はじめてのあきす 前編

「じゃあやってきますか」


 僕はベランダで履くには似つかわしくない革靴に靴ベラを使って足を入れ、ダッフルコートのトッグルを留めながら、ブドウ糖補給にラムネを噛み砕く。


「部屋に奴らがいないといいんだけど」


 かなめもスニーカーを履いてベランダに降り、結んだ靴紐をさらに堅結びして簡単には解けないようにした。服はよっぽど気に入ったのか、まだ僕の高校のジャージを着ている。


 僕らは今から泥棒をする。


 かなめを家に招いてから早10日。彼女とは嫌味を言いあうことはあれど激しい口論も、僕の方からは手が出ることもなく、当初思っていたより仲良くやっている。

 かなめは本は読まないが、漫画は好きで僕の持っている漫画を全て読破した。その後は、僕とそれについて考察や感想を語り合い、そこからどんどん話が飛躍して気づけば夕方になっていることもあった。

 これこそ僕が望んでいた孤独からの解放だったが、次第に話すこともなくなって僕がどうすればいいかと考えていると、彼女が画用紙で手製の将棋盤を作った。

 僕は将棋をルールは知っていたが、将棋盤は何マスが正解なのかとか細かな部分はよくわかっていなかったけど、かなめはそれを熟知していた。

 何でも、彼女の従兄弟にアマチュアの棋士がいて、よく手合わせをしてもらっていたらしい。そして、素人の僕はかなめのストレス発散にいいように利用されることとなった。

 勝つたびにドヤ顔で煽ってくるのが腹立つから、次こそは勝とうとムキになって負けて、より一層子ども扱いされて煽られるという悪循環。何回将棋盤を破り捨てて窓から投げ捨てようと思ったか知れない。

 一度など、負けた時に両方のほっぺたを引っ張られた時は、流石に頭突きの一つでもしてやりたくなったが抑え込んだ。その際に僕の器の大きさに自分で自分が誇らしくなった。

 まぁかなめの気が紛れるのならいいとしよう。かなめはよく寝ながら家族のことを夢に見て泣いていたから。

 ちなみに、かなめは今でも一人で寝れなくて、嫌々ながら僕と一緒にリビングで寝ている、流石に吐息がかかるほど密着はしていないが、それでも手を伸ばせば触れるくらいには近くで。

 毎晩毎晩自分との闘いである。ここに来て、自分でも知らない己の一面が分かった。僕、絶対家出少女とか匿っちゃいけないタイプの人間なんだろうな。間違いなくブタ箱にブチ込まれる。

 しかし、あんまりムラムラを溜め込みすぎて理性が崩壊したら本末転倒なので、少しは発散しようとある晩彼女が布団で寝ている時、こっそり手を握ってみた。

 すべすべして冷たくて、細い指の間に自分の指を絡めたりするのが思った以上に気持ちよかったので、ここんところ毎晩触っている。

 ただ触るだけじゃなく。クリームを塗ったりヤスリで爪を研いだりしたりもした。一回恐る恐るかなめの小指を口に咥えたら、急に指が鮮魚みたいに跳ねて舌を切られたので、もうやりたくない。

 意外と手を触れるだけで満足できる。前はもっとかなめのへそや前歯を舐めたいとか変なことを思っていたけど、性欲が減ったのかあまりそんなことは考えなくなった。悟りを開いたのだろうか。

 と、お互いに小さな悩みはあれど、結構仲良く遊んで暮らしていた矢先、愚かなかなめがやらかしたケジメをつけるため、僕らは今回未知の行為に手を染めることとなる。もっとも、これはいずれはやろうと僕も思っていたけど。


 ***


「まったく、かなちゃんが僕に隠れて食糧をこっそりつまみ食いしていたとはねぇ」


「……悪かったわよ。だってただでさえ一日二回しか食べれないのに冷凍パスタを半分ことかじゃ我慢できなかったんだもん。むしろ何でせーはそんな絶食慣れしてるのよ」


「僕は君と違って自分に甘くないだけさ」


「はーイヤミったらしい」


 前述の通り、僕は毎晩かなめの手を弄ぶのが楽しみだったので、昨日もそうしようと彼女が寝静まるのを待っていたら、かなめがのっそり起き上がって避難部屋の方に入っていった。

 その時点で何をする気なのか、おおよその察しはついていたから部屋に乗り込んだら、暗闇でいわしの蒲焼缶をかき込んで食べるかなめを発見した。僕に見られた瞬間に慌てて残りを口に入れたから、小骨を喉に刺して涙目で声を漏らしたのがかわいかった。


「よかったねー僕が優しくて。普通だったら今頃は裸にひん剥かれて吊るされて奴らの餌にされてるところだよ」


「せーなら裸にひん剥かれて吊るされる心配がないからつまみ食いできたのよ」


「あー怒りゲージマックスだわー罰として退去命令出しちゃおっかなー」


「は?」


 何だコイツマジ無理キレそう。

 ちなみにせーとは、かなめの僕に対する今の呼び名だ、最初は誠一郎だったが、誠一、イチロー、せっちーとどんどん略されて、最終的に「せー」と呼ばれるようになった。

 これ以上短くなったら、もう「あ」とかになりそうなのが不安で仕方ない。

 なお、かなめはこれが初犯ではなく、恐らく僕が寝ている早朝や昼寝してる時にもやってたのか、食糧がごっそり減っていた。別に言えばもっとあげたのに、そんな信用されてないんだろうか。

 と、なると僕らが餓死しないためにも食糧をどこかから見つけなければならない。しかし、流石に外に出て奴らの包囲網を掻い潜りながらスーパーに行って、重い荷物を背負ったまま五体満足でここに帰れる自信がない。

 なので、もっと手っ取り早く隣の部屋から拝借することにした。たくさんあるといいなぁ。


「この仕切り板は非常時の際は蹴破って隣に逃れることができます……ねぇ。でも見た感じかなり頑丈そう」


「そりゃ台風くらいで吹っ飛んだらダメだろうし。まぁ頑張ってみるよ」


 ベランダの端の隣室と僕の部屋の境界線となる部分には、薄い紫色の仕切り板がある。上まで届いていてよじ登って行くことはできない。材質はこれなんなんだろうか。石灰とかかな。

 これを今から革靴で蹴破って中に侵入する。手頃な鈍器がなかったから探しても使えそうなのがこのイタリア製の4万の革靴しかなかった。流石に掃除機は使えないけど掃除機より高い。しかし、時間も惜しいしさっさとやっていこう。


「せーの、ほり・きた・まきッ!!」


「堀北真希をかけ声に使うヤツ初めて見たわ」


 まずは一撃壁に与えたが、もうすでにへこんで拳大の穴には亀裂が入った。これなら人が通れるほどの穴を開けていくのも余裕だろう。これなら二部屋先の家のも今日中に漁れるな。


「よし、どんどんやってくぜ!」


  3分後


「ハァ……ハァ……ゼェゼェ……ゲホッ!ゲホッゴホッ!」


「……どんどんやってくんじゃないの?」


「……すいませんもう限界です」


「非力!」

 

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