第23話 神護景雲三年八月 大納言宮の告白
再び、
あの時の私はといえば、
胡散臭すぎる書状を受け取りはしたが、帰還の船を待つ間も開く気にはなれない。何とか中身を検める気になったのは、最初の寄港地でだった。
殆どの者が下船し、二人の
奏上の形式は整っているものの、何とも身勝手で
阿曾麻呂という男は、事務屋としてはそこそこ有能かもしれないが、文をしたためる感性に欠ける。溜息混じりに、書状をたたんで懐に押し込む。
出港した後も、この書状を太政官にでも提出してやろうかと、少しばかり悩んだ。しかし、船が陸から充分に離れたところで、再び書状に目を通し、そのまま二つに引き裂いた。更に幾度か、
海風を受けながら、私は一人で笑っていた。遠巻きに水主が一人、不思議そうに見ていたが、やがて納得したように笑ってうなずく。家族や周囲の者には言えない相手から受け取った、後腐れになる文を処分したとでも思っているのだろう。確かに、それで間違いはない。
「このような馬鹿げた企み、私が潰さのうとも、藤氏や紀氏の実力者が、こぞって覆しにかかるとは思いました」
気を引き締めるつもりで、私は大きく息を吐く。
「だが
「愚かしい事を致しました」うなずくついでに目を逸らす。
「何を言われるか。御身の言葉には、
再び顔を上げ、大納言宮を見る。端正な目元には、人の良さそうな笑みが浮かぶ。公卿らは、このような表情の下で何を考えるのか。額面通りに捉えるな、都に来てから散々に言われ、覚えた事の一つだ。
「人臣、位を極める程の者にあれば、誰を君として仰ぐべきか、適切に知らねばならぬ。間違った者を仰ごうものならば、共に倒れる事とてあり得る。仰がれる側も、この者であれば信頼に足ると分かろう。あの者らは、それを分かっておるのやら。いずれ、分かる者らに追い落とされよう。しかし、それまでに要らぬ毒を撒き散らす。若い頃より、私が幾つも見て来た、皇家と権門らの内紛だ」
私ですら、既にいくつか目の当たりにしてきた。皇家に生まれたこの人ならば、更に生々しい様を見せつけられてきたのかもしれない。
「そして我が
「
「ああ。阿倍様が他戸を皇嗣にと言い出さねば、私も
「最初から御存知だったのですか」
この言い回しでは、夫婦で共謀した訳ではなさそうだ。内親王と
「室も私が嘘に付き合うている事くらい、最初から承知している。明基尼、
他戸王が皇嗣の候補である限り、井上内親王を母親と認め、罪を問う訳にも行かない。むしろ、他者を切り捨てた方が手っ取り早いか。こうなれば、明基尼や私の姉もそちらの側に入る。それを知った私も同罪か。更には、弓削浄人の逆恨みも存分に加わる。最悪としか言いようがない。
「だが私は、他戸を
「望んでおられない」つい、
「それがこの先、波風を立て、要らぬ騒ぎを起こすやも知れぬ。私とて人の子、人の親だ。もしも、
誰を望むのかとは、さすがに問い返せない。だが、これまでに
その人は生まれた時から、大納言家の嫡男として望まれていた。しかし、生母の身分の低さのために皇嗣にはなれない。
「この後の事はよい。今はただ、御身に侘びを言わねばならぬ。御身にしてみれば、上位者らの勝手で理不尽な目に遭うであろう。私では力及ばぬ事も多い故に済まぬ」
大納言宮は
「だが、永手や
「私ごときに詫びられますな。御身様に気をかけて頂くだけでも勿体ない」
これだけの人に侘びを言われる価値が、私になどあるのか。思うだけで恐れ多く心苦しい。
「神の名を騙るような
今度こそ、大納言は深く頭を下げる。私はといえば、答える事も出来ずに、その場に膝を折って低頭した。
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