第22話 神護景雲三年八月 もう一つの神託

 翌朝、神意を得た事を告げ、帰京の旨を申し出る。神司かむつかさらは速やかに用意をすると言い、私はしばしの休憩をとる。この後にもう一度潔斎をし、神前にて退去の挨拶をする。

 それを待ち構えていたように、中臣習宣なかとみのすげの阿曾麻呂あそまろが現れた。この時の私は、露骨に胡散臭げな表情を見せたようだ。何せこの男の事などすっかり忘れていた。阿曾麻呂もいささか怪訝な視線を向けると、やおら懐から文らしき折り畳んだ紙を取り出す。

「ここでは開いて下さるな。帰路の船の上で熟読し、内容を良く憶えて頂きたい。憶えたならば、誰にも見られぬように処分して下され。求められたなら、これを奏上されたし。ともあれ帰京の後は、弓削様のご意向に従われますよう」

 弓削様とは言わずと知れた大納言だ。宇佐に行ったなら阿曾麻呂に会えと命じた張本人だ。


 ともあれ、阿曾麻呂の言葉に従い、帰路の船上で文を開いた。読んでいる内に馬鹿馬鹿しくなって来た。

 阿曾麻呂は処分しろと言ったが、一層の事、左大臣にでも渡してやろうかとも考える。それも芸がないと、答えを求める高官らの前で打った大博打の末、中衛府の独房で厄介になる羽目となる。


 対峙する呪女まじないめは憐れむような眼で私を見る。

いましの予言の顛末がこれだ。いい加減な予言など迷惑なだけだ」女を睨み返して毒づく。

「予言は外れてはおらぬ。汝は龍の争いに巻き込まれておろう」

 薄気味の悪い笑いを見ていると、更に腹が立って来る。同じ夢の御告げでも、宇佐で見た夢とは大違いだ。いつまで、この性悪女に付きまとわれるのか。

「俺は女帝みかどに忠誠を誓うゆえに、大御神の夢は有りのままを述べた。坊主と弟らの企みなど、皇家にあだを成すだけだと思うて、一生一代の張ったりも並べた。その挙句が、首を刎ねられてもおかしゅうない事態だ。龍に喰らわれるのではない。河内の田舎坊主どもの餌食になる羽目だ」

「案ずるな、汝はここで死にはせぬぞ。本当の龍たちは、そこまで愚かではない。遠からず汝の仕えるべき龍は頭をもたげる。その時を見誤るな。私にできる口添えはその程度だ」

「口添えのつもりか、それが」

「私の代わりに汝が使えれば良い、その龍に」

 そう言った呪女の表情は、心なしか悲しげに見えた。


 龍とは誰か、そう聞く前に目が覚めた。小さな窓しかない独房なので、朝になっても大して明るくない。一晩過ごしてみて、もう一泊しろと言われたら遠慮したい。寝床にふすまは敷かれているが、薄すぎてあまり役に立っていない。それ以上に風通しの悪い室内は、熱も湿気も籠って不快さが増す。立ち上がって体を伸ばしていると、宿直とのいの中衛舎人とねりがやって来る。

「朝食をお持ち致しました」少ししかつめらしく言い、大きな椀でかゆを差し入れる。

「なかなか、悪うない待遇だな」冗談に行って見る。

御身おみ様は罪人ではありませぬゆえに」またも改まった口調で言葉が返る。

「獄におるのに、罪人ではないとは奇妙であろう」

「身柄を預かっているだけなので、無闇な事はするなと命じられています」

「中衛大将からか」

大納言宮だいなごんのみや様からです」

「ああ、そうか」答えてはみたが、納得している訳ではない。

 分かっているのは、衛門督えもんのかみに私の身柄を渡さないよう、中衛府預かりという処置を取っている事だ。あの右大臣と大納言宮が目を光らせているのだから、呪女の言った通り、今日明日の内に首を刎ねられる事もあるまい。


 少しばかり聞こえて来る舎人たちの無駄口によれば、女帝の機嫌はかなり悪いようだ。具体的に何に気を悪くしているのか、中衛舎人では知る由もない。そして暇を持て余す私も、推測をするくらいしかできない。

 私が最初に告げた神託を疑っているのか。誰かと諮って勝手な内容を作り上げ、それを告げたと思っているのだろうか。しかし、他戸王が井上内親王の実子ではないと知れて、誰が得をするのか。今までに皇嗣候補に上げられた諸王みこらか。

 そうではない。名が挙げられたのは、他戸王おさべのみこ山部王やまべのみこの二人だけだ。山部王は私と共謀して、自らの存在を大御神の名で売り込んだ。他戸王の実母が井上内親王いのへのひめみこではなく、出家前の明基みょうき尼が白壁王しらかべのみこの妻女だった。それらの事も、事実無根の作り話だ。そのように女帝は解釈したのか。

 だが、あの場にいた左大臣や大納言宮は、神託に対し落ち着き払っていた。他戸王の出自を知っていたに違いない。そして、女帝以外の三人が共謀して私をうごかした。私がここにいるのは、弓削大納言だけではなく、女帝からも身を守るためなのか。

 このような想像をしてみても、あまりに納得はできない。あの神託は紛れもなく事実だ。あの場にいた人達は、他戸王と二人の母親の事は、既に知っていたのかもしれない。それを踏まえて、他にも皇嗣に相応しい皇子みこを示して欲しかった。しかし答えは、二人の皇子の何れを選ぶも、覚悟をせよとの内容だった。

 もしかして神託云々以前より、女帝の腹の内では、夢に告げられた二人が皇嗣候補だったのか。母親の身分が低い山部王では、あからさまに日嗣ひつぎにはできない。しかし、大御神が指名したという事実があれば、可能になるのではないのか。逆に否定されたのであれば、それはそれであきらめもつく。期待したが、はっきりとした答えが返ってこない。これが女帝の不機嫌の原因か。

 やはり馬鹿げた想像だ。神意を伺えと命じ、それが意にそぐわないから怒っている。これでは子供の所業だ。むしろ、弓削大納言の下手な陰謀に腹を立てていると解釈する方が納得が行く。しかし、これに道鏡法王が加担しているとなれば、怒りの方向は別に向く可能性もある。

 あの時の様子から思うに、法王は大納言が私に命じた事に、全て同調していたとも思えない。全貌を知らなかったのかもしれない。だが、法王が弟を罪人にする事を黙って見過ごすとも思えない。

 そして、女帝の怒りの矛先をそらすために、為政者らは贄となる羊を用意する。最適な者は誰か。問うだけ愚かしい。他戸王の出自を知った私を、無罪放免と野に放つのは危険と考えるに違いない。

 私一人が覚悟を決める事は出来る。しかし、とがは妻子にまで及ぶ可能性が大きい。姉や明基尼も同じ目に合うかもしれない。場合によっては、白壁王と井上内親王にも、何かしらの罪を問う事も考えられる。

 さて、如何いかがすべきか。この独房内では、愚かしく想像を巡らせる以外、私には何もできない。知己に連絡を取る事も適わない。


 悶々としたまま横になって目を閉じていると、いつの間にか眠っていた。扉の開く音で目が覚める。夢を見ていたが、体を起こした先から忘れる。船に乗っていた事だけは、何となく覚えている。

 二人の舎人が入って来て、立ち上がった私のあちらこちらを探りまわす。女帝らに謁見する時にも、ここに入れられる時にも同様な身体検査をしているので、物騒な物などは当然出て来ない。その後、私の朝服を差し出して、着替えるように言う。身支度が済むと、舎人について房から出る。待っていた六位の将監しょうかんが言う。

「大納言宮様が、中庭で話をしたいと言われて御出おいでです」口調はへりくだり気味だが、ついて来いと顎をしゃくる。

 中衛府の中庭は、様々な訓練に使われるため、殺風景なほど何もない。将監と私が入ると、舎人を引き連れた大納言宮が屋舎から現れる。そして庭の真ん中で、皆を下がらせて私と二人だけにしろと、将監に命じる。

 今日は雨でも降り出しそうな曇り空だ。風は弱いが、暑い最中の立ち話も、然程は苦になるまい。


 庭の内には大納言宮と私だけが取り残される。屋舎の脇や内から、何人かの中衛舎人が監視の目を光らせるが、声の届く距離ではない。藤原種継の曽祖父が、白壁王の父親を見習ったという密談の形だ。見渡せる場所で、誰が動いてもすぐに対処ができる。

「面倒な事になった」開口一番に大納言宮は言う。

 私は問い返す事も出来ずに、次の言葉を待つ。

「御前にて今一度、御身おみただしたい事がある。そのように大臣おとどらと話し合うた。ところが得心せぬ者がおる。必要ない故に、早々に処分をせよとまくし立てる。相変わらずの小心者が、この度も話を詰まらぬ方向にややこしゅうしておる」

 言葉は愚痴にも聞こえ、不思議と威圧感はない。こちらを不必要に警戒する様子もないが、値踏みをしている可能性は大きい。

「そう言うているのは、弓削大納言ですか」私は遠慮気味の口調で問い返す。

「いいや、法王だ」大納言宮は苦笑する。

 この人と法王は、若い頃からの知り合いだと聞いた事がある。

「御身が神託の奏上をした後、あれが奇妙な事を言いだした。昨夜の夢に、大御神の使いらしい者が現れた。その者が言うには、御身には更に特別の神託を授けた。それは女帝みかどと自らに関係する事だ。故に、再び御前に召すべきだ何のと。こうして御身も我々も、法王や弓削大納言の前に呼ばれる羽目になった訳だ」

「やはり、そのような事でしたか」私も苦笑したくなる。

「御身にも察しはつこう。あの小心者は、浄人にとがの及ぶを恐れ、女帝や太政官に横車を押そうとしておる。愚かしい小細工をしたのは、浄人なのであろう」

 法王を小心者呼ばわりし、高官を平然と呼び捨てにする。これが皇族の余裕というものか。

 白壁王という人は二世王にもかかわらず、内舎人うどねりから官界生活を始めたという異例の経歴を持つ。難波宮なにわのみや恭仁宮くにのみや紫香楽宮しがらきのみやと、造営事業に大きく関わった後、一時は長く官界を退いていた。十数年ぶりに返り咲いた途端に八省のかみを務め、気が付けば参議も経ずに中納言として太政官入りした。今は左右の大臣からも一目置かれる曲者だ。

「弓削大納言は、何か言うていますか」私は更に聞いてみる。

「坊主の陰に隠れて出て来ぬ、いい年をして」苦笑交じりに溜息をつく。坊主とは当然ながら、兄の道鏡法王だ。

 女帝も法王も、この人には大きな借りがある。そんな噂も耳にした事がある。こうして言葉を交わしていると、あながち噓でもなさそうに思える。

「宇佐に行く前、御身はあれらから何かを頼まれたのか」少しばかり表情を殺して聞く。

「向こうに行けば、大宰府から来ておる者がいるゆえ、その者からの指示を仰げと言われました」

「その者と弓削の兄弟の関係は聞いておるか」

「都にいた頃は近衛舎人で、弓削大納言の部下だったそうです」

「なるほど。手間の割には稚拙な小細工のようだ。その者の指示とは何だったのか」

「向こうを発つ際に書状を渡されました。その内容を頭に入れ、請われたならば奏上しろ。内容を覚えたならば、書状は人目につかぬように処分しろという次第です」

「なるほど。そして御身は、そこに書かれていたのとは逆の事を奏上したという訳か」喉の奥で微かに笑い声をたてる。

「御明察の通りです」

「幼い者を位に即け、浄人を大臣にせよとでもあったか。さもなくば、道鏡を女帝と共に並びたて、共に太上天皇として扱えとでも」ほとんど真顔で言う。

 やはりこの人は、海千山千の上級官僚で、正真正銘の皇族だ。田舎者らの愚行など想像するのも容易いのだろう。

「まずは、法王にも天皇すめらみことと同じ権限を与えよ。そのあかしとして、新たな皇太子ひつぎのみこの妃には、法王の身内の娘を入れよ。そして即位の後は立后させよ。この後は、弓削御浄朝臣がこの国の最上臈さいじょうろうの家となる云々」

 気圧されながらも、何とか平静に答えたが、大納言宮は殆ど表情を動かさない。

永手ながてがこの場にいたならば、怒り狂うのが目に見える。田舎者らに外戚の地位は務まらぬ。永手にしてみれば、祖父以来、外戚は自らの家の役目と思うておるゆえ」相変わらず笑いもせず、穏やかに言う様は何やら恐ろしい。

 左大臣を呼び捨てにするなど、今更、驚くにも値しない。皇族官人の最上臈、筆頭大納言の白壁王という御仁は、決して無力でも無能でもない。 

 

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