ノーベル賞制定記念日


 ~ 十一月二十七日(金)

   ノーベル賞制定記念日 ~

 ※帷幄之臣いあくのしん

 司令官の大作戦を支える部下



『そ、それではただいまより、ノーベル恋人賞授与式を開催いたします……、で、いい?』


『いいかどうかはともかく。ほんとに大丈夫なんだろうな?』


『わ、私、走るのは得意……』


 携帯にセロファンを巻いて。

 映画とかで耳にする。

 無線のような声を演出するのは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 今頃、職員室の前で。

 失敗しないように深呼吸しているであろう姿。


 そんなものを。

 遥か離れた校庭の隅で想像する。



 急に寒くなったから。

 外で待っているには辛いけど。


 最後までごねてこのポジションを選んだのは俺自身だし。


 誰にも文句なんて言えやしねえ。


『こら! 長野!』


 そのうち、携帯から聞こえた耳馴染みのある怒号。


 さらに十人くらいだろうか。

 ドタバタと走る靴音が聞こえた。


「……始まったか」


 今日は、二時間目が自習と随分前に決まってた。


 それに合わせて計画した。

 甲斐のとんでもない計画。


 まあ、最初は一人でやるとか言ってたんだが。


 秋乃が乗って。

 王子くんと姫くんが一枚かませろと賛同して。


 そして、俺も巻き込まれそうになったから。

 パラガスに、『モテるから』と言い含めて身代わりにして。


 だというのに、結局俺にも担当が割り振られて。


 そして始まる。

 前代未聞の大騒ぎ。


 はてさて。

 狙い通りに行くのや否や。


 注意がすっかり校舎内に向いている中。

 無人の校庭を走り回って準備する甲斐の後姿を見つめながら。


 俺は一人。

 溜息をついていた。



 ――まず最初に。

 秋乃がノックと共に。

 職員室の扉を開いて、中を見回すと。


 何人かの先生が。

 誰を探しているのかと気にして。

 視線を集めたタイミングで。



 秋乃の背後を。

 ……廊下を。


 自転車に乗ったパラガスが通り過ぎる。



 反射的に立ち上がるのは。

 体育会系の先生と直情型の先生だろう。


 道を空けた秋乃の脇を抜けて。

 彼らが廊下へ飛び出すと。


 すました顔して入出した秋乃が。

 わざと人目に着くように。


 壁にかかったどこかの鍵を

 勝手に取って、職員室を後にする。


 そんな行動で。

 職員室に残った、落ち着き払った良識派の教師を全部釣りあげると。


 職員室前の階段を。

 ひたすら駆け上る。


 タイミングを合わせて。

 反対側の階段を駆け上がるパラガス。


 ちょうど秋乃と二人。

 二階に到着するころ。


 先生たちの耳に入るのは……。


「酷い! あたしのことは遊びだったのね!」

「そんなこと言ってないだろう! 落ち着け!」


 うわ。

 すげえや演劇部の本気。


 廊下であげた声、教室挟んで校庭挟んで。

 ここまで聞こえてきやがった。


「窓から飛び降りて死んでやる!」

「できもしねえこと言うな!」

「言ったわね! 見てなさい!」

「ま……、待て! 西野!」


 そして、二階の廊下の中央。

 空き教室へ飛び込むと。


 窓を開け放って。

 身を半分乗り出したところを。


 姫くんに捕まえられて止められた。


「放して! ここから飛び降りる!」

「ふざけんな! そんなことしてなんになる!」

「こら一年生! 早まるな!」

「西野! 落ち着くんだ!」


 もちろん、パラガスと秋乃を追いかけていた先生たちは。


 こっちの緊急事態に全員が吸い寄せられて、教室に突入する。


 そして、皆さんが王子くんを止めるべく。

 窓から半身を乗り出した二人に手をかけようというその瞬間。


「あーれー」

「なんてこったー」


 ……窓の向こう。

 木の幹に括っておいた二本のロープ。


 その逆の端を掴んで。

 ターザンよろしく大脱出。


 ぷらんぷらん揺れる二人に。

 怒号をぶつける先生たちの声。


 それが次第に。

 別の案件に切り替わる。


「ド、ドアが開かない……!」

「こら! 誰がやった! 開けるんだ!」


 だれがやったもなにも。

 秋乃が持ち出した鍵で閉めただけ。


 そして。

 邪魔者がよそ事で奔走してる間に。


 校庭全部を使った。

 甲斐の仕掛けが完成した。


「……すげえや」

「ほんとだな! ようし、あとは……」


 校内中に知れ渡るイケメン。

 甲斐のかっこよさは。


 融通が利かねえほどの。

 その、実直さにある。


 でも、実直ってことが。

 一切の悪さをしねえって事には繋がらねえ。


 実直だからこそ。

 こんな無茶をする気になったんだ。




「きーーーくーーーかーーー!!」




 先生たちの騒ぎを切り裂く大声が。

 冬を迎える準備を始めた野山にこだまする。


 まあ、冬支度はちょっと待てよ。

 今だけ、春の装いでこいつらを祝福してやってくれ。



 窓に群がる先生たち。

 全校生徒。


 おそらく、普通の人生なら考えられないほどの観客の前で。


 甲斐は、秋乃が作ったスイッチを押した。



 …………校庭中に仕掛けた。

 噴出花火。


 浮き上がる文字は。



 『HAPPY BIRTHDAY』



 湧きあがる歓声と拍手。

 それに無理やり目を覚まされた春風が。


 慌てて空に舞い上がり。

 分厚い、灰の雲を吹き飛ばして。


 校庭の中央から。

 まるでカーテンが開くように。


 舞台の主役を。

 太陽という照明で眩しく照らした。



「誕生日、おめでとーーー!!!」

「ありがとーーーーーーー!!!」



 校舎を揺るがす盛大な祝福は。

 やがて、誕生日を祝福する大合唱へ。


 その中で、校庭に向かって大きく手を振るきけ子の姿は。


 はっきりと見て取れるほど。

 うれし涙で頬を濡らしていた。



「こらーーー!!! なんて真似をしている!!!」

「大人しくこっちに来なさい!」

「やべえ!」


 そして、開かずの教室にいなかった先生たちが。

 逃げる甲斐を追いかける。


 いやはや。

 とんだ幕引きだが。


 大成功だったな。



 ……じゃあ、ここからは。

 俺の出番だ。



 足元に置いといた。

 ゴミ袋とバケツをよっこら掴んで。


「ノーベル恋人賞授与式ねえ……」


 使い終わった花火を。

 長いトングで一つずつ回収。


「しっかし、ほんと見事なチームワークだな」


 こんな大作戦。

 帷幄之臣いあくのしんたる俺たちがいなきゃできなかったぜ?


「このドラマを支えた全ての出演者に感謝しろよ、甲斐」

「そうだな」


 急にかけられた声に。

 ぎょっとしながら振り向けば。


 絶対逃げ出せないはずの。

 教室という檻に閉じ込められてたはずのゴリラが仁王立ち。


「西野と最上は交際していない。痴話げんかなんてするはず無いからな」

「………………こんなキャストがいるなんて聞いてねえ」

「友情出演だ」



 これは、呼吸を忘れるほど重大な選択だ。



 でも。

 いや、しかし。


 でもでも。

 いやいやそうは言っても。



 …………ええい、ままよ!



「…………俺だけ立たされるってことで、手を打っちゃもらえねえか?」

「ふむ。その言葉は美しいな。俺は心を打たれた」

「じゃあ……」

「だが、心は打たれたが手を打つわけにはいかん。関係者は全員指導室に集合」



 くそう。

 俺の男気、効果無し。


 俺は頑固なおやじの背中をにらんだままに。

 閻魔の法廷へと連行された。



 ~´∀`~´∀`~´∀`~



 そして書かされる反省文。

 心にもない謝罪の気持ちを思い付くのも大変だが。


 廊下で、ポンポンがひっきりなしに鳴っている音を耳にすると。


 早いとこ書き上げて顔を見せてやらねばと。

 頑張る気力が湧いて来る。


「……でも、そんなに悪い事……、かな?」

「いいから書け。知らんぞ留年しても」

「そ、そうだった……」


 頭の固い甲斐でさえ。

 でも、とか。

 しかし、とかの。


 言いたい事を封印して。

 定型通りの反省文書いてるのに。



 ――そして、反省文の後。

 さらに長々と説教されて。


 やっと解放された廊下で。

 甲斐ときけ子の再会を喜んでいたのも束の間。


 今度は。


「最上君! 西野と付き合ってたの!?」


 先生たちをおびき寄せるエサ。

 エチュードを真に受けた。


 OL女が姫くんに突撃してきた。


「違う。ただの芝居だ」

「ほんと!? じゃあ、ほんとに彼女いないのね?」

「しつこい。こいつらとの楽しい気分が台無しだ。帰ってくれ」

「で、でも、それならあたしと……」

「俺は、付き合うならプロの役者と決めている。金を貰えるような芸が出来るようになってから出直してこい」


 ……いつもつっけんどんではあるが。

 それでも、普段の姫くんならこんな言い方はしない。


 ただ、タイミングが悪かっただけ。

 それでも彼女には相当こたえたらしく。



 目に。


 涙を浮かべてしまった。



「こ、近藤先輩? 今はただ、タイミングが……」

「うるさいわね! あなたがいるから最上君が悩まされるんでしょ!? いなくなって!」


 そして酷い八つ当たりの言葉を王子くんにぶつけると。


 とうとう嗚咽を漏らして涙を零しながら。

 走り去ってしまった。


「……あはは、困ったな。……あたしは二人に幸せになって欲しいんだけど、二人の希望、真逆なんだもん」


 珍しく。

 肩を落としてしまった王子くんの手を。


 秋乃が、そっと握りしめる。



 ……これは。


 呼吸を忘れるほど重大な選択だ。

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