんと勉強できてるじゃねえか。合ってる合ってる」

「そ、それはそう。だって教科書丸写し……」


 ん?

 丸写し?


 見ながら書いてどうする気だよ。


「私のヘロヘロ頭脳では、記憶することができず」

「うん」

「外部記憶領域に頼ることにしました」


 外部……?


 カンペっ!?


「ばかやろう! 却下に決まってんだろ!」


 お前の中の正義。

 さっぱり基準が分からん!


 メモ紙を取り上げて。

 全部机に押し込んで。


 前後の関係と内容を織り交ぜて。

 年号と共に話して聞かせる。


 面倒だが、こいつの場合。

 こうして物語にすればちゃんと覚えるからな。


 ……でも、さすがに時間が足りなくて。

 半分くらい過ぎたところで。

 先生が来ちまった。


 テスト用紙が配られる間も。

 気が気じゃねえっての。


 お前、年表以外のこともちゃんと覚えてるんだろうな?


「ようし。では、はじめ!」


 いつものだみ声が響いてからも。

 心配になって、ついついお隣の様子をうかがっているんだが。


 こいつ。

 まるっきりペンが動いてねえ。



 ……やっぱり。

 限界だったか。



 でも、それに気付いたところで。

 時すでに遅し。


 俺がこうして悩んだところで。

 事態が好転するはずもねえ。


 今日は二択じゃなくて。

 バッドエンドへ向かう一本道。


 しょうがねえな。

 せめて、追試対策手伝ってやるか。



 ――先生が、机の間を練り歩く。

 これ以上のよそ見はまずそうだ。


 俺は、横を見るのをやめて。

 改めて答案に向かったんだが。


 その直前。


 妙なものが。

 視界をかすめた。


 床に落ちてる。

 くしゃくしゃな白い紙。


 あれは…………。


「む? ゴミか?」

「なんでもありませええええええん!!!」


 慌ててヘッドスライディング。

 危険物はなんとか回収できたが……。


 これ!

 秋乃のカンペじゃねえか!


 雑に机に押し込んだから。

 おっこっちまったのか。


 でも。


 ひとまず右手に握り込んでみたものの。

 どうすりゃいいんだ!?


「……こら。それをよこせ」

「いやあ、何のことでしょう」


 俺は立ち上がりながら。

 左手で頭を掻いて苦笑い。


 これ……。


 まずいぞどうしたらいい!


「なんのことか分からんのなら、その右手を広げてみろ。すぐに分かる」

「み、右手っスか……」


 クラスのみんな。

 その視線が集中する中。


 俺は、両腕を真横に広がると。


 ゆっくり握りこぶしを近づけて。

 顔の前でクロスするタイミング。


「ワン! ツー……! スリー!」


 両手を同時に。

 ぱっと開いて。

 手の平をパンと打ち鳴らしてみんなの前に突き出した。


「消えた!」

「おお!」

「イリュージョン!」


 秋乃を救うため。

 心底いやな思いをしている俺だが。


 お前が手品大好きという言葉に偽りなし。

 目をキラッキラさせて喜んでるから良しとしておこう。



 ……すっげえ口ん中苦いけど。



「なるほど、俺の見間違いか」

「…………」

「では、騒がせた詫びに芸を見せてやろう」

「…………」

「右手に持っているマジックを右耳に入れると、ほれ、左から出て来た」

「…………」

「これを鬼出電入きしゅつでんにゅうという。……By、保坂」

「ぶはっ! ……やべ」


 卑怯な芸のせいで。

 口の中に隠してたカンペ吹き出しちまった。


 慌てて回収しようにも。

 カンペはこいつの顔面に当たったわけで。


 それを両手で。

 軽々キャッチ。


「ま、待ってくれ! それは違うんだ!」

「何を隠しているんだ。……こ、これは!?」

「いや、先生そうじゃなくて! 頼むから話を……っ!」


 丸まってた紙を広げて。

 わなわなと震える先生。


 俺はなんとか誤解を解こうとすがりつつ。

 言い訳を探るために慌てて覗き込んだ。

 メモ紙に書かれていたその文字は。




 すこんぶ




「うはははははははははははは!!! メリークリスマス!!!」


 これ!

 親父さんにお願いした食べ物の方かよ!


 それにしても秋乃。

 なんてお願いしてんだ!

 バカじゃねえの!?


「…………おい。慌てたり笑ったり、随分情緒不安定だな」

「ああ、何でもねえ。お騒がせしました」

「ふむ、何でもないのか。だったら、テスト中に手品などやった罰を与えねばならんな」

「うそ」

「そのテスト用紙で、俺もマジックを見せてやろう」


 そんなこと言い出した先生が。

 あぶらかたぶらとか。

 妙な呪文を唱えると。


「……よし。これで、あっとびっくり」

「びっくり?」


 右手に持ってたマジックで。

 回答欄を一つ塗りつぶしやがった。


「なにすんだ!!」

「一瞬のうちに、そこから五点消したのだ」

「ふざけんな」

「……マジックだけに」

「ふざけ……、いや。珍しく上手いこと言いやがる」



 ……たまに褒めてやったら。

 先生は、どうやら嬉しかったらしく。


 俺と秋乃に。

 テストの後。

 お菓子をくれた。


「あの、ね? たつ、保坂君……」

「言うな」

「でも、包み紙に消火器の絵……」

「言うな」


 消火器。

 『消』かき、すれば。


 手品だけに。

 タネが現れる。


「こっち辛いから、ピーナッツだけ食べて……、いい?」


 こんなオヤジジョークを。

 ちょっと上手いと思った俺は。


 腹立たしさを紛らわせるため。

 辛い方だけ全部。

 口の中に放り込んだ。

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