第24話 神護景雲三年 因幡国赴任の事

 中衛府の独房は二日で引き払った。

 家には戻ったものの、暫くは謹慎処分で外には出られない。監視の者が付いているようで、家人けにんらの出入りにも目を光らせている。

 私が突発的な事件に巻き込まれた事は、あちらこちらの噂を寄せ合わせて、しつも大まかに理解をしているようだ。具体的に聞いて来ないのは、聞く事で恐れが現実になるのではと、更に不安を抱えているためか。子供たちにも言い含め、健気に接して来る様子を見るたびに、申し訳なく思う。

 九月十九日の県召あがためしで、私は因幡国いなばのくに員外介いんがいのすけ(定員以外の次官)に配置替えとなる。左遷以外の何ものでもないが、因幡国は近国(都から近い国)で上国(大国に次ぐ、順位の高い国)、地方勤務の先としては、決して悪くない。

 一月程度の猶予を以て、単身で任国に向かう事とする。家族は都に残しておく方が安心だ。地位あるの知人らの目があり、地方よりもはるかに治安も良い。妻子には決してとがの及ばぬようにすると、大納言宮も右大臣も約束をしてくれた。女帝みかどから見ても、小うるさい監視役のような老宰相ろうさいしょうが二人で、目を光らせてくれるのなら、大船に乗った気にもなれる。


 出発までの間、近衛府の上司や部下、私的な友人らが遠慮気味に、三々五々訪ねて来る。紀船守きのふなもり藤原種継ふじわらのたねつぐは言わずもがな、左中弁さちゅうべんの藤原雄田麻呂おだまろも何度かやって来た。

 この面子めんつが集まると、当然のように酒が出て、軽い愚痴を交えた情報の交換が始まる。

 当然ながら左中弁らは、私の受けた神託の内容は知らない。しかし宇佐派遣に乗じて、法王と弓削大納言が詰まらぬ小細工をし、私がそれを済し崩しにした。地方赴任は、法王らの仕返しから避難させるために、右大臣らが取り計らった手段だ。このように理解しているらしい。

「まったく、こちらの価値観など、ほぼ通じない。中央官界に不慣れなやからゆえ、予想に反するような事を平気でする」

 左中弁が憤慨しているのは、弓削大納言と取り巻きの連中だ。

 どちらかといえば人の良い法王は、ずる賢い弟らに操られている。このような噂は、少し前から耳にしている。先の偽神託などは、その最たる例だ。

「不安なのは、坊主にいんなどを与えた事です。今のところは、身内優遇の小細工に使う程度で済んでいますが、この先、何をするか分かったものではない」種継も畳みかける。

 法王宮職ほうおうぐうしき(道鏡法王のために置かれた、特別機関)にも、命令を刊行するために印が置かれ、普段は法王宮大夫だいぶ(長官)が管理をする。この印が、今や太政官印にも劣らない権限を有する。

 ここ最近の人事や叙位には、不自然な偏りが見られる。殊に法王の周辺に多いのは、内部で印を悪用する者がいるからに違いない。このような噂は、ひっきりなしに囁かれている。

「あのたわけは、孫娘を他戸王おさべのみこの妃に上げようと目論んでいる。行く行くは、新たな天皇すめらみことの外戚になると、未だに妄想を捨てておらぬ。何にしても気を抜けぬな」

 案外、冷静に言うのは、近衛大将の藤原蔵下麻呂くらじまろで、戯けと呼ばれるのは、当然ながら弓削大納言だ。

「そのような坊主の身内を押しのけ、まずは御方おんかたふところに入るのが肝要。その辺りは、叔父上や若翁わかぎみに任せると致しましょう」種継がおどけ気味に言う。

 左中弁も近衛大将も、種継から見れば叔父に当たる。三人とも、大して年は離れていないので、傍から見れば仲の良い兄弟だ。

「まあ、あの方も侍従じじゅうとして、御方には気に入られているな」私は良く分からないままに相槌を打つ。

 ちなみに、種継が御方と呼ぶのは女帝で、若翁とは山部王やまべのみこだ。

「その通り。そして大声では言えぬ、ここだけの話だが、坊主に替わって次に、御方の寵愛を得るのは若翁だ。俺たちはそのように踏んでいる」

「あまり、大概な事は吹聴するな」近衛大将は、種継の後ろ頭を平手でたたく。

「寵愛はともかく、御方が迷うておられるのは確かだ」左中弁は深刻そうに言う。

「それは神託の結果ですか」近衛大将は聞き、少しばかり私に視線を向ける。

 三人ともに、神託の詳しい内容を知りたいのは山々だ。しかし、こちらとしても緘口令を布かれているのだから、仄めかすだけでも罪に問われる。

「いいや、神託騒ぎ以前からだ。数年前に死んだ呪女まじないめが、吹聴した事を憶えているか」

 左中弁の口から思いがけない名前が出て、またもや私は身構える。

「もしかして、若翁を見た呪女が、皇嗣に相応しいのはこの人だと言い出した、あの事ですか」種継は珍しく真顔で聞く。

「罪人として流したものの、一時は信頼して側に置いた者だ。御方にとっては、笑い飛ばせぬ言葉だったのだろう。そして忘れた頃になり、神の使いが夢枕に立って、どうのこうのだ」

 この人たちは、女帝が宇佐うさ大御神おおみかみに問いかけた内容を、どこまで知っているのか。皇嗣選定についてという程度は承知しているようだ。神託を受け取り更に迷う様子から、望み通りの答えが得られなかった事も、推測しているはずだ。

「あの女の尋問に当たったのも御身おみだったな」種継が私に言う。

「御身の聞きたい事は予想がつく。しかし、俺の口からは何も言えぬ。大臣おとどらからも、神託に関しては口外するなと釘を刺されているゆえ」

 この三人、藤原式家の望みは白壁王しらかべのみこに同様、山部王が皇嗣として立つ事だろう。もしも、他戸王おさべのみこの出生を知ったならば、それを全面に押し出して来る事もあり得る。

 果たして女帝は、他戸王が井上内親王いのえのひめみこの子ではない事を隠し通すのか。もしも明るみに出た時は、どの様に対処をするのか。

 実母の明基尼は、県犬養あがたのいぬかい氏の出身らしい。この人に橘朝臣たちばなのあそみ(元明天皇の御代に県犬養三千代が賜った氏姓うじかばね)を賜姓すれば、皇太子にする事は適うだろうか。しかし、それならば山部王の生母にも、それなりの氏姓を賜って、同じ立場にする事も可能かもしれない。式家と女帝が共謀したならば、その程度の横車は簡単に押すだろう。

「まあ、この度の騒ぎで、あの女の言葉を御方が思い出した。そういう事なのだろうな」左中弁が口の端で笑う。

 当然ながら、私は否定も肯定も出来ない。


 九月の二十日過ぎ、少人数の資人とねり家人けにんを伴い、私は都を発つ。監視の名目で派遣された衛士えじは、実のところ護衛に等しい。これも高官らの計らいだ。

 因幡国には、陸路で五日もあれば到着する。因幡守いなばのかみは左大弁も兼任のため、遙任ようにん(任地に下らず都に留まる)している。在地の責任者には、私の身の安全を確保せよと命じてくれた。因幡すけ大伴潔足おおとものきよたり、都でも地方でも経験豊かな実務派だと聞く。この人の元ならば大丈夫だろうと、左中弁らも言う。

 まずは、都から離れた場所で骨休めをする。この程度に構えておいても良かろう。自分に言い聞かせる。ところが悪い知らせは因幡国府の手前、追い抜いて行った早馬がもたらしてくれる。


大隅国おおすみのくに……」

 かくして私は絶句する。

「この秋以降、このいんを用いた通達は、太政官通達と同様に扱えと命じられている。こうもあからさまに突きつけられては、国府では如何いかんともしがたい」まさに苦虫をかみつぶした表情で大伴潔足は言う。

 手にする命令書には、所狭しと大ぶりの印が押されている。その文字は法王宮印と読める。出発前の種継らの懸念が、早々に目の前で具現化した。

 官位を剥奪し、官人としての籍も削り、身柄は大隅国に移せ。これが通達の大まかな内容だ。

「法王宮大夫が、このような命令を許すとは思えぬ。坊主の腰巾着のたれぞが、無断で通したとしか思えぬ。大夫らの署名も、筆跡を検めればにせと知れる。太政官にも上げず、独断で早馬を出したに決まっておるわ」

 頭の中が白くなった私に対し、初老の介は怒りに血が上っているようだ。

「これでは、かみにも面目が立たぬ。かつて恩を受けた大臣おとどからも、御身を粗雑に扱うなと言われている。せめて、大隅国までの海路は、国府の兵らに命じてでも、身の安全を確保する」


 こうして私は、因幡国の津から船で、筑紫の南の果てへと向かう羽目になった。

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