出会って半日で同棲 中編
オーディションを前日に控えて東京に来た私は、適当に予約した都内のビジネスホテルに泊まっていた。
上述の通り、私は親が過保護だったからバイトを許してもらえなかったので、月々の小遣いでやりくりしていたが、それを少しずつ貯金していた。
あとは、たまにホームレスが日銭稼ぎでやるのとは違う、学生限定の会員制のところで親の眼をごまかして、製薬会社で流れてくる目薬のキャップを延々とはめ続ける気が狂いそうな日雇いもやっていたから、少しばかりの貯えはあった。
それでもアパートを借りるとなれば全く足りないが、それに関しては社宅のアパートの部屋を空けてくれるとのことだった。
せっかく東京に来たので、前祝いも兼ねてたまたま横を通った高そうなハンバーガーショップの輪切りのパイナップルが挟まれたハンバーガーを買って、ホテルの部屋で食べていた。
テレビを見たら、今月の初めから都内での傷害事件が倍増しているとかあったが、まぁ怖いなくらいにしか思わなかった
食べながら、何となく面接を受けるプロダクションがどんなところなのか、今更ながら脂ぎった指を舐めながら名刺に書かれた社名を検索した時、私は凍り付いた。
アダルトビデオプロダクション、セピアーノ。
……………………え?
5度見くらいしたけど、私の見間違いじゃなかった。見た瞬間に、飲んでいたジュースが手から滑り落ちた。
え? 私はAV女優になるの?
最初はそっちの仕事もしてる芸能プロダクションなのかなと思って、サイトを隅々まで調べたけど、それ以外にはヌードモデルしかやってない、本当に純然たるAVの事務所だった。
始めは怒りが込み上げてきた。あの女、よくも騙してくれたわね。私がそんな頭の足りない人間と思ったら大間違いよ詐欺師め。と。
しかし、よくよく考えたら面接を受ける企業のことを何も調べすに臨む人間がいるだろうか?
それに思い返せば、私をスカウトしたその女性も、例えばその場で契約書にサインを求めるような感じで無理に私を勧誘したりはせず、一度親御さんとよく相談してからとか何とか言っていた。
面接を受けると連絡した時にも、ちゃんと親御さんの承諾は得られましたかと念を押された。
要は私が無計画に突き進んだ結果、自分から喜んでドブ川に飛び込んだということだった。はい。私は頭の足りない人間でした。
危なかった。危うく握手会に私のファンが並ぶのではなく、GIOの18禁コーナーに私のビデオが並ぶところだった。
ともあれ、事実を知った以上はこの会社の採用面接を受ける気はなくなった。
親からは、既に不幸の手紙の返事を全てまとめて私に送ってるのかと疑うほどの大量のメールが来ていた。
仕方ない、両親には旅行に行ったと言って明日の朝一番に帰ろう。説教なんか今更怖くないし、短大も採用されたら退学届けを出す予定だったから籍は残ってる。
また元の生活に戻るだけだ。何も変わらない。これも手痛い社会勉強だったと思って、金輪際グラビアアイドルを目指すのはやめようと私は決めた。
しかし、芸能プロダクションの方にも一応面接は辞退すると伝えなくちゃならないので、私はその場で部屋のを使い、そこに電話をかけた。
だが、電話自体は誰かが出たが、出た瞬間に受話器を投げたのか落としたのか、受話器が叩きつけられるけたたましい物音がした。
あとは念仏みたいな呻き声が複数、じっと耳を澄ましたら聞こえた。めちゃくちゃ不気味だったので、すぐに切ってしまった。最後までもしもしの4文字が耳に届くことはなかった。
何が何だかわからない。
ニュースを見たら、今日のさいたまスタジアムのサッカーの試合中に、両チームのサポーターが何十人も乱闘し、それが他のサポーターにも引火して、最終的に試合そのものが中止されるという異例の事態となり、選手3人を含む21人が死亡したというニュースがあった。
冷静に考えてみればかなりの大事件なのだが、私は強烈な脱力感から全てがどうでもよくなり、ベッドに身を投げると、外が何だか騒がしいなと思いながら、バスローブにも着替えずに寝てしまった。
***
アラームで目が覚めると、ちょうど午前7時だった。何だかだるい。これは昨日のショックから冷め切っていないのもあるが、毛布をかけずに寝たから風邪を引いたらしかった。
起きてから、テレビをつけて昨日食べ残した冷めたハンバーガーを食べていると、最初に映った東京テレビはこの時間なのに、放送を休止しているとあった。続く大日本テレビももだ。
変わったこともあるなと思ってNHDをつけると、アナウンサーが血相を変えて、今現在都内各地で大規模な暴動が起きています。可能な限り外出は控えてくださいと叫んでいた。
学生運動でも起きたか? 私は嫌なことは続くもんねとうんざりして窓を見た瞬間、思わず息を呑んだ。窓から見える濁った川に、10人では済まない何人もの水死体が浮かんでいたからだ。
その周りの柵のところで、血だらけの小学生くらいの女の子が半裸で地面を這っていた。それを見た近くの大人がそばに駆け寄り、助けに行くのかとほっとしたら、その子を抱きかかえてうなじに噛みついた。
私はそれを見た瞬間、見てはいけないものを見てしまったような気がして、カーテンを閉めてその場にうずくまった。暴動で片付く言葉か? これ? 内戦の間違いじゃないの?
こんな時はSNSを見るのがいいのかもしれないが、私は親がアレだったので2020年にもなってまだガラケーを持たされていた。
アナウンサーは、付近の方で少しでも普段と違和感を感じ、話しかけても返事が返ってこなかった場合は、すぐさま離れてくださいと汗ばんだ顔で言っていた。
知り合いなんていないこの東京に、私が安心できる場はないのだなと、まだ状況を完全に飲み込み切れていないのにも関わらず、私は軽く絶望した。
親が心配だった。うんざりはしていたが、別に死ぬほど嫌いだとかいうほどではなかったので、北海道の方はどうなのかと心配になって電話をかけてみた。
まさかの1コール目で出た。どんだけ心配してたのか。今どこにいるのかと父に聞かれて、正直に東京にいると言ったら、言葉にならない母の悲鳴が聞こえて、空港まで迎えに行くから今すぐ帰ってこいと怒鳴られた。
それができたら苦労しない。窓から見える線路にはさっきから1両も電車が走ってないし、ホームには様子がおかしい人々がうようよいる。これ以上話しても無駄かと感じ、私は電話を切った。
それから間もなく、この暴動は何かの病原菌が原因ということと、感染は東京全域からすでに東北や関西にまで広がっているということが分かった。
そして数日後、電話回線がマヒして一切使えなくなった。両親は無事なのだろうか。こんな状況になってから送られたメールを読み返し、親の愛を痛感して私は静かに泣いた。
***
それからのことはよく覚えていない。
覚えているのは、部屋の緑茶のティーパックをしゃぶって飢えをしのぐことに耐えかねて、近場のコンビニから食料を調達しようとしたら襲われて、必死で逃げていたらホテルから遠ざかってしまったこと。
そのホテルの鍵や着替えや財布を入れた大事なボストンバッグを、途中でゾンビに掴まれて泣く泣く捨てたこと。
途中、キロスクの垂れ下がっていたグミやせんべいを万引きだと知りながらポケットに詰めて、毎晩普通の人間ならまず立ち入らないような場所でそれをかじったこと。
小学生の頃に国語の授業で読んだ『ちいちゃんのかげおくり』を何だか思い出した。あれは干し飯だったか。
道中、自分はいったいどこを目指して逃げているのか決めていないことに気づき、初めは実家に帰ることを望んでいたが、すぐに無謀と悟って諦めた。
何度も、いっそ私も感染してしまえば楽になれるのではないかと考えたが、その度にあの時襲われた女の子の最期が脳裏をよぎり、やはり私は子どもを食い殺すような化け物にはなりたくないと考えを改め、逃避行を続けた。
そうして、何週間も逃げて逃げて、たまたま目についたマンションに入ったらそこにも奴らが何体も潜んでいて、もはやここまでかと身投げしようとした時、まさに今私が横で寝ている森川誠一郎に助けられた。
まさか私が行きずりの男の家に転がり込む日が来るとは夢にも思わなかった。
あの時、私がスカウトの話をしっかり聞き、事前に下調べしてAVの会社だと分かっていたら、東京に来ることはなかった。しかし、北海道に留まってたら助かったという確証はない。
確かな現実は、私はこの男と一緒にやっていかなければならないということだ。下心を隠そうともしないこの男と。
ちらりと彼を見たら体ごと後ろを向いていて、髪が襟足とか全体的に長く、顔を見なければ女の子のように見えた。
森川誠一郎は、ここら近辺で生存者はここ最近見ていないと言っていた。もし、それが事実なら、いやもっと悪く考えてこの世界にもうまともな人間が私達しかいなかったとしたら、私はどんな風に死ぬのか怖くなって、結局また眠れなくなった。
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