第53話 宝亀三年五月 山背行幸 其の参 猿を捕らえる人

 甕原みかのはら加茂野かものを分かつように、泉川は大きく蛇行して流れる。天皇すめらみことが御座所とする加茂野第かもののだいからは、川の向こうに国分寺の塔が見える。川の流れに沿って西に目を移すと、やがて鹿背山かせやまにぶつかる。そして泉川は、山の北側を巡る方向に流れを変える。かつて恭仁京くにきょうの右京だった地域を横切り、更に大きく北へと向かい、宇治川との河合を目指す。このように蛇行する川のためか、北岸は崖が多く、南岸には緩い傾斜の河原が広がる。加茂野はこの河原に開けている。

 白壁天皇しらかべのすめらみことと縁の深い和氏やまとうじは、先代より加茂野に広大な屋敷を構える。近隣に住まう秦氏はたうじ狛氏こまうじと共に、乙訓おとくにや難波との交易に携わり、自由で裕福な暮らしを営むようになった。この人こそ、和史新笠やまとのふひとにいかさの父親だ。生前には天皇の長兄の家司いえつかさをしていた。それ以前には衛府に籍を置き、少尉しょうじょうにまで昇ったと聞く。

 その父親、つまり和新笠やまとのにいかさの祖父という人は更に興味深い。亡命百済くだら人だという。百済の変で国と父親を失い、母親と共に日本に来た時はまだ子供だった。成人する前に、やはり子供だった志貴親王しきのみこに仕えるようになった。扶余ふよの姓を名乗った王族の端くれだとの事で、浄御原女帝きよみがはらのみかど(持統天皇)から正式に百済王くだらのこにきし氏を拝命している。

 やがて和史やまとのふひと氏の氏長の娘と結ばれ、生まれた息子の一人が和史の家に入った。それが新笠の父親だ。このような経緯で、和氏は難波や摂津の百済王氏とも親戚付合いがある。

 白壁天皇は散位(位階はあっても無職)時代、内室の実家には大いに世話になったと、はばかる事無く口にする。宝字八年の変(恵美仲麻呂の変)の後、山部親王やまべのみこの妻子が厄介になっていたのもこの家だ。白壁王家の立場が大きく変わった今も、双方の付き合いは変わらず続いている。このたびの行幸でも、全面的な協力を惜しまない。


 山背やましろ行幸の三日目、この日も朝から皇太子ひつぎのみこの国内視察が行われる。昨日は鹿背山の西側、狛氏らの本拠を巡り、今日は泉川南岸を主に巡る。そのまま離宮には戻らず、加茂野第に入り明日未明よりの御狩りに備える。

 ところが、昨日も同行した近衛府の者の具合が悪いとかで、急遽、私が代行する事になる。然程の遠出をする訳でもない。残っているよりも気が楽かもしれないと、軽い気持ちで引き受ける。

 そして午後、視察の列は加茂野第に無事到着する。藤原中納言や中務宮なかつかさのみや山背守やましろのかみらは出迎えに現れたが、天皇は近衛大将や和氏の当主らを従えて、泉川上流の方へと出かけている。

 巡察などは行わないと言ったはずが、どうして勝手に動き回るのか。その様に愚痴を言うのは、当然ながら中務宮山部親王と山背守の藤原種継ふじわらのたねつぐだ。


 槻本老つきのもとのおゆと私は、皇太子の荷物を運びこむ舎人とねりらの監督をし、翌日の段取りを和氏やまとうじらと確認をする。その後、今日の宿となる加茂野第かもののだいの一角で休憩に入った。

 加茂野第は、大きなこおり大領たいりょう屋敷にも匹敵する規模を誇る。おかげで、近衛府や春宮坊の役職付きも、こちらで宿を取る事が出来る。私達が入ったのは、当主の息子、和史家麻呂いえまろの屋敷だった。ここも独立した屋敷だが、本家とは庭続きで、生垣で仕切られた程度の開放感がある。

御身おみ飛礫つぶて打ちというのを見た事があるか」

 屋敷の広縁に陣取り、私はおゆに問う。共に広縁でくつろぐのは、主の家麻呂と弟だけで、他の者らはそれぞれの持ち場に引き上げている。

「飛礫か。勿論、何度も見た事がある。国元にいた時には、得意としている者も何人か知っていたな。飛礫打ちがどうしたのだ」怪訝そうに老は聞き返す。

「飛礫ならば、この辺りの者も、結構、心得ておりますよ」家麻呂も不思議そうに言う。

「飛礫で猿を捕らえる様な事もするのか」

「追い払う事は、時に致しますが、さて」

 首を傾げる家麻呂は、弟に意見を求めるように顔を見る。

「捕らえるにしても、飛礫では具合が悪いでしょう。怪我をさせるか、下手をすれば死んでしまいましょうから」弟は答える。

 子猿ならば、生きて捕らえ、うまやで飼う手立てもある。猿が厩の守り神になると、信じる者も少なくない。

「まあ、そうだな。実際、飛礫打ちで死者が出る例も見た事がある」

 筑紫での出来事を思い出す。楉田しもとだの家の者らは、明らかな武器として飛礫を打っていた。

「都周辺やこの辺りでも、まじないや遊びで行います。しかし、狩猟や戦闘ではあまり聞いた覚えはありませぬな」家麻呂が言う。

「どこぞで、猿に飛礫を打って捕らえた者がいた訳か、つまり」老が問う。

「ああ。それも一発で仕留めたようだ。遊びの類ではないと思う」

「もしかしたら、どこかの豪農か寺社領の奴婢やっこやも知れませぬな。武器の類を持つ事が出来ぬやからで、そういう事を得意とする者がいるようですから」家麻呂の弟が、興味深げに首を捻る。

「しかし、猿を仕留めて如何いかがするのか。食べるとも思えぬし」

「思えぬな、この辺りでも郷里でも」老も首を傾げる。


 私がそれを見たのは、皇太子に従って国内を巡り、加茂野へ向かう道の途中だった。

 輿こしに乗るのが嫌いだと言う皇太子は、自ら馬の手綱を取っていた。私も少し後ろを騎馬で従っていた。先を行く近衛中将が馬上で振り向き、片手を上げて列の進行を止める。私は皇太子の傍らまで馬を進める。徒歩の舎人らも、皇太子の周囲を固めるように集まる。

「何事か」皇太子は誰にともなく問う。

「藪の内にたれぞ居るようです。舎人に見に行かせます故、しばしの御猶予を」前方より馬を寄せて来た近衛中将が言う。

 すかさず番長が、二人の舎人を藪の方に走らせる。

「あそこに猿がおるな」皇太子が鞭で少し先の方の樹上を示す。

「成る程、猿を追い払おうとしているのやも知れませぬな」中将が答える。

 示された枝の上に猿が一匹座っている。遠目に見ても、体の大きな大人の猿だ。この距離ならば、多少、凶暴な猿でも騎馬の隊列に手を出しはしないだろう。猿一匹に過敏になる必要もあるまいに。その様に思いながら眺めていた。その視線の先で突然、猿は短い鳴き声を上げ、藪の中に落ちて行った。

「何が起きた」皇太子が問う。

弓弦ゆづるの音も聞こえませんでしたし、矢も見えませんでした。恐らくは、飛礫を打ったのではないかと」やや年嵩としかさの舎人が低い声で答える。

「このような場所で不謹慎な」

「沿道の見張りはどうなっている。郡司らは領民に、皇太子の御列が来るのを知らせておらぬのか」

「藪の内の者を捕らえて参りましょう」

 周囲の近衛舎人らが勇み気味に言う。

「大事ない。あの者らは職務を果たしているだけであろう。咎める必要もない」皇太子が毅然とした態度で応える。

「ともあれ、様子を伺いに行っている者の報告を待ちましょう」私は声を抑えて進言する。

「ああ、そうだな」皇太子がうなずく。

 程なく戻って来た二人の舎人が報告する。

 舎人らが藪に入ると、里人らしい二人の者が、落ちて来た猿を回収している様子が見えた。声をかけようとする前に、逃げ出すように藪の奥に入って行った。しばらく行方を追ってみたが、地の利のある者らしく捜しだす事ができずに引き上げて来たという。


「皇太子は構わぬと言われて、その場は収まったが、俺を始め、周囲は納得しきれておらぬ。様子を見に行った舎人らも、居心地悪そうにしていたが」

「近隣の者が普段より狩りをするような場所です。下手に事を荒立てとうはないという、御気遣いなのでしょう」温厚に家麻呂が言う。

 この男も都で近衛の経験がある。双方の事情に聡いので、一概に責めはしないのだろう。

「その舎人らは、里人らしき二人の顔を見たと言うていたのか」老が首を傾げながら聞く。

「遠目ではあるが、一人の顔は確認できたようだ」

「それだけでも、何かがあった時の対処にはなろうな」

 何もないに越した事はないがと、小声でつけ加える。

 いずれにせよ、猿を狩る理由は分からないまま、尻すぼみに話を終える。老と私は一度、加茂野第に顔を出すためと家麻呂らに暇乞いをした。

 ところが屋敷の門を出ようとするその時、内舎人が一人、あたふたとした様子で駆け寄ってきた。

「中務宮様が、和気清麻呂様と槻本老様を御呼びにございます」

 挨拶もそこそこに、息せき切って遣って来たままに内舎人は言う。

「中務宮は何方におられる」我ながら緊張感なく問い返す。

「天皇の御座所です」

加茂野第かもののだいか。ちょうどこれより向かうところだ」

 こうして私は老と共に、疑問に思う事もなく山部親王の元に参上する。 

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