第14話 天平神護元年の事 其の捌 紀伊国行幸

 深日行宮ふけひのかりみやに駆け込んで旅装を解く頃には、風も雨も収まり始めていた。雨が上がったのを見計らい、六位以上が行宮の庭に参集を命じられる。

 官人らは期待よりも不安を露わにする。その前で大納言の藤原永手ながては、表情も変えずに短い詔勅を読み上げる。そして行宮の庭に、微かなざわめきと哀悼の声が広がる。

 淡路守あわじのかみからの報告によれば、去る十月二十二日の夕刻、淡路公あわじのきみに手を貸して逃亡させようとする者があった。守が自ら兵を率いて阻止し身柄を拘束したが、淡路公は二十三日に薨去した。淡路からの急使は翌日に都に入り、留守を預かる右大臣以下に事を告げる。その後に早馬を走らせたため、この日の報告となった。

 報告を受けた女帝みかどや太政官の面々、そして僧形の側近らが、どの様な反応を示したか、私ごときには知る術もない。何割かの人々は、予てより覚悟していた事態だと、冷静に受け流したのかもしれない。

 和気王わけのみこが事故に見せかけて殺害されたという噂を聞き、次に狙われるのは淡路公、大炊親王おおいのみこかもしれない。私や部下たちすらも密かに囁いた。現実になったところで、都から離れたひなでの事件だ。ましてや死因は発表されていない。最低限に体裁を整えた報告を淡路守がしてきただけでは、まるで実感が湧かない。


 それでも山部王やまべのみこにとって、幼馴染の友人の死だ。衝撃は我々の比ではないと藤原種継ふじわらのたねつぐ紀船守きのふなもりは言う。ただし、と種継の言葉は続く。

「ある時から大炊親王は一方的に、若翁わがぎみを敵対視し始めた。若翁が恵美仲麻呂えみのなかまろの娘婿に選ばれたからだ。そのように俺は聞いている」

「俺も聞いた事がある。少将の御内室は正妻の娘、ところが粟田諸姉あわたのもろね様は大師だいし(仲麻呂)の嫡男の未亡人だ。これが逆ならば、誰しもが納得するだろうが」船守も言う。

 五位に叙せられている船守は、行宮近くの宿泊先が用意される。それに引き換え六位の種継や私は、野営よりは多少ましな幕舎で寝泊まりする。そこで当然ながら、船守の宿に押し掛ける。種継がどこぞから調達して来た酒を手土産に、世間話ついでの情報交換が始まる。

「だが一応、若翁の婚姻には訳がある。大師の言うには、東子あずまこ様は生まれた時から若翁の許嫁いいなずけだったと」何やら勿体ぶって種継が言う。山部王の内室は東子様というらしい。

「ああ、聞いた事がある。大師の側から持ち掛けた話なのだろう」船守がうなずきながら言う。

 そういえば、しつもそのような事を言っていた。

「まあ、刀自とじ様や俺の母に言わせると、大殿と大師の口約束に過ぎぬらしいが。ちなみにもう一人の御息女は、若翁の兄上の許嫁だった」

「少将の兄上というと、唐律招提とうりつしょうだい開成王かいじょうのみこ様か。宝字元年の変の後に出家されたとかいう」私は聞く。

「その通り。そして許嫁だった息女は、同じ南家の縄麻呂ただまろ様の内室になった」

「だが、兄宮が出家した時、既に大炊親王は皇太子ひつぎのみこに選ばれていたはずだ。何故、大師はその媛御ひめごを入内させなかったのだろう」

「大師が何を考えていたかは知らぬ。だが、大炊親王は捨石のつもりだったのやも知れぬ、その様に言う者も多い」船守は答えながら、少しばかり周囲を伺う。

 仮の宿なので、隣とは衝立一枚だ。あまり大声で話はできない。とは申せ、衝立の向こうでは先程から高いびきが続く。心配はないだろう。

「挿げ替える首……開成様がよう言われていた。大炊親王に女帝みかども大師もが、その言葉を匂わせていたと。手綱を引く、むしろ真綿で首を絞めるように」種継が呟く。

天皇すめらみこととして挿げ替える首、という事か」

「皇嗣ゆえ、皇族しか成り得ぬ。その筆頭が若翁なのだろう」

「挿げ替える首は既に用意してある。壮絶な脅しだな」船守も口の中で呟く。

「だが、大炊親王とて自分の考えは持っている。秘密裏に事を起こそうとしたが、いずれも不調法な結果に終わった。御身らも覚えておろう、大師の暗殺未遂騒ぎを」種継は身を乗り出し、更に声を潜める。

「先の右大弁と御身の伯父上が流罪になった、あの要領を得ない騒ぎか」同様に顔を寄せる船守が聞く。

 先の右大弁とは白壁王しらかべのみこの異母兄の湯原王ゆはらのみこだ。若い頃から藤原皇太后おおきさきの派閥に属し、有力な皇族官人のとして知られていた。皇太后崩御の後は、大師派に下るを潔しとせず、一歩引く形で官界から退く時を見計らっていた。

 種継の伯父は、式家の当主である宿奈麻呂すくなまろ。若い時から大師とは反りが合わず、反抗的だったと聞く。

「密告して来たのは、弓削の何某なにがしという大舎人おおとねりだったな。弓削氏なのだから、女帝が関与していたのではないのか」私は問い返す。

「暗殺を命じたのは大炊親王だ。時の天皇の命令を高官らも無視する訳に行かぬ。だからというて、実行する訳にもゆかぬ。もっとも伯父上は、半ば本気で、決行しても良いと思い始めていたらしいが」

「まあ、足並みはそろわなかろうな。後手に回った分、大師派に嗅ぎつけられた訳か」船守が小さく溜息をつく。

「大師のみにあれば、このような稚拙な計画は、水面下で抑え込んで逆手に取るくらいは、してのけただろう。ところが、坊主の部下までがそれをかぎつけた。この類の駆け引きにはずぶの素人だ。挙句に親族の小者を御注進に走らせた。おかげで、面に出さぬ方が良い事が明らかになった。それが伯父を始めとした上位者の名前だ」

 ここで種継が坊主と呼んでいるのは、当然ながら大臣禅師だ。

「少将宮の伯父上も、御身の伯父上も、大炊親王からも坊主からも被害を被ったという事か」船守は苦笑いを浮かべる。

 この事件が起きたのは一昨年の春だった。大師の藤原恵美朝臣押勝ふじわらのえみのあそみおしかつの暗殺計画に関する密告があった。関わった者として、藤原宿奈麻呂、湯原王、佐伯今毛人さえきのいまえみし大伴家持おおとものやかもち石上宅嗣いそのかみのやかつぐという高官の名前が並ぶ。

 尋問が始めると、宿奈麻呂と湯原王の双方が、自らが主犯だと言い張り、他の者は黙秘を続けた。介入して来た僧侶らのお陰で、この後の拷問などは行われず、名の上がった者らを流刑にする事で納まった。今にして思えば、下手に追及して、大炊天皇の名前が出る事を恐れたのかもしれない。

「この騒ぎで女帝も大師も、天皇の弱みを握った訳だ。だが、流罪になった者らの身内は穏やかではいられまい」私は種継に向けて言う。

「ああ。大師が討たれ、大炊親王も追放され、湯原王も伯父も罪は許された。だが大殿や若翁、我が式家としても、この屈辱は忘れておらぬ」

 普段は軽さを装う種継だが、人並み以上の美男だけあって、本音を吐露されなどすると空恐ろしくすら見える。これが藤原氏という権門の血なのだろう。


 夜も更けたので、宿の者に無理を言って夜具を用意してもらう。そして種継と共に、そのまま船守の宿で寝に着いた。冬の初めともなれば、幕舎で地面の上に寝るよりも、屋根の下の方が遥かに快適だ。

 夜明け前に隊の幕舎に戻り、身支度をして、のうのうと兵士らの点呼報告を受ける。朝餉の配給を受ける頃には、少しばかり明るくなってきた。天気はあまり良くないが、風がないので割合に暖かい。

 この日は距離を稼ぎ、日が傾く頃に新治行宮にいはりのかりみやに入って、早めの宿を取る。その次の日には河内国に入り、道を東寄りに勧める。夕刻より冷たい風が吹き始めたが、明るさのある内に丹比行宮たじひのかりみやに到着した。ここまで来れば大和も近い。そこかしらに安堵が漂う。明日には弓削氏の本拠に入り、しばらくの滞在が決まっている。

 弓削郷ゆげのさとでの一大行事は、弓削寺詣でだ。騎馬に前後を固めさせ、女帝や僧尼らを乗せた輿の一行が道を行けば、郷の人々は遠巻きに眺める。輿には姉の法均尼ほうきんに明基尼みょうきにも乗っている。

 弓削寺には三日ほど滞在して音曲を楽しみ、多大な喜捨をした。挙句に詔して、道鏡禅師どうきょうぜんじに太政大臣の位まで授ける。官人らは、このような椿事に今更騒ぎはしない。太政大臣禅師などという位は一代限りで、女帝の時代が過ぎれば無くなる。懸念するのは、禅師を足掛かりに増長する弓削氏らの存在だ。

 鼻白む思いで詔を聞いた翌日の閏十月三日、御駕ぎょがはようやく平城ならへの帰途につく。戻れば、翌月に控える大嘗祭の準備に忙しい。それにも拘らず八日には、留守官らをわざわざ招集して、太政大臣禅師を拝する祝賀と宴席が設けられる。

 こうして十一月、どこか現実離れした慌ただしさの内に大嘗祭も行われた。文武百官、ようやく一息ついたところに、先より体調を崩していた藤原南家の右大臣薨去の知らせが届いた。

 

 

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