第45話 宝亀三年三月一日 不機嫌な中務宮
私は恐縮気味に近くの椅子を引きずって来て、親王から少し離れた辺りで座る。
「
こちらとしては新たな情報は殆どない。中衛の
「
取り敢えずの返事代わりに、僭越と思いながらも問いかける。
「ああ。皇后宮職のみならず、春宮坊や陰陽寮の者の名前も報告して来た」
「陰陽寮の者は私も確認しています。陰陽寮にいる
「御身の見つけた
「恐らくは。ここ最近、広上は堅石女を疑い始めていたようです。そのため、広上の弟は
弟は預かり物の中身を知らなかった。しかし、以前に姉から渡された
その様に重ねて報告すると、親王は再び窓の外に目を向ける。
「広上とやらが、足嶋の念珠を盗ませた。何のためとも、言うてはおらなんだのか」
こちらに向き直りつつ問いかける。
「姉も弟も目的までは分からない様子でした。指示された故に春宮坊の小者に命じ、盗ませて弟に渡した。弟は陰陽寮に戻り、指示した者に渡したのでしょう」
「指示をしたのは紀益麻呂か」
「恐らくそうでしょう。弟は姉に渡し物をする時、益麻呂から預かって来たと言うておりました故に。そして弟が帰ると、広上は寝殿に向かった。私が見た時には、床下を覗きこんでいましたから」
「そうか。では再び、足嶋に問わねばならぬな」親王は溜息をつく。
「足嶋がどのように関わるのかは、広上らの様子からは分かりませぬ。しかし、今朝方に口の軽い舎人から聞いたのですが、呪詛の相手は皇后様だけに留まらないと噂が囁かれている様子です」
「ああ、その類は私も聞いている。皇后や天皇だけではなく、
笑い飛ばしたいところだろうが、表情や口調を窺う限り、その余裕もなさそうだ。
「益麻呂に呪詛を依頼した者は、皇太子の実母の存在を知っているのやも知れませぬ。裳咋足嶋が動いたのも、実母や皇后が害されないようにと思うたのでは」
「依頼した者か。それが誰なのか、そもそも、依頼者がいるのか。まだ、殆ど分かっておらぬ」
「益麻呂自らが呪詛の張本人ならば、周囲の者を巻き込みはせぬでしょう。益麻呂自身、何度も皇后様に呼ばれて内裏に来ている。わざわざ
親王は私の話を咀嚼するように、何度か小さくうなずく。
「益麻呂が皇后の協力者だとすると、呪具と益麻呂は無縁と考えるべきか。では、広上の弟が預かって来たのは、御身の見つけた呪具ではない可能性が出て来る」
「そうなのやも知れませぬ。もしくは、あの呪具の目的が、私などの思う事とは違うのやも」
「なるほどな。例えば呪詛返しにでも使うのか」
「それこそ、その類の専門屋に問うのが早いでしょう。紀益麻呂の取り調べは行われているのですか」
「いいや。あの者は昨日来、行方が知れぬ」
案の定と内心で呟きつつもうなずく。親王はといえば、面白くもなさそうに、またも窓の外を眺める。
「陰陽頭は何か言うておりますか、呪詛や呪具に関して」
「専門ではない故、即答は出来ぬの何のと言い訳を言うておる。だがいずれ、矜持にかけてでも調べ上げはするだろう。それこそ、先の右大臣にでも教えを乞うて」
あまり期待はしていない口調だ。
「広上の弟は、裳咋足嶋を協力者だと言うておりました。もしかして、足嶋が何かを知っているのやも」
「その可能性も否めぬ。まずは足嶋を再び呼びつけ、更に問い質す。何を判断するにも、関係者らの目論見が知れてからだ」外に目を向けたまま、自答するように言った。
禄でもない騒ぎに巻き込まれた後は、大抵に置いて夢見が悪い。
「
「さあな。さしたる興味もないのだと思うが」
相も変らぬ男のような言葉遣いが、何とはなしに癪に障る。
「汝とは違うてか」
「私が興味を示すのは、特定の者にだよ」
「特定とは、皇位に近そうな御仁の事か」
まずは
「さてな。まあ、兄とて特定の相手には興味を示す。いや、好意を持つと言う方が近いやも知れぬな」
「好意か。誰に」
「見ていて分かろう」
「見るも何も、昨日より行方をくらませておるらしいぞ」
「そうか。逃げ足の速い男だ」
「次は何を企んでおるのか」
「知らぬ」
「汝は、俺以外の者の夢にも立つのか。兄や他の者とも話をするのか」
「稀に立ちはするが話はせぬ。言葉をかけても聞こうとせぬ者ばかりだ」
「なるほど。では、俺は相当なお人好しのようだな」
「まあ、そうだな。世の中にはお人好しも必要と言う事だ」
何をぬけぬけと言うか。ますますもって、腹の立つ女だ。
「大津大浦の夢にも立ったのか」
「いいや。あの狸がどうかしたのか」
「汝の知己を内裏で探していた」
「今の内裏に知己などおるのか。私自身にも分からぬぞ」
「それは幸いだ。幸いついでに聞くが、俺の見つけた
「
「そのような事は分かっておる。何をどうしたくて、野晒しなどを用いるのかと聞いている」
「野晒しである必要はない。重要なのは別の事だ」
「場所や時か」
「いいや、呪いの相手を定めるための物だ。大事にしている持ち物や、身に纏うていた物、場合によっては体の一部など」
「体の一部か……例えば」
この辺りまでは克明に覚えているが、後が思い出せない。益女は何やら深刻な顔で、呪詛に関わった者の事を二言三言語った。誰の事だったのか、まるで思い出せない。ただ、予想に反する者の名が上がり、それに対して自らが驚きも疑いもしていないのが意外だった。
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