みっつめの話

第13話


 我輩は竜である。

 名前などつけてもらえるわけがない。

 というか、最近ではつけてもらいたいとも思わなくなってきた。


 なにせ、我輩に関わってくる連中は皆すべからく面倒事を持ってくるだけだからである。





 たった一人の人間に決定的な敗北を喫した我輩は、洞穴を出た後から少しばかり慎重に行動をするようになった。


 具体的に言えば、移動を夜間に行うように徹底して昼間の活動を極力避けるように心がけたのである。


 ……前回の原因は人目につく行動をしたという点であるからな。


 昼夜逆転の生活を送ることになろうとは、この世に生れ落ちた瞬間には到底想像もしなかったものだけれど。慣れてみれば、悪いことばかりでもないと気づくものだ。


 夜の空には誰もいない。

 何もいない。


 静かな空間で、我輩だけが悠々と空の中を進んでいると思うとなぜだが無意味に高揚する気持ちになるのは不思議で仕方なかったが。


 すっきりとした冷たさのある外気を裂いて進む感覚は、昼間の温かな空気に浸るものとは異なる快楽を我輩に教えてくれたものである。


 ……それでもやはり、昼間のおだやかな空気の中を泳ぐのが一番よいとは思うが。


 まぁ元より何をするでもなく過ごしているだけなのだから、居場所が決まればそうすることも出来るようになると思っていた。


 少し不満の残る夜間飛行も、住処が定まるまで辛抱すればよいと思って受け入れていた。


 ――しかし、現実というのは本当に厳しいものである。


 我輩のこのささやかな努力も大して意味はなかったのだと、そう思い知らされる出来事があっさりと起こってしまったのだ。





「おまえが邪竜か。

 ……あまり強そうには見えんな」


 突然寝床に現れてそう言い放ったのは、一人の人間だった。


 ……正確に言えば、ヒトが魔族と呼ぶものであるが。


 我輩からしてみれば、似たような姿かたちをしていて、なおかつ同じような社会性を持って集団で生きることを選んだ生き物という意味で同じもの――人間という一括りの一部にしか見えないが。


 当人たちにとっては違うものらしく、両者はすこぶる仲が悪かった。


 ……まぁ基本的にはそういうものであろうがな。


 我輩は竜だが、姿かたちが似ているからといってトカゲと一緒にされれば気分がいいとはとてもいえない。


 もし正面きってそう言われれば、多少なりとも怒りを示すことになるだろうとも思う。


 だから、彼らの間でいがみ合いが発生することも自然なものだと考えていたし、そうして起こる争いについても何かを言うつもりはなかった。


 ……総じて興味がわかぬしな。


 どうでもいいのだ。


 我輩が求めているのは常春のような過ごしやすい場所で惰眠を貪るような、のんびりとした暮らしだけなのだから当然のことだった。


「強くはないから生贄などを求めたのだとすれば納得できることでもある」


 と、先の発言に反応を示さずに考えを巡らせていたら、魔族が言葉を続けていた。


 ……またぞろ誤解の気配がするであるな。


 我輩の前に出てきた人間で勝手な妄想で勘違いをしていなかったものはいない。


「生まれてすぐに人間に手痛く追いやられた貴様が、傷を癒し、また力を得るために生贄を求めて彷徨っているという話は聞いている」


 ……厭な予想ほど当たるのはなぜであろうなぁ。


 そんな言葉を思いながら、心の中でため息を吐いた。


『…………』


 今聞いた話に含まれている話題はふたつ。

 ひとつめは人間と戦い敗れたというもので、ふたつめは生贄を求めたというものである。


 ……両者ともに、そう解釈できるだろう事象には心当たりがあるが。


 どちらの出来事も、人間側に都合がよいように事実が歪められていた。


 ……ひとつめの出来事については非常に不本意な噂になっているようだ。


 我輩はあの人間に負けたつもりはなかった。

 完勝したとはいえないが、目標はしっかりと達成した上で距離を置いただけである。


 ……ただ、ふたつめの出来事については言い訳が出来ぬからなぁ。


 結果として、人間が一人死んでいるのは間違いない事実である。

 その犠牲は我輩が求めたからでもなければ、我輩が直接手を下したがゆえに発生したものでもなかったけれど。


 ……あれが我輩のせいであることに変わりは無い。


 もっとも、その後に立ち去った事実とあわせて生贄を求めてうろちょろしていると言われるようになっているとは思わなかったし。


 さらに言えば、全く別の事象であるふたつの出来事を勝手に繋げて、そうあっては都合が悪いだろうひとつの物語を作り上げてしまうことなどには考えも及ばなかった。


 ……人間とは勘違いの天才であるな。


 そこまで考えてから心中で結論を言葉にしたときに、魔族が次の言葉を作った。


「人間が憎いんだろう?」


 この場合の人間とは、魔族と敵対する側の生き物を指す言葉であるが。


 問いかけられた言葉に対して、反射的に思った答えはひとつだった。


 ……別段なんとも思っておらぬ。 


 憎くなどない。

 思い入れがない。


 これまでに起こった出来事も、すべてがおのおので考えて行動した結果として実現することとなった、いわば自然の成り行きによるものである。


 それら全てが良い事であったとは決して言わぬ。


 心底から嫌だと思うことも、迷惑だと感じたこともあったのは認めよう。


 我輩が逃げ隠れるような状況になってしまったことにも、憤りを感じていないとは決して言えぬ。


 ――しかし、それらの事実をもって人間という生き物すべてに悪感情を抱くことなどありはしない。あるわけがない。


 生き物とは千差万別、個々によって異なるものであるからして、ある個体を見たから似通っているもの全てがそうだと思い込むなど、愚かにもほどがある結論であろうに。


「力が足りないなら、俺達が貸してやれる。

 俺達も人間が邪魔なんだ。排除してやりたい。

 ――目的は一致してるだろう?」


 変な関わり方をしてくる人間は邪魔で厄介だと思うのは確かなのでちょっとだけ同意しかけたものの、それはおまえたちも含めての話であると嘆息を返してやるだけだった。


「……何が不満なんだ?

 おまえみたいな竜も、俺達のところにはいるぜ。お仲間はたくさんいる」


 ほかの竜もそんなアホなことをしているのかと考えたら涙が出てきそうだった。

 もっと泰然としていればよかろうに。


「…………」


 相手がこちらの返事を待っているようであったから、ヒトガタを取り出して告げる。


『断る。要らぬ世話だ。

 我輩はそんなことに賛同して協力するほど馬鹿ではない。

 助勢が必要であるのなら、ほかをあたれ』


「……本気か?」


『それはどういう意味の問いかけだ?

 人間を憎いと思っていないのかという意味であれば、肯定してやろう。

 ――もしもおまえたちが数を恃んで我輩に強制的に協力をさせようと考えていることがわかっているのか、という意味であっても同じことだがな』


「……っ」


 魔族の表情が変わった。


 ……気づかぬと思ったのか。


 目の前にいるのはこの一人だけだが。

 周辺の、そう遠くないところにこれの同類が複数いることは最初から気づいていた。


 ……我輩の前に、真に一人で立つことが出来た猛者は今のところ二人だけである。


 両者ともに素晴らしい精神の持ち主であったなぁと心底からそう認めていたからこそ、今目の前にいるこの魔族がそうであるとは決して感じられなかった。


 ……ゆえに伏兵の存在へと考えが至り、気づくことができたのだろうな。


 魔族は我輩の返答を受けてわずかに逡巡する様子を見せていたが、やがて、


「少し時間をやる。頭を冷やして考え直せ。

 ……次に来たときはいい返事が聞けることを期待している」


 そう言って目の前から立ち去った。




 しばらくしてから周囲にいた気配もなくなったので、完全に撤退したのだなという事実が確認できた。


 ……また来るのか。


 はっきり断ってもなおこだわるとは、数か質かはわからんが、よっぽど戦力に不足があると思われる。


 ……あの人間が敵側に回っておるのならさもありなん、というところだが。 


 一瞬だけ、過去の出来事に思いを馳せた後で。

 新たな問題が発生してしまったなぁと思考を現在に向け直した。


 ……次は間違いなく戦闘になるのであろうな。


 今回の件に関しては、この場から立ち去ってみたところで解消する問題ではなかった。


 あれらは間違いなく情報を集めてこちらの後を追ってくる。

 仮に逃げたとしても、それは時機をほんの少し先に伸ばすだけであることは明白であった。


 ……さて、どうしたものかな。


 状況を整理しよう。


 戦闘になることは間違いない。

 そして今回の戦闘は、間違いなく、我輩と魔族間の戦争に至るきっかけとなるだろう。


 戦えば死ぬものが出る。

 死は損失だ。

 諸々を補填するために、相手は間違いなく躍起になる。


 戦闘を繰り返せば被害は大きくなる。

 周囲の環境への影響も無視はできない。


 ――どちらが負けるかはさておき。

   長引いても決していい結果にはならないだろう。


『解決に至るための手段を考えるのは久しぶりであるなぁ』


 思わずそんな言葉を音にした後で、


 ……さあ、どうしてくれようか。


 どのような対応するのが我輩にとって最善となるのかについて考えるべく、思考を更に深いところへと沈めていった。 



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