第47話 宝亀三年三月 同情する人々と連座する女

 天皇すめらみこと自慢の楊梅宮やまもものみやの庭園では、上巳じょうし節会せちえうたげが続く。

 一応、五位に名を連ねる私も、端の方に座っているが、宴などという気分ではない。それは周囲でぐだをまく、衛府の者らも同様だろう。

呑気のんきな歌を御作りになるな、大納言殿も」

「いや、私はむしろ同情する。これが終わればまた、御偉い女性にょしょうらに、聞き難い事を聞かねばならぬ立場ゆえにな」

 小声で話しているのは、右兵衛の四等官らだろう。ここのかみを兼任する右大弁の藤原百川ももかわも、大納言や中務宮なかつかさのみやと、皇后おおきさきや近しい内侍ないしの取り調べに当たる。

 広い池の州浜に座を設け、歌詠みで知れる御仁らが自慢の才を披露する。優れた歌を詠んだ者には、皇后が手ずから一献賜る。その趣向も、今年は当然ながら中止だ。

「尋問に当たる御偉方にしてみれば、この宴で、嫌な役目を一時でも忘れたいのであろうな」

「こちらとしては、歌詠みの宴などさっさと終えて欲しいのだがな」

 とは申せ、聞こえる声に緊張感はない。節会の宴は、この者らにも私にも、呪詛騒ぎを忘れられる束の間の息抜きなのかもしれない。


 宴も昼には終わり、夕刻近くになると、近衛府にも人影はまばらとなる。宿直とのいにつく者は持ち場に控え、少将らの曹司にも人気ひとけはない。それを幸い、船守ふなもり種継たねつぐは、私も交えてまたも内密の話を始める。他者には聞かせる訳に行かない内容だ。

「三年前の呪詛ずそ事件で、尋問者の筆頭は北家左大臣と大殿おおとのだった。あの時既に、大殿は皇后おおきさきの関与を存じ上げていた。そういう事であろうよ」無表情に近い顔で種継が言う。

「ではやはり、最終的な決定を下されたのは、天皇すめらみことだと御身おみは思うているのか」疲れがたまっているらしい船守は、いつにも増してやり切れなさそうな表情で問う。

「それは俺も思うている」私は言う。「太政官にはみことのりを発する権限などない。不自然に聞こえても、詔の形で呪詛を表沙汰にし、皇后の関与までを公表したのだから」

「あの大殿ならば、大臣おとどらがどうのこうの言うても、いざとなれば一蹴するだろう。この詔に若翁わかぎみが絡んでいるのか。むしろ俺には、そちらの方が疑問だ」

中務宮なかつかさのみやは異を唱えておられたのではないのか。槻本老つきのもとのおゆや俺を、春宮坊や皇后宮職に送り込んだのは中務宮だ。あの方は事を表沙汰にしとうはない様子だった。俺にはそのように見えた」

「然もありなむ。叔父上も言うていたが、若翁は家族に恵まれているせいか、いざという時に非情になり切れない。若翁では、皇后を断罪できまい。その詰めの甘さが、敵から付け込まれる弱点になる。それに、呪詛の対象は皇后なのだと、初めは信じていた。いや、今でも信じたいのやも知れぬ」

「何と言うか、俺などが言うのも僭越甚だしいのだが、中務宮は皇后に同情しておられたのではないのか。幼い頃から、自分の意思を持つ事を禁じられていた、その様な立場に置かれていたと」船守が呟くように言う。

「ああ、俺も聞いた事がある。そんな御方が、ようやくに意思を通そうとしたのが、他戸親王おさべのみこの事だったのやも知れぬと、その様に言うておられた」

「我々が同情するなど、それこそ僭越だろう。だが若翁は同じ皇族として、分かり合える事もあろう。幼い内に伊勢斎宮いつきのみやに定められ、あたら若い時を神の御許で過ごされた。それを会うた事もない弟親王みこの薨去で退下させられた。都に戻れば、父帝に命じられるまま、大殿の妃となられた」

「他戸親王の立太子を願い、他者をも巻き込む重大事にまでなった。その事に同情されているのだと思う」船守はまたも溜息をつく。

「やはり、皇后は呪詛を命じたのか」私は思い切って問う。

「命じはしたのであろう。だが、どこまで本気だったのか。若翁も言うていたが、案外、踊らされたのではあるまいか、周囲の者に」

「周囲というと、共に名の上がった女達か。いや、むしろ、件の陰陽師おんようしか」船守が皮肉気な笑みを見せる。

「まあ、どちらが言い出したにしても、県犬養勇耳あがたのいぬかいのいさみがいのうなれば、皇太子ひつぎのみこの出生を勘繰る者も減るだろう。そして中務宮がいのうなれば、天皇とて他戸親王を皇太子として認めざるを得ない」私もつい、侮蔑的な口調になる。

「そしてあのやっこが、手を貸そうとでも囁いたか。広上の弟に野晒しの髑髏されこうべを拾うてこさせ、呪いたい相手の髪の毛を盗ませたか。河原で物を拾うたり、他者の物を盗む事に躊躇せぬやからなど、皇后は存じ上げてはおられまいからな」

「そうだな、実際に手は下しておられない。さりとて、それで廃后が覆る訳もない」

 三年前に不破内親王らの命じた呪詛を井上内親王も承知していた。更には誣告があった事も分かっていながら、素知らぬ振りを通した。これが事実ならば、連座の罪に価する。そのような者を皇后の位に留めて置く事は、皇家のみならず、我が国の精神的根幹を揺るがす事となる。それ故に廃后を決定した。公式の発表では、このように言う。確かに大義名分は立つ。

「この度の呪詛の事は、太政官にすら馬鹿正直に上げられぬ。故に天皇の一存で、処置を決定したのやも知れぬ」私は更に言い、二人の顔色を窺う。

「確かに、下手に県犬養勇耳の名など出せぬ。皇后が一介の女孺を呪詛したなどと知れたなら、誰もが二人の関わりに疑問を持つ。要らぬ事を邪推するどころか、新たに要らぬ証言をする輩も現れるやも知れぬ」船守がうなずきながら応える。

「皇后の要望を聞き、紀益麻呂が呪詛を行おうとした。この事実もあからさまには出来まい。詔に言う呪詛は三年前に起きた。この度は、新たな証言や証拠によって、実行犯が判明した。それ以上の詮索は無用だ」種継は鹿爪らしく言う。

 しかし、実際に呪具を見たり、逮捕劇に加わった者らの疑問は晴れてはいなかろう。だが、下手な事を言いだせば、自らの立場も危うくなる。

 既に詔は下った。三年も前の事件に、今更あれこれ言うな。太政官や衛府の上層がそのような態度を示せば、下々は納得するしかない。

 そして今はまだ、あからさまに口には出さないが、多くの者らが思っている。皇后が地位を追われて罪に問われるのなら、その子である酒人内親王と他戸皇太子の立場はどうなるのか。廃太子も有り得るのでないか。伊勢斎宮候補の内親王にも影響は免れまい。


 意に適う者の夢に立ったところで、相手にされないと悟ったか、呪女まじないめ紀益女きのますめは今日も私の夢で愚痴を言う。

 悪態の主旨は、三年前に不破内親王と共に配流になった内侍ないしらが、決して無実などではないという事らしい。呪詛に消極的な態度を見せた挙句に、主犯に仕立て上げられ、名を奪われ遠流になった。所詮は要領の悪い小悪党だが、連座である事に間違いはない。

「つまり、主犯はあくまでも内親王だと、いましは主張しておるのだな」

「そうだ。あの出来の悪い伴侶と、更に粗悪な息子の即位に固執し、再三に騒ぎ立てた」

 伴侶とは八年の変(恵美仲麻呂の謀反)で処刑された塩焼王しおやきのみこで、息子は先に志許志麻しけしまろと名を変えられて流された皇子だ。

「だが、先の女帝みかどは常に内親王を庇っていた。死罪に値するが、都から追い出す事で赦すと。何故だか分かるか」

「異母妹だから、というだけではないのだな、その言い様では」

「ああ。あの方も連座者の一人だからだ」

「連座だと。意味が分からぬな。内親王は息子の即位を願い、女帝を呪詛したのだろう。どうして自らへの呪詛に、連座しなければならぬのか」

「以前に言うたであろう。私は内親王らに教えたのだよ、呪詛の方法を」

「内親王らとは、不破内親王と二人の姉か、もしかして」

「そうだ」

 三人姉妹の内、呪詛を試したのは末の妹だけだが、二人の姉も妹の行いを知っていた。そういう事なのか。不破内親王は神護景雲三年以前にも、騒ぎを起こしている。内親王らが益女から教わったのは、最初の騒ぎよりも前になるのだろう。

「女帝も、あの坊主がおらねば、いつ異母妹と同じ轍を踏んだ事やら。そういう意味では、道鏡法王に感謝せねばな」

「汝、あの坊主とは親しかったのか」

「いいや、互いに嫌うていた」

「そうであろうな」分かる気がする。

井上皇后いのえのおおきさき兄者人あにじゃひとがおらねば、道を踏み外す事はなかったやも知れぬ。まったく、禄でもない壮士おのこだ、我が兄は」

 この女はもしかして、兄とも仲が悪いのか。

「汝、以前に、益麻呂が好意を持つ相手がいると言うていたな」

「そうだったかな」

「その相手とは井上内親王か」

「ああ、そうだ。兄者人にしては珍しゅう、女人に同情して好意まで抱いてるようだ。先に夢に立って揶揄してみたが、相変わらず無視を続けおる」珍しく笑い声をたてる。

 呪女などと陰口を言われるが、思いの外、下世話な女だ。まじないの才などなく、貴人になど見初められずに、寺のはしための一人でいたならば、全く違う生き方が出来たのだろうか。

 私も心なしか、呪女と呼ばれる女に同情をしているらしい。

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