第8話 平穏への回帰

 その後、王国を離れる機会が訪れるまで数回オグウェンと逢い引きをした。もし、公爵が俺の帰国を認めてくれなければこのままずるずる愛人関係を続けてしまっただろう。

 機会は二回目の公爵暗殺未遂という形で訪れた。

 どこの、とはそのとき聞かされていなかったが特使を接見していた公爵が狙われたのである。

 犯人は特使をここまで案内してきた役人。特使の随員がこれを取り押さえたという。

「来てくれ」

 コウノが俺を呼びにきた。

「どこへいくんだ? 」

「特使が君にあいたいそうだ。公爵の危機を救われた恩もある。断ることはできない」

 コウノはなぜか残念そうだ。不本意なことらしい。

 公爵館のホールにははじめてはいる。奥が高い壇になっており、豪華な椅子が目にはいった。長身の白髪をきちんとセットした男が似たような軍服の二人の人物と話をしている。

「閣下、つれてまいりました」

 長身の白髪が俺のほうをむいて穏やかな表情を浮かべた。

「初めてあうな。医療魔法使い。そなたの協力に感謝するぞ」

 公爵はたぶん人たらしなんだろう。よい意味で印象的な人物だが、俺はもう一人の強い視線を感じていた。といっていま公爵から目をそらすのはとにかくよろしくない。失礼だ。

「最初こそ不本意でありましたが、最後は非常に貴重な体験をさせていただきました」

「うむ。そういってくれると嬉しい。さて、こちらの特使随員殿がそなたにあいたいともうしてな」

 ようやく強い視線の主のほうを向く事ができた。首がぎちぎちきしむような気がする。

「生きていてうれしいぞ」

 隊長だった。特使のほうは人間だが知らない人物だった。

「ご心配をかけました」

 頭を下げると肩をぽんと叩かれた。

「気にするな。それで、お主はどうしたい? 帰ってくるのか? 」

「大学にいきたいですね。徴発されなければその予定でした」

「聞けばこっちでも似たようなことをやっていたそうだな。帰国したらじっくり聞かせてくれ」

 帰国できるのだろうか。

「閣下」

 特使は公爵の顔を見た。公爵はうなずく。

「コウノ、説明してくれ」

「三ヶ月後、こんどはこちらより特使を出します。その際に随員に加えて身柄をそちらに戻す予定となっております」

「すぐには無理なのか」

 隊長はこのまま俺の首根っこをつかんで連れて行きたそうだ。

「さすがにそれはご勘弁を。こちらでの彼の交友もありますし、返すにあたって我々の感謝の形も用意せねばりませぬ」

「なるほど、今後を思えば、それがよいですな」

 何かいいつのろうとする隊長を絶妙なタイミングで遮って特使がそう言った、含みのあるものいいだった。公爵が苦笑しているが、不愉快そうではない。

「わかった。では三ヶ月後に出迎えるぞ」

 隊長はしぶしぶという風情である。

 その後、特使一行が一泊していくということなので、隊長と研究会の面々をあわせることになった。俺の師匠、ということでみな目を光らせてやってきた。花は魔法手術に使える術について質問し、隊長はその高度の医療知識に敬意を抱いたようだ。トリルは目を輝かせてまたませたことを言ったが、隊長に軽くあしらわれた。それでも彼の複合魔法については隊長は興味を示しつつ思わぬ危険に注意を払うよう忠告した。奴隷少年については同郷ということで薄気味悪いほどやさしくなるところを見た。少々オーバーリアクションだったのか、俺は頭を叩かれた。だが、奴隷少年の中断された修行にまずまず十分に接ぎ穂ができているとほめられた。同席したコウノが少し使えることを看破した隊長は自分の体を毎日診断するよう助言する。

「見えない病気が急に現れることもあるからね」

 他に、どこかが弱っている兆候がでたときに早めに対処できることは大きいという。

 俺の弟子たち、とっくに師匠である俺をこえたのが少なくとも二人は隊長に深い感銘を受けたようだ。

「では、必ず帰ってくるのだぞ」

 隊長は特使ちともに魔族の国に帰って行った。


「ついてくるんだね」

「はい」

 にっこり笑うのはトリル。俺たちは王国の派遣する特使とともにいま、休戦ラインを越えようとしている。

 特使と副使、俺とトリルは村人の姿だ。休戦ラインで生活圏を分断されたところは何カ所もあり、そういうところで両軍協議の上往来の自由が約束されている。密輸を心配する声もあったが、そもそも魔族と王国の貿易は禁止されているわけではない。保護されていないだけである。

 なので、生活圏維持のための往来の自由を利用して貿易がはじまっていた。

 魔族側では特使出迎えの馬車がきていた。代表は角鬼族の老人で、顔や手など見えるところに無数の古傷がありいかにも恐ろしげな顔。トリルはおびえた顔を見せたが、あれは魔族のたいていの市民だってひるむ顔だ。しかし、王国特使は平然としていた。

「ご高名はかねがね」

「いやいや、むかし貴君と刃をまじえたことがありますぞ」

「よく覚えておられますな」

「わが古傷をつけた相手は生死に関係なく全部覚えておりますとも」

 なにやら挨拶は物騒である。表情はどちらもなごやかなのがかえって怖い。

「おい、こっちだ」

 懐かしい声。振り返ると、隊長と、驚いたゴブリンの上司もいるじゃないか。

「君が戻ってくるときいてね」

 眼鏡ごしににこにこしている。少し老けたか。

「乗り合い馬車のきっぷはかってある」

「おまけが一人ふえましたが席ありますかね」

 トリルに挨拶をさせる。

「どれ、私がきいてきましょう」

 上司はほんとうに気遣いの人だ。

「少年、ひさしぶりだな」

「いやぁ、きちゃいました」

「金はあるのか? 王国通貨はここで両替してしまったほうがいいぞ。三割手数料でもってかれるがな」

「あちらがわですませてきました」

「住むところはあるのか? 」

「師匠の部屋がまだあるなら転がり込もうかと」

 遠慮ねぇな。

「あるにはあるが、まずは復員局に出頭して手続きだ。書類は局長殿が用意してくれたので、道中ゆれの少ないところでかいておいてくれ」

 上司はいま局長なのか。どこの局長なんだろう。

「縮小したが復員局だよ」

 それは話が早そうだ。

「隊長はいまなにやってるんです? 」

「町医者だよ」

 ただの町医者のはずがない。

「信じてねぇな」

「泣く子もだまる隊長が子供の腹痛とか診れるわけないでしょう」

「泣く子もだまるからやりやすいんだよ」

「おびえさせてどうするんです」

 思わず突っ込んでしまった。

「実のところ、新しい試みをやってるんだ」

 彼女はぽりぽりと頭を掻いた。

「お主の教えた夜明けの花、彼女を見て、な」

 曰く元の世界で医者であった人は魔族の国にもいる。だが、高度の医療は高度の器具や薬剤に助けられる事がおおく、まるで活用できていない。だが、医療魔法ならそれを補えるのではないか。

「今、賛同してくれる元医師何人かに医療魔法をおしえてカンファレンスをやるようにしてる」

 うちがやってた研究会か。

「花ほど高度文明の医者はいないし医師三人の出身世界の技術に差があるので、まずは町医者レベルの医療からかかって底上げ中というわけさ」

 おまえも来るか? と誘われたが目が笑ってる。わかってるでしょうと答えてその場は終わった。

「やあ、席はありましたから買っておきましたよ」

 上司が戻ってきた。

「ありがとうございます」

 トリル、ゴブリンに普通にお礼を言っている。彼は確か王国生まれの王国育ち。それなのに驚くべき適応だ。

 いろいろ問題はあるが大物かもしれない。

「ああ、これは性分だから気にしないでください」

 上司はにこにこしている。この人はほんとうに特殊で、たいていのゴブリンはしかめっ面で煙草をふかし、ヘルメットをかぶってつるはしをふるう鉱夫である。

「それより、そろそろ出すから乗っておいてくれとのことです」

 六人乗りの乗り合い馬車の乗客は俺たち四人の他にはどこかの商店の番頭らしいエルフの紳士だけである。村人スタイルから着替えたので違和感はそうないが、魔族の都市にむかうには人間率の高い構成になっている。

 エルフの番頭は天候の話とか復興の状況とか、犯罪やスキャンダルなど豊富な話題をふってきた。おかげで内輪の話は途中一泊の宿の食堂でやっとできたくらいである。翌日も番頭の口はなめらかで、一行全員少し困惑気味にこれにつきあわされた。

 そうしているうちに、ほぼ元の姿を取り戻したなつかしのわが町が見えてきた。トリルははじめて見る魔族の町に興奮を隠せない。

「そいではまた。なんぞありましたら」

 番頭は雑踏の中に姿を消した。

「お主らはこれから復員局だな。では、私もここまでだ。よかったら明日にでも顔を出してくれ」

 隊長もあっさりしたものだ。

「君も私と来てほしい」

 上司はトリルにそういった。もちろん彼はそのつもりだ。俺のところに転がり込む以上、はぐれたくないというわけだ。

「いや、君の身上書といくつかの誓約をとっておきたいのだ」

「身上書? 」

「あのエルフ、まちがいなく保安局のスパイだよ。この先も見張られて、捕縛や密殺の口実つかまれるより先にこっちから書類を出して君の滞在を認めさせてしまおうと思うのだよ。そうしてしまえば、魔族共和国の法律にのっとり法的保護の義務もできるしね」

「うわぁ」

 トリルはたまげたようだ。

「それはぜひお願いします。ほんと助かります」

 ああ、またこの上司に頭のあがらないやつがふえた。


 ここから少し話を端折ろう。でないとトリルに振り回される話を延々することになる。

「エルフの女性って花さんみたいできれいですね! 」

 こんなやつだから。

 俺はまず大学にパイプのあるあのとかげ人のじいさんに手紙を書いた。学費、手続きそのほかについて質問したのだ。じいさんの返事はかなり早かった。寮費、学費、入学資格、王国民の入学の可否について、学部、学科、いろんな情報があった。トリルは面接と口頭での試験があるらしい。それと、身上書の提出が必要とある。そちらは上司がやってくれて大丈夫だ。

 トリルは換金用の品物をいくつかもちこんでいた。密輸じゃないかと思うが、両国の交易は正式に始まってるわけでもないのでかなり灰色。それを売って学費を確保した。

 半年後、俺たちはなじんだ部屋を空っぽにして住み慣れた都市を離れた。


 俺の物語はここで一度筆をおこうと思う。ようやく波乱の日々が終わり、平穏だが刺激に満ちた大学生活が始まるのだから。

「いや、兄貴、そうはいかないんだよね」

 いつの間にか俺を兄貴とよぶトリルがそういって勝手にあがりこんできた。いいけど、そのお互い腰に手をまわしあってるエルフの彼女は連れてくる必要があったのか?

「こないだの論文が王国のほうにもいっちゃって、学院から呼び出しがかかったんだよ」

「いってらっしゃい」

 君がいなくなったら俺は平穏にいまかかってる魔法経済学の論文に集中できる。

「なにいってるんだ。兄貴も指名されてるんだぜ」

「なんで? 」

「指名したのは公爵閣下だよ。本人にきいてくれ」

 それは、たぶん断れない。こっちの国も行けというに違いない。

 大学でいくつもの研究室で学んではや三年、休戦条約はまだまだ期間があるが、俺の平穏は早くも終わったようだ。


--終--

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