鰹節の日


 トロッコ問題というものがある。


 よく、レバーをぎったんばったんさせるトロッコを想像する人がいるが。

 ここで言うトロッコとは、トロリー。

 つまり路面電車のこと。


 ――あなたは線路の切替器の前に立っている。

 これを切り替えないと、迫りくるトロッコが五人の作業員をひいてしまう。

 だが、切り替えた側にも一人の作業員がいる。



 この場合、あなたはどうするのが『道徳的に』正しいか。

 あるいは逆に、どうするのが『道徳的に』罪なのか。


 そんなことを問うのが。

 トロッコ問題だ。



 小学生のころ、これを初めて知った時は。

 もしもそんな場に自分が置かれたらと思って。

 怖くて泣いたまま答えを出せなかった。


 中学のころは。

 切替えて一人を犠牲にするのが正しいと本気で思っていた。



 ……そして、高校生になった今。

 重大なことに気付いてしまった。



 俺が行った行為が。

 線路を切り替えたという能動的な行為が。


 本当は何事もなかったはずの人に。

 取り返しのつかないことをしてしまうという事に。


 だからと言って。

 目をつぶって『なにもしない』というのも。


 それは切り替えるチャンスをみすみす見逃して。

 もっと多くの被害を出すということを。

 『能動的に選択した』ことになる。


 と、いうことは。

 どちらを取っても。

 罪に問われるのではなかろうか。



 人生には。

 そんな救いのない二択を迫られる時が少なからずある。


 AさんとBさん。

 俺の行動によって。

 どちらかが必ず傷つくタイミング。


 でも幸いにして、今までは。

 そんな事態に遭遇してこなかった。



 …………か。


 あるいは、俺は。



 だれかを傷つけてきたことに。

 気付いていないだけなのか。



 時には線路を切り替えて。

 だれか一人を。


 時には見て見ぬふりをして。

 だれか五人を。




 秋乃は立哉を笑わせたい 第8笑

 =友達と、どっちを取るか考えてみよう!=




~ 十一月二十四日(火) 鰹節の日 ~

 ※察言観色さつげんかんしき

  察言=ヒトの話をよく聞いて下心まで読む

  観色=顔つきを観察して欺かれない




 秋らしい、アースカラーの薄手のブルゾン。


 去年買って。

 昨日も羽織って歩いたこいつだが。


 今年のお前は。

 役立たず。


「昨日は暑くてすぐ脱ぐことになったのに、今日はこいつじゃ寒すぎる」

「そんじゃこっち来ると良いのよん! ホットプレートのそば、あったかいわよ!」

「ほんとだよな~」

「お前ら二人が吸引力も落とさずに食い続けるからそっちに行けねえんだろうが!」


 調理台と化した俺の机から文句を言うと。

 きけ子の席に置いたホットプレートから。

 三人の顔が同時にこっちを向く。


 ああ、真ん中のヤツに言ったわけじゃねえからお前は気にすんな。

 お前もまだ、一口も食えてねえからな。



 ……朝のうちに調理室からホットプレートを。

 電源の延長コードと共に借りて来て。


 今日の昼飯は。

 教室でお好み焼き。


 でも。


 キャベツを刻み始めたのは。

 昼休みが始まったと同時だったはず。


 それが。

 今まで休みなしでタネ作りっぱなしって。


 どうなってんだお前らの胃袋。


「ほんと底なしの食欲だな! 俺にも食わせろ!」


 リスみてえに頬を膨らませながらお好み焼きを頬張るきけ子とパラガスに文句を言うと。


 その間に挟まって座ってた女が。


 口に運びかけた箸をピタッと止めて。

 俺の方へ差し出してきた。


「え? え? やっぱ保坂ちゃん、やっぱりなの!?」

「立哉~! 教室で、あ~んしてとか言うか普通~?」

「そんなわけあるか! そしてお前。その顔」


 通常、恥ずかしそうな表情か。

 あるいは嬉しそうな笑顔で行う行為を。

 

 悲しそうな顔でやっているこいつは。

 舞浜まいはま秋乃あきの


 両隣の二人が面白がって。

 秋乃が皿に取るお好み焼きを横取りして食べるせいで。


 基本、ゆっくりペースのお嬢様は。

 未だにお好み焼きを口にしていない。


 そんな中。


 ようやくありつけた一口目を。

 俺に差し出してきた気持ちは嬉しいが。


 ……そこまでぶっさいくな悲しい顔で嫌々渡されても。

 傷つくわ。


「二人の分も残しとかないとね。あたしはあと一枚でやめとくのよん!」

「じゃあ、その分俺が……、あ! 優太待たせたまんまだった~。体育館行って来る~」

「それならパラガス、優太に言っといて欲しいのよん! パーティーの準備はあたしが進めとくって!」

「パーティ~? なんの~?」

「それを優太に聞けば、あんたも参加できっから!」


 何を企んでるのか知らねえが。

 お前ら、テスト一週間前だってこと忘れちゃいねえか?


 呆れながら、ホットプレートのお好み焼きをひっくり返す俺だったが。


 すでにこれだけ寄ってる眉根を。

 さらに寄せさせる、秋乃の一言。


「そ、その上からかけてるの……。カツオブシ……」

「ん? そうだが?」

「カツオブシの木片を削ったもの、よね?」


 久しぶりだなこの流れ。

 もの知らずなお嬢様の一言に。

 きけ子が腹を抱えて笑ってる。


「…………そう。カツオブシの木は、主に外洋を回遊する肉食系の流木だ」

「そうなんだ……。これ、ゆらゆら踊るの、楽しい……、ね?」

「単に空気の流れで揺れてるだけだろ」

「カツオブシが揺れるの、何度から?」

「知らん」

「じゃあ、温度計作る……」


 急に興味が湧いちまったせいで。

 メシそっちのけで工具と基板を取り出した秋乃は。


 椅子に座って、小麦粉をボウルで溶いてた俺の頭に。


「まず、正しい温度の基準を確認……、ね?」

「だからって」

「これで針が振れた位置が、だいたい三十六度」


 三周ほど。

 細めの針金巻きやがった。


「…………うっとうしい」

「あ。ちょっと体温あがったから、下げて」

「今すぐこの針金外せば下がる」

「それじゃ計測できない……、よ?」


 頭に血が上る、とは。

 よく言ったもの。


 しかしお前。

 針金巻いた俺の頭の上に器材置くな。


 そんな場所で作業されたら。

 ……具体的に言えば。


 俺が椅子に座ってて。

 お前が立ってて。

 真横から肉薄されたら。


 秋乃が小走りするたび女子から舌打ちされるその原因となってる部分が。

 耳に当たる。


「……また上がった」

「ち、ちがっ……! 気のせいだ!」

「でも、温度のせいで……」

「ゲージが上がってるのか?」

「カツオブシが踊ってるの」

「うはははははははははははは!!! 頭にふりかけるなっ!」

「うわ。さらに温度上昇?」

「上がるわ!!!」


 さすがにふざけるなと。

 秋乃を遠ざけた俺だが。


 事を荒立てなかったら。

 今もなお。


 顔の真横で。

 昼下がりのお月見を堪能できたんじゃなかろうかと。


 後悔してみる。



 ――急な判断。

 二者択一。


 瞬時に三十秒先を推測して。

 より良い未来を取らないと。


 取らないと……。


 こうして。

 後悔して。


 しかもその悔やんだ顔を。

 イヤな奴に発見されるわけだ。


「保坂ちゃん。その顔、あからさますぎでしょ」

「うぐ。…………な、何の話だ?」


 なんという蔑んだ視線。

 呆れのため息。


 察言観色さつげんかんしきの。

 前半無能なくせに。

 後半だけ高性能。


 お前、ヒトの話は聞かないくせに。

 よく見てやがるな。


「舞浜ちゃん。その温度センサー、恋センサーにもなるんじゃない?」

「コイセンサー?」

「そうすれば、すぐそばにある恋に気付くかも……」


 いや、恋じゃねえ!

 これは断じて恋心じゃねえ!


 ぜってえ口には出せねえが。

 これは単なる……。




 スケベ心だっ!!!




 椅子をはねのけて立ち上がって。

 きけ子をにらんでみたけれど。


 口からこぼれるのは歯ぎしりばかり。

 これ、どうやったら誤解が解ける?


 やっぱ、白状するしかねえ???


 そんな悩む俺の目に。

 まるでカツオブシのように揺れながら近づく影。


「こ、恋のセンサーなら、完成させてほしいな……」

「ん? …………王子くん!?」


 クリスマスツリーのオーナメントたちが悔しがるほど、いつもキラキラ輝いている王子くん。

 

 元気な彼女にしては珍しく。

 ぐったりしながら席に戻ってくると。


 秋乃から、あーんでお好み焼きを食べさせてもらって。

 力のない笑顔でお礼をつぶやいた。


 ……そういえば、ここの所。

 何かに悩んでいるようだったけど。


 そんなセンサーが欲しいってことは。

 まさか、恋の悩み!?



 これは、呼吸を忘れるほど重大な選択だ。



 きけ子の誤解を解く方が大切か。

 王子くんの心配が重要か。


 どちらに声をかけても。

 逆の話題は多分霧消する。


 でも、どっちを取るか悩んでいる間に。

 選択権が、秋乃に奪われた。


「コイセンサー? 限定するのは難しいかも……」

「ゲンテイって何のことだい?」

「魚類でひとくくりなら」

「あっは! 鯉ってそっちの!?」


 そんなもの。

 作れるわけあるか。


 温度センサーをガチャガチャいじってる秋乃に。


 いい加減、メシを食い終わってからにしろと口を出そうとした瞬間。


「出来た」

「できるのかよ」

「スイッチ、オン」


 そして、棒状にした針金を。

 秋乃があらゆる方向へ向けると。


 俺の頭の上にかざした瞬間。

 機械がビービー鳴り出した。


「……失敗。この辺に、お魚いないのに」

「いや成功しとる! まだ乗ってたのかよカツオブシっ!!!」


 天才、舞浜教授の仕事に。

 死角なし。



 ……しかし、ほんと。

 コイとかじゃなく。

 魚に反応しただけだよな?

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