美人証明の日


 ~ 十二月二日(水) 美人証明の日 ~

 ※無声無臭むせいむしゅう

  他人に存在が知られてない




 これは。


 呼吸を忘れるほど重大な選択だ。



「今日、俺たち学校に来たらいけなかったんじゃね?」

「ご、ごめんなさい……。しゃべらないで……」

「おっと」

「呼吸もしないで……」

「無茶だぜうはははははははははははは!!! おっと、すまん」


 そう。

 呼吸すら気を使う。


 そんな思いを共有してるこいつ。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 今日は、美人台無し。



 お前。

 臭い。



 無論、俺もなんだろけど。

 自分じゃ分からねえもんだな。



 ……昨日、まるまんまのニンニクの粒を。

 いくつも食ったせいで。


 息がとんでもないことになってる俺たちなんだが。


 でも、ニンニクパワーは本物で。

 昨日もほとんど寝てねえだろうに。


 こいつは、ちょっと元気になってる。


 そこだけは良かったんだが……。


「ま、周りの皆さんに謝りに行くこともできない……、ね?」

「自分で言ったんだろうが。こっち向いて喋んな」


 俺の指摘に、慌てて口を両手で塞いだ後。


 やたら丁寧な謝罪文を書いて。

 お隣りさんに手渡した秋乃に。


 姫くんは、いつもの無表情で。

 構わんぞと、紳士な対応をしているようだが。


 ……そんな優しさが。

 この人にはまるで発揮されやしねえ。


「最上君! テストのヤマ、教えに来たよ!」

「……周りに迷惑だ。勘弁しろ」

「あ……、そ、そうだよね! じゃあ、頑張ってね!」


 あれ以来も、変わらず。

 OL女は姫くんの元へ。

 こうして押し掛けてくる。


「なんだか勉強どころじゃねえ」

「あんな言われ方したのに頑張るなあ……」

「保坂。こっち向いて喋るな」

「まじか。そこまで匂う?」

「いや。舞浜に息がかかるだろ」

「…………美人って得な」

「そうじゃない。気を使ってしゃべらないこいつを擁護してやったまでだ」


 真摯な姿勢には。

 紳士な対応をしたくなる。


 なるほど、それは納得いくが。

 だったらOL女に対しては。

 さっきみたいな対応でいいのか?


 お前らがもめると。

 王子くんが苦しむんだが。


 今だって。

 辛そうにしてるじゃねえか。


 と、言うか。


 すげえ眠そう。



 ……先輩の気持ちも汲んであげたいけど。

 姫くんの思いも尊重したい。


 そんな板挟みに。

 まだ、苦しんでるんだろうな。



 声はかけたいけど。

 秋乃も、声かけたがっているようだけど。


 今日の俺たちの息。

 ちょっとした生物兵器だから。


 やめとくか。



 ――なんだかすっきりしないまま。

 先生が教室に入って来て。


 テストが始まったんだが。


 そのうち。

 なにやらごそごそと。


 お隣りが落ち着きなく動いていることに気が付いた。



 なにやってんだろう。

 視線を向けると。


 秋乃が気にしていたのは。

 机に突っ伏して。

 居眠り始めちまった王子くん。


 こりゃまずい。

 俺は、ふわりと消しゴム投げてみたが。


 肩に当たって机の上に転がり落ちたってのに。

 まったく起きる気配がない。


 さすがにわたわたしだした秋乃は。


 何かを思い付いて。

 手をぽんと合わせた後。


 ……思いっきり息を吸って。

 王子くんの方を向いて。



 はあああああぁぁぁぁぁ



「ぶふっ!? ……くくくっ!」

「ん? ……おっと! いけないいけない」


 危なく笑いそうになっちまったが。

 見事、秋乃の作戦は成功したようだ。


 先生、王子くんの独り言のせいで。

 こっちを気にしてるけど。

 大丈夫そうだな。



 しかしすげえな。

 ニンニクの臭い。


 自分でもこれ嗅いでるから。

 眠くならねえのかな?



 ……でも。


 安心してテストに向き合って。

 一通り回答欄埋めて、見直ししようと思ってた頃。


 また、お隣の席から。

 わたわたしてる時の。

 衣擦れの音が聞こえて来た。


 ……ありゃりゃ。

 王子くん、船漕いでるよ。


 今度は、いくら息を吹きかけても効果が無いようで。


 いつまでも、ゆっくりと前後に揺れ続ける王子くんだったんだが。


 それに気付いた姫くんが。

 後ろからペンで突くと。


「わひゃい! 寝てません!」


 王子くんは。

 やたらと派手な起き方しちまった。


「こらそこの! さっきから何をやっている!」


 いやはや。

 さすがに重い腰上げたか。


 先生が、教壇から下りて。

 こっちに近付いてくる。


 これはまずい。

 単に居眠りしてたって話なら問題ないんだが。


 王子くんの机。

 俺から見える左隅に。



 消しゴム二つ。



 もしも、片方が俺が投げた消しゴムだとバレたら。

 カンニングと疑われるかもしれない。


 迫る先生を追い返す方法。

 ほんの数秒の間になんとか思い付いたのはこれしかねえ。


 こいつを食らって。

 引き返してくれ!



 はあああああぁぁぁぁぁ



 ……周りの連中も眉根を寄せたが。

 こいつは効果てきめん。


 先生は、あからさまにイヤそうな顔をして。

 その場に長くいたいと思わなかったらしく。


「……西野。問題ないんだな?」

「はい! ちょっと居眠りしてただけです!」

「ならいい。良かったな、目が覚めて」


 よし、大成功。


 でも、先生はそのまま教壇へ戻ろうとしたんだが。

 こいつの間の悪さと言ったら。


「へぷしょ!」


 思わず天を仰ぐことになった。

 秋乃のくしゃみ。


 無声無臭むせいむしゅうで今までいたのに。

 声も臭いも発生させやがった。



 ……背中越しに、鼻をクンクンさせた先生は。

 くるりと秋乃に向き直る。


 そんなピンチを。

 どう乗り切るのかと、固唾をのんで見守っていると。


 こいつ。


 とびっきり上等な仮面持ち出して。

 先生に向けて、にっこり微笑みかけやがった。


 女の武器。

 秋乃はそんなこと思ってやったわけじゃねえんだろうけど。


 こいつには効いたらしい。


 先生は、誤魔化すように視線を泳がせると。


 秋乃の隣をスルーして。

 俺の背後まで歩いて来て。


「…………おい保坂。お前、息を吐いてみろ」

「ずりい! こいつに恥かかせるわけにいかねからって俺に的変えやがったな!?」

「くさっ……。ゴホン! 保坂、食い物を選ぶときは周りの迷惑も少し考えろ!」

「ほんと美人って得な」

「お前は息を吐くな!」

「死んじまうわ! 立ってろって言われるよりひでえ!」

「いいから黙れ!」


 このやろう。

 なんたる扱いの差。


 でも、今は俺に先生の意識を集中させねえと。



 だって。



 こいつ、見つかったらさすがに大変だろうに。

 お構いなしなヤツだよな、いつもいつも。


 その、臭い消し用に持って来てたガム。

 眠気覚ましってことなんだろうけど。

 王子くんに渡してんじゃねえよ。



 ……しょうがねえ。

 もうしばらく、先生の目をこっちに集中させとくか。


「先生は見る目がねえって言うか、何を見てるんだって言うか……」

「それ以上こっちを向いて喋ったら職員し……、校庭でテストを受けさせる」

「職員室でもいいですよ?」

「来るな」

「いえいえ。ここはぜひ」

「……貴様など、こっちを向けなくさせてやる」



 結果。


 俺の机だけ強引に。

 真後ろに向けられた。



 しかし。



 先生、ほんと見る目がねえ。


 美人の笑顔に何も言えなくなるとか。

 顔ばっか見てるからそうなる。



 ……そいつは見た目じゃなくて。

 心の方が、断然美人なんだっての。



「よ、良かった……、ね?」



 まあ、今日だけは。

 息は美人じゃねえけどな。



「……こっち向いて喋るんじゃねえ」



 背中越しだってのに。



 くせえっての。


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