第15話 天平神護二年 人事異動と奇跡の事 

 右大臣薨去により、年明け早々に太政官の人事が改まるだろう。そのような噂をしている頃、飛騨国から粟田道麻呂あわたのみちまろが死んだという報告が届く。少し遅れて囁かれる噂では、病死とは建前で実は殺されたのだという。飛騨守ひだのかみによって蔵に閉じ込められ、水すら与えずに放置されて死んだ。この事は御偉方の耳にも入っているが、地方での事件をあえて取りざたするほどの余裕もない。飛騨守は追及を免れるだろうが、二度と平城ならへは戻って来れまいと流言は続く。

 この話は種継たねつぐの前ではするなと、船守ふなもりは真顔で言う。藤原種継の正室は粟田道麻呂の娘だ。道麻呂が流罪になった後も、子供たちから母親を奪う訳には行かぬと離縁はしていない。この言葉は宝字八年の乱の後に、山部王やまべのみこが言った言葉だと聞く。言葉が真似でも気持ちは本心なのだと、船守も私も信じている。

 飛騨での噂は放置されたまま年も明け、正月八日、新たな太政官の人事が発表になる。大納言の藤原永手ふじわらのながてが右大臣になり、中納言の白壁王しらかべのみこ藤原真楯ふじわらのまたてが大納言に、参議の吉備真備きびのまきびが中納言となり、新たな参議として石上宅嗣いそのかみのやかつぐが任命された。

 この度は極めて真っ当な人事だと、官人らは皮肉交じりの評価をする。そう言いたくなるほどに、ここ最近の人事も叙位叙勲も異様だ。飛騨国で起きた事件などは、その異常さが生み出した結果といっても過言ではない。


 女帝みかどの周囲は相変わらず、離宮の寺のと浮き立っている。離宮造営司などの臨時の役所が作られ、出向者も増える。造営が進めば、現地で任用される者も増える。それらの指導や警備の指揮を執るため、衛府の中間管理職などは格好の人材に見なされている。このようにして煩雑に人事が動いた結果、何故なのか私は近衛府へと配置換えになった。

 花の散る頃には疫神もやって来る。三月に入り、藤原北家の大納言真楯またてが病で寝付いていると聞く。あの御仁は働き過ぎだ、などと言っている内に危篤の知らせが届く。右大臣の永手にとっては、最も頼りにする年子の同母弟だ。女帝にとっても、血縁のある官僚を失う痛手は大きい。北家の屋敷は勿論、興福寺や東大寺でも夜を日に継ぐ読経が続く。しかし、十二日、藤原朝臣真楯の訃報が官人らに告げられた。

 新たな大納言には吉備真備が就任する。太政大臣禅師に学者の大納言、僧形の官僚、太政官も奇妙な色あいに見えて来る。みことのりや政策までが変に抹香臭い。その集大成という訳でもないだろうが、六月に入って奇妙な事件が起きた。事件を受けて側近の僧侶らは奇跡だと騒ぎ、女帝本人も有頂天になる。

 事件は左京二条の小さな寺院で起きた。かつて藤原太政大臣(藤原不比等)の屋敷の一隅に立てられたために、隅寺すみでらと呼ばれている。この寺の毘沙門天が片手に掲げている宝塔の内より、舎利しゃりが三粒ほど出現した。これをして坊主どもは、奇跡だと色めき立っている。


「ここまで胡散臭いと、かえって清々しい」何やら呂律ろれつの怪しくなりかけた口調で、近衛大将の藤原蔵下麻呂くらじまろが笑う。

 夏の終わりの宵、右京四条の近衛大将の屋敷も例に漏れず暑い。もちを過ぎた月はまだ昇らず、庭のかがりの周りでは大きな蛾が何匹か飛ぶ。

「舎利が入っていたという宝塔は、外から持ち込まれた物だったな、確か」あまりつきの進まない紀船守きのふなもりが肩をすくめる。

「破損したか無くなったかで、興福寺の何とかいう坊主が寄進したらしい」飲んでも変わらない顔色の藤原種継が言う。

基真きしん大禅師だ。評判はすこぶる悪い。右大臣もうちの兄らも嫌うている」蔵下麻呂は真っ赤な顔を上げて更に笑う。本当にこの人は、酒に飲まれる質だ。

くだんの坊主の弟子なのだろう」私は誰に聞くともなく言う。件の坊主とは、当然ながら太政大臣禅師の事だ。

「河内の田舎者同士で、つるんでいるのだろうよ」種継が鼻であしらうように答える。

 奇跡を起こしたという宝塔は、中が空洞になっている。寄進されて一月もたった頃、霊験が顕れたと騒ぎ出す者が出て、中を検める事になった。すると丸く滑らかな珠が三粒見られる。一つは黒く輝き、表面に緑色の梵字も浮き出て見えるという。

「要するに、坊主の威光のお零れに与ろうと、群がる輩の一人だ。御方の御目にも留まり、只今は有頂天というところだな」種継は顔色も変えずに際どい事を言う。

「坊主らに限らず、御方のお気に入りとなれば、良い事ずくめなのだろうな」私はつぶやいて苦笑する。そろそろ視界が定まらなくなっている。

「お気に入りか。では、うちの少将宮しょうしょうのみやにも何かあるやも知れぬぞ」船守が皮肉気な笑い顔で言う。

 近衛員外少将の山部王やまべのみこは、従五位下を賜った時に侍従も兼任となった。これがまた噂好きな輩を喜ばせる。器量好みの女帝としては、坊主のみならず若い優男も近くに置いておきたいのだろう。不敬も何もあったものではない。


 十月に入り、件の仏舎利騒ぎに進展がある。勅命により法華寺に安置する事となった。そのために二百人もの容姿の優れた者を選び、はた天蓋てんがいを持たせ、舎利の前後に行列を仕立て運ばせた。行列には、山部王や藤原種継もしっかり選ばれている。

 法華寺に到着後、基真大禅師を導師に法要が行われ、各司の主典さかん以上の者に拝礼が許される。私も近衛将曹しょうそうなので近衛府の主典に当たる。法華寺の金堂前の庭に整列させられ、各司の役付きの頭越しに何が何やら分からないまま拝礼を終えた。

 その後に発せられたみことのりは、仏舎利への美辞麗句から始まる。更には道鏡太政大臣禅師の徳を褒め称え、法王の位を加えて贈ると続く。そして法王の弟子の大法師にも位を授ける。件の基真師には法参議ほうさんぎと大律師、正四位上の叙位があり、一族は物部浄之もののべのきよし朝臣の氏姓うじかばねが授けられた。相変わらず、聞いている方が恥ずかしくなる命名だとの囁きが聞こえ、私もつい同意する。このような異常な叙位に、殆どの官人は驚かなくなっている。

 この後も左右大臣の任命があり、道鏡師の弟の弓削浄人が正三位中納言になるなど、大盤振る舞いも甚だしい叙位が続く。十一月の臨時の叙位では、私もお零れに預かり、種継共々に従五位下を賜った。これでようやく、備前国の親族たちにも大きな顔が出来る。

 

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