第17話 神護景雲二年-三年 有頂天の顛末と内親王の事

 大方の者が忘れた頃、隅寺すみでら仏舎利ぶっしゃり騒ぎに新たな展開が見えた。神護景雲じんごけいうんに改元されて二年目、十二月に入ってすぐの事だった。

 先の司召つかさめしで私は近衛将監になり、位官ともに船守と同じになった。昇進はしたが、実務の多さは変わらず、責任は重くなる。それは船守や種継も同じで、ここ最近は、いずれかの家で憂さ晴らしに酌み交わす事が多くなった。

 今日も今日とて、右京四条の種継の屋敷にいる。少し前まで、奥で子供の泣きわめく声が聞こえた。二年前の謀反騒ぎの後も、正室とは別れずに同居しているようだ。

「ようように、坊主らの化けの皮が剝がれ始めた」楽しそうな種継は、手酌で何杯目かをあおる。この酒豪には、勝手に飲ませておくに限る。

「あまり大声で言うな」船守は嗜めつつも、注げと言わんばかりにつきを出す。

ちまたの陰口だ、太政官の御偉方の耳にも入っている。御方おんかたくだんの坊主の耳は知らぬが」

「実のところ、件の坊主は、基真きしんを利用したのか」私は種継に問う。

「弟子だと言うのだから、その可能性は大きかろう」こちらにも酒瓶しゅへいを出しながら、種継は笑う。

 件の坊主と呼ばれているのは、勿論、道鏡法王だ。そして弟子の基真禅師は、二年前に仏舎利出現を予感した功績により法参議の地位を得た。元々、増上慢ぞうじょうまんと呼ばれた素行が、これで更に尊大になった。

「だが、基真の行為で、坊主らが利を得たとは思えぬな」私は坏を上げながら言う。

「弊害を被ったのではないのか、むしろ」船守が笑う。

 法参議に就任後の基真禅師の評判は、すこぶる悪い。例えばある時、ある五位の官人に、往来で道を譲らなかったと言いがかりをつける。更には、それに対する謝罪がないと、いずれのつかさも無視して私的な制裁を下す。またある時には、見目の良い子供を見初めたと、親兄弟に対して修行童子に差し出せと強要する。更には、僧侶の立場で知り得た弱みや秘事をかたに取り、あちらこちらで様々な脅迫行為に及ぶ。こうして巻き上げた金品を喜捨だと言い張る。このような細かい事まで上げ連ねれば、両手両足の指でも足りない。

「まるで坊主の皮を被る追剥おいはぎだ。おどしやたかりを何とも思わぬ。どうして、あのような者が僧侶になれたのやら」私は大袈裟に首を振る。

「兄が家を継ぎ、自らは小作としてこき使われるのに納得が行かなんだ。では、役人になるか、僧侶になるか。いずれも田舎者には楽な道ではなかろう」何故か種継が真面目な面持ちで言う。

「幸いにして、出来は悪うなかったようだが」田舎者ではない船守には、他人事のようだ。

「なまじ、頭が切れる分、悪事も覚えたのか」田舎者の私には、少しばかり笑えない。

 被害を恐れて、誰もが基真禅師を避ける。姿を見ければ、野獣でも避けるように道を変える。最初は追従していた者も、災いを恐れて関わりを断つ。弟子らも逃げ出す始末となり、僧綱そうごう(僧侶の統括、管理をする組織)も目を瞑ってはいられない。法臣の位を持つ僧侶が、見かねていさめれば、無礼な態度で暴言を吐き散らす。

「最大の悪事は、隅寺の宝珠やら仏舎利の件だな。まったく、騙し通せると思うていたのか」つい、溜息が出る。

「いたのであろう、本人だけは」酒が入ると、船守は辛辣になる。

「御方を有頂天にさせたのが、かえって仇になったな」種継は素面同然の顔つきで、軽蔑するように鼻先で笑う。

「まあ、狙いは間違うてはおらなんだ。母親の皇太后おおきさき所縁ゆかりの寺から、自らの御代に奇跡が出現した。御方としては、さぞ喜んだ事だろうから」私は神妙に言ってみるが、基真らに同情をしている訳ではない。

 結局のところ、悪事を吐露したのは弟子の一人だった。隅寺の毘沙門天の宝塔に珠を入れたのは、自らだと名乗り出た。師に命じられて行い、見返りに位階を得た。今は軽はずみな行いを悔いている、このままでは仏罰が下るのではないかと恐れている。すべてを正直に告白し、賜った位階は返上したい。

 これに反論や弁明をしたのは、果たして基真禅師一人だけだった。女帝や道鏡法王が欺かれたと嘆く様子を見て、同族の者も口を閉ざした。こうして、禅師は法参議の位を剥奪され、飛騨国の寺へと追いやられた。同族が賜った、物部浄志朝臣もののべのきよしのあそみの氏姓や優遇された地位は無に帰した。

「だが、奇跡の奇瑞のとたきつけるのは、件の坊主も同じだ。また似たような騒ぎが、起きるやもしれぬぞ」尚も刺のある口調で船守が言う。

「あの坊主、東大寺にいた頃は、秀才で通っていたと聞くが、今の様を見ていると疑問だ」私はつい笑う。

「気は利くのではないのか。大殿おおとのは若い頃から知っておられるそうだが、いつも良弁ろうべん僧正の下で使い走りをしていたそうだ」

 種継が大殿と呼ぶのは、大納言宮だいなごんのみや白壁王の事だ。

「いつ頃の話だ」

紫香楽しがらき離宮の造営時だな。我々の子供の頃だ。三十年近く前からの知り合いらしい」

「なるほどな。大納言宮様にしてみれば、このような騒ぎは序の口と思うておられるのやも。更に大事が起きても不思議ではないと」

「ああ。この後、皇嗣問題は嫌でも出て来る。その渦中に巻き込まれる家として、大殿も若翁も身構えておられるのは確かだ」

「そうなると、御身にも俺にも他人事では済まぬ」今度は神妙な顔つきで船守が呟く。縁戚関係のある紀氏としても、正念場というところか。

「人を喰らう龍だな、まさに」久々に思い出した言葉が口をつく。

「皇家の争いがか」種継が目を上げて笑う。

「言い得て妙だな。もしも龍に睨まれたならば、河内の田舎坊主など、一たまりもあるまい。龍より先に、恐ろしい眷属どもが喰らいついて来ようから」船守も笑う。

「御身らの事か、眷属とは」

「さてな、眷属にも様々おるであろうが」妙に上機嫌そうな種継は、船守に目配せをする。

 反応に戸惑う船守は、小鼻の脇にしわを寄せて更に笑う。


 明けて三年、元旦は雨に始まる。朝賀ちょうがは二日に持ち越され、翌日には道鏡法王にも拝賀をさせられる。更には七日の白馬節会あおうまのせちえは法王宮で行われ、八日からは吉祥悔過きっしょうけかを東宮院で行う。例年の正月節会せちえでもウンザリしているのに、ここ最近は法王絡みの行事も加わって、官人らは体調不良まで起こし気味だ。

 二月には伊勢大神宮に奉幣使ほうへいしが派遣される。選ばれたのは、よりによって誰よりも忙しい藤原雄田麻呂おだまろだ。この人は六つか七つの官職を兼任している。十日近く都を空ける間に貯まる仕事は、半端な量ではないだろう。

 最近の傾向として、我々くらいの中間管理職の数は増加している。しかし、その上の重要な職務は極端な兼任が多い。この偏りによる弊害も、少しずつ見え始めているのは確かだ。

 三月二十八日、唐突に大赦のみことのりが発せられる。思うところあってとの文言は、慣例句のようなものなので、具体的な理由は示されない。どうせ、法王や学者大臣の浄い教えによるのだろうと、官人らは大した興味も示さない。


「あの内親王ひめみこには皇子みこがおられたな」

「その皇子の処遇にかかわるのか、今回の処置は」

「だが、父親は謀反人のままだろう」

 舎人とねりらの話す声が聞こえる。弓場でまとの矢を回収して戻って来る所だ。

「将監、的は如何致します」隣で弓につるを張る番長(下級士官)が聞く。

「ああ、八寸に替えてくれ」休憩をしていた私は、立ち上がりながら答える。

 舎人らが話題にするのは、先の大赦で帰京を許された不破内親王ふわのひめみこと子供たちの事だ。女帝の異母妹で井上内親王いのえのひめみこの同母妹の内親王は、塩焼王しおやきのみこを伴侶として、何人かの子供を儲けた。二人の皇子は既に成人しているはずだ。

 塩焼王は何度か皇嗣候補に名が挙がった。しかし、聖武皇帝も阿倍女帝も不適切と退け、ついには八年の変で、謀反人として命を落とした。

「やはり、立太子の可能性はないのか」

「当分、日嗣ひつぎは定めぬと言うたのだから、わざわざ呼び戻しての任命もなかろう」

 的方が先程よりも一回り小さい的を置く。私は控える舎人らから胡簶えびらを受け取り腰に吊るす。そして、差し出された弓から一張を選ぶ。

「井上内親王にも皇子はおられる。大納言宮が父親なのだから、本命はこちらではないのか」

「しかし、そちらの皇子はまだ、十にもなっていないのだろう」

「だから、当分の間、皇太子ひつぎのみこは定めぬのだろう」

 既に舎人らにも、他戸王おさべのみこ立太子の噂は知れ渡っている。舎人らの噂話に耳を貸しながら、的に向かう。

 弓弦から放たれた矢は緩い弧を描いて、地面近くに置かれた的へと落ちて行く。真ん中とは言い難い位置に何とか命中したのを確かめ、次の矢をつがえる。どうも、低い的を射るのは苦手だ。

「将監は如何思われます、帰還される方々の事は」

 弓を置いて下がると、番長が話を振って来る。不破内親王や皇子の事で、私が何か知っているのか探りたいのだろう。

「そうだな、もしかしたら皇子に、氏姓を賜るつもりではないのか。父親がかつて賜った氷上真人ひかみのまひとでも、全く別のものでも」

「確かにありそうな事ですね。内親王共々、皇籍からも外され、身分も曖昧なままですからね」

 女帝は塩焼王を皇嗣から遠ざけるだけではなく、氏姓を賜り臣籍降下させた。それでも臣下としては優遇し、中納言にまで任命した。それを再び担ぎ上げたのは、あの恵美仲麻呂えみのなかまろだった。傀儡の天皇に据えようとした挙句、都を追われて敗死する羽目になった。

「まあ、俺が勝手に思うているだけだ。ここだけの話として、外へは吹聴しないでくれ」

「分かっています」番長が言えば、舎人らも後ろでうなずく。

「藤原将監や紀将監にも、意見を聞いてみたいですね」舎人の一人が言う。

「似たり寄ったりの事を言うのではないか。あの二人も、他戸王に期待をかけているのだから」

 実のところ舎人らにとって、皇嗣問題などは気軽にできる話ではない。相手が都出身の種継や船守では尚更だろう。やはり地方出身の私には、上官とはいえ気が易いのかもしれない。

 そしてこの若者らは、天平宝字元年の事変は勿論、八年の変の時にも任官はしていない。これらの謀反の詳細は、大して知らないだろう。橘奈良麻呂たちばなのならまろが皇位転覆を謀ったのは十二年前、私は既に二十五歳で都にいた。五年前には近江国へも出兵した。

 身をもって知る世代には、若い者らのように噂話で済ませない事も多い。

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