出会って半日で同棲 後編

「……」


「……」


 あれ? これ結構キツいぞ。さっきまでは普通に寝れたはずなのに、真横に女がいるとそれだけで全然寝れる気がしない。

 かなめは隣ですやすや熟睡しているのに、なぜ僕がこんな目に遭わなくちゃならないのかと、少し腹さえ立ってきた。

 僕は起き上がって寝袋から上半身だけ出すと、暗闇に慣れた目で彼女を見た。寝相が悪いのか、こんなに狭い空間なのに体がだいぶ毛布からはみ出てしまっている。

 僕は小さく息を吐いて、毛布の端を掴んでかけ直してあげようとした次の瞬間。


「夜這いか!?」


「グヴォヘッ!!」


 急にかなめが起きて僕の手首を掴んだかと思えば、そのまま引き寄せられて掌底という掌の固いところで顎をぶん殴られた。


「何すんだ貴様ァ!」


「こっちのセリフよ! 性欲の化身みたいな男とは思っていたけど、せめて初日くらいは紳士でいられないの!?」


「何勘違いしてんだ! 僕はただ毛布をかけてあげようとしただけ! だいたい本当に襲う気なら、君からこっちに来たんだから寝静まるのを待つわけないじゃん! あとそこまでエロくないわ!」


「え……ごめん」


 僕が理路整然と彼女の過ちを正すと、かなめも早とちりだったと認めて頭を下げた。


「全く、いきなり人に暴力を振るってはいけないと学校や親から習わなかったのか?」


「悪かったわよ。それならアンタも私を殴ればいいじゃない!」


「歯ァ食いしばれ」


「嘘でしょごめんって。私、中学生の頃に塾帰りにストーカーに誘拐されかけたことがあるから、それを思い出して、ちょっと体が勝手に動いちゃったのよ」


「えっ……」


 それを告げられた途端、彼女にセクハラじみた言動をした昼間の自分が、ひどく矮小で汚らわしい存在に思えてきた。僕、ストーカー被害者におっぱい大きいとか言ったのか。我ながら何と恥知らずな……。


「いや、何かもういいや……とりあえず寝直そう、なんかごめんね今まで」


「何か急にテンション下がった? 今までっていうほど私達親交ないでしょ。今日初対面なんだし」


 僕は自己嫌悪に浸りながら、切れた唇から流れる血の味を戒めとして味わって今度はちゃんと寝付こうと努力した。


「ねぇ、誠一郎君」


「どうしたの?」


 しかし、数分と経たない内にかなめが僕に話しかけてきた。何だろうか。耳元で小さく囁かれると、体中が猫じゃらしで撫でられたみたいにこそばゆくなる。


「できたらさ、その寝袋で寝かせてくれない? 昔からちょっと興味あったの。寝袋」


「……かまわないけど」


 僕は寝袋からのそのそ出て、代わりに彼女の、というか僕自身の毛布に包まった。

 しかし、かなめはすぐには寝袋に潜りこまず、立って昼に教えた緊急時の非難部屋に入っていった。こんなに暗いのに、もうこの部屋の間取りを把握してるのか。

 そして、廊下の明かりをつけて彼女が戻ってきた。


「夜中に明かりをつけるなって言ったろ。連中がこっちに押し寄せてきたら大変だ」


「ああ、ごめん。つい暗くて」


 ゾンビが明かりに反応するのかは正直わからない。しかし、大体の動物は光に反応して寄ってくるのだから、ゾンビもそうであるという可能性は高い。

 部屋から戻ってきたかなめは、手に何かを持っていた。誰でも一度は使ったことはあるあのファブリーズだった。まぁ仕方ない。ちょっと傷ついたけど、そういうの女子は気にするからな。

 僕はあえて何も言わず、気づかない振りをした。僕も将来娘とか生まれたら、お父さんのパンツと一緒にブラ洗わないでとか言われるのかな……。考えただけで涙腺が緩む。

 シュッシュッ。


「……」


 シュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッ。


「……ねぇ」


 シュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッ。


「いやどんだけ使うんだよ!!」


 元の使用者の真横であまりに念入りにファブリーズを、まるで害虫駆除の農薬のように散布するので、寛大な僕も流石にキレてしまった。


「何よ。アンタだって銭湯のシャンプーは豪快に使うタイプでしょ」


「そうだけど、それとこれとは話が違う! 僕そんな臭くないでしょ!? さっき僕も風呂場で体拭いてたの知ってるでしょ? 君がファブリーズを1プッシュする度に僕の心は深く抉られていくんですけどねぇ!」


「わかったわよ。繊細ねぇ誠一郎くんは。そんなことで社会に出てやってけるのかお姉さん心配」


 何で僕が呆れられなくちゃならないのか。明日から触られる度にかなめ菌が付いた汚れるとか言ってやろうか迷うな。


「うーさっむ」


「そんなに振りかけるからだろ……もうベッチャベチャじゃねーか」


 僕は毛布を鼻の辺りまで覆っていたが、彼女の抜けた長髪が口に入って抜き取るのに手間取った。長いから舌に絡みついて鬱陶しい。


「あーなんか最初は窮屈だったけど、だんだん私の体型に広がって丁度良くなってくる。頭の部分もクッションみたいなのが入ってて痛くないし。すっごい快適。冷気も入ってこない、し……」


「それ、安い二段ベッドと同じくらいの値段するからね……無視かよ」


 いや違う。寝てる。早いなーそんなに気に入ったのか。さっきまで外のゾンビの鳴き声にビビって嫌々僕と添い寝しようとしてたのに。

 僕はわざわざここで寝る理由もないので、マットレスがあるリビングで自分は寝ようと立ち上がった時。


「ママ……パパ……会い……たいよぅ……」


 彼女が羽音のように小さな声で、途切れ途切れに寝言を呟いた。寝言って本当に言う人いるんだなぁ。

  こういう時、寝てる人間は唾液の分泌量が減って動きが少なくなるから、喉仏を見たら嘘寝かガチ寝か分かるらしい。寝てるな。

 そういえば、かなめは北海道から上京して間もなくパンデミックに巻き込まれて、今日まで土地勘も友人もない東京を孤独に耐えて逃げ続けてきたんだっけ。

 それに比べたら、初日から一歩も外に出ずにのうのうと暮らしてきた僕の、自堕落でなんと甘いことか。

 僕は再びその場で横になると、かなめに自分の毛布をかけてあげた。

 真っ暗な天井に、昔見たプラネタリウムの星空を思い起こそうと神経を研ぎ澄ましたら、どうも玄関の方の外のこの階層に奴らがいるらしい。ドアの向こうで歯軋り混じりの唸り声がする。

 やはりさっきの光におびき寄せられたのかな、こっち来ないでほしいなと思いながら、自分の親はどうしてるのだろうと思いを馳せた。おじいちゃんは一昨年死んだが、今思えば早く死ねたのは逆に幸福だったと感じる。

 僕の場合、ここで運良く生き残ってしまったのは幸福なのか。かなめと僕が巡り合ったのは、神の憐憫なのか天の采配なのか。いずれにせよ、かなめには好かれたいと思った。

 

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