第20話 神護景雲三年八月 神託と神託まがい
「龍の争いとはこれか、何とも解せぬが」
独房の内で毒づいてみるが、
私が今いるのは中衛府の牢獄だが、幸いなのは独房で、見張りにつく中衛舎人も至ってまともな事だ。これが衛門府の獄ならば、今頃は呑気に横になってはいられまい。
かなり厄介な事になりそうだと、宇佐を発つ時より思っていた。都に戻ったのは、今日の朝方だった。家に戻っても家族と話す猶予もなく、身繕いをして近衛府に向かう。すぐさま太政官から呼び出しがかかり参上する。右大臣らから、帰還を労われるのも束の間、直ちに
派遣の命令を受けた時に同様、女帝の前には
女帝は自ら私に労いの言葉をかけ、
「
いざ、口に出してみれば肝も座る。最初は朧気でしかなかった夢が、次第に断片を表すようになり、ようやくに一連の出来事のように示された様を奏上する。
女帝の表情は御簾に遮られて伺えない。微かに首を振るような動作を見たのみで、大きな動揺もなさそうに思える。そして二人の高官と姉も、表情を固めたまま私の言葉を無言で聞く。
書記官もいなければ、護衛の
大御神の御前で見た夢は、回を重ねるごとに信じるに足る内容だと納得ができた。しかしそれは、ある人が隠しておきたかった事をあからさまにする行為にも通じる。奏上への迷いはあったものの、私個人が背負うべきものではない。判断をするのは、この神託を欲した人達だ。
この後、御前より一旦下がって支持を待てと命じられる。分かっているのは、これで帰れる訳ではないという事だ。恐らくは、更に厄介な事が控えている。
案の定、一時もしない内に再び御前に召される。今度は、主だった高官が顔をそろえている。女帝は御簾の向こうだが、先程に左大臣のいた位置には、道鏡法王の席が共に並び、大納言宮の位置には吉備右大臣が控える。そして二人の大納言も顔をそろえている。更には、先程はいなかった書記官も、部屋の隅に控える。
これから始まる、気違いじみた厄介事に胸が悪くなる。法王と弓削大納言の兄弟の顔を見て思う。御簾の向こうの女帝も、この事に関与をしているのか。恐らく、左右大臣と大納言宮は部外者だろう。
再び頭を下げた私に、法王が言う。宇佐大御神は、使者に更なる言葉を預けていると、今朝方の夢で御告げになられた。
これから
左大臣と大納言宮はといえば、この度も古い神像のように無表情だ。それに反して右大臣は、興味深げな眼差しを弓削兄弟や私に向ける。
この人たちが椿事の部外者だとしたら、法王の言う朝の御告げとやらは、寝耳に水かも知れない。どのような言葉が飛び出しても、迅速な対処をするために考えを巡らせ、人や物を動かそうと用意しているのだろう。皇家や藤氏の培って来た権威や権力、組織や人脈が、それを可能にさせる。弓削兄弟などよりも、こちらの方が余程に恐ろしい。
「御言葉の通り、宇佐大御神は更に仰せになられました」どうにでも、なるようになれと腹を括る。
「それを申し上げよ」大納言、
先の報告に比べれば、あまりに陳腐な状況だ。一同に目を向けながら思う。
「大御神は、このようにも仰せになられました」
こうなった時に告げるべき言葉を帰途の船の上で何度か考えていた。それが巧くまとまった訳ではない、出任せとばかりに口を開く。
「この国は
最後の方は、つい声が大きくなる。言い切って、一度深呼吸をする。まるで、教練で兵士らに檄を飛ばした後のようだ。お陰で胸中は、嫌になる程に冷めている。
私が口を閉じた後、誰も何も言おうとしない。言い回しがいささか稚拙だっただろうか、私は顔を伏せて見当はずれの事を考えつつ、次の反応を待つ。
「あるべき姿に戻すが良い、それが大御神の御言葉なのだな」低い声が問う。宇佐の大御神の夢に聞いたのと同じ声だ。
「
「神託です、
その傍らでは、弓削大納言が顔を青くして怒りに震える。ここで誰かが声をかけようものならば、大声で叫び出すだろう。この
「ただ今の託宣、違わずに書き留めたであろうな」左大臣
「筑紫まで赴く程の大役、実に大儀であった、近衛将監。では、陛下、この者を下がらせても宜しいですかな」右大臣が私に言い、更に女帝に問いかける。やはり、どこか楽しそうな表情に見える。
「下がらせなさい。しかし、次の指示を出すまで、身柄は留めて置くように」御簾の向こうから聞こえる声は、どこか張りがない。
やはり女帝は、法王らの企みを知っていたのだろうか。道鏡法王に目をやれば、どこか気抜けしたような、安堵にも見える表情を浮かべている。この御仁は、必ずしも弟の考えには同調していなかったのかもしれない。
弓削大納言は、あからさまな怒りに顔を引きつらせる。伏し目がちに表情を押さえた大納言宮とは対照的だ。左大臣はといえば、難しい顔をして一堂に目を配る。私の口上に対し、次に打つ手は
こうして神託と神託まがいを上告し、お役御免になるはずだった。しかし、案の定、それは適わないようだ。
待てと言われた部屋に入って幾らもしない内に、中衛大将も兼ねる右大臣がやって来る。前置きも説明もなしに、邪魔が入る前に行くぞと言い、自ら私を中衛府に連れて行く。そして、部下に何やら指示を出し、しばらくはここで身柄を預かる事になった云々と、案内された先は独房だった。
かくして、家に帰るどころか近衛府にも戻れず、牢獄で一夜を明かす羽目になったという次第だ。
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