第14話 天平神護元年の事 其の捌 紀伊国行幸
官人らは期待よりも不安を露わにする。その前で大納言の藤原
報告を受けた
それでも
「ある時から大炊親王は一方的に、
「俺も聞いた事がある。少将の御内室は正妻の娘、ところが
五位に叙せられている船守は、行宮近くの宿泊先が用意される。それに引き換え六位の種継や私は、野営よりは多少ましな幕舎で寝泊まりする。そこで当然ながら、船守の宿に押し掛ける。種継がどこぞから調達して来た酒を手土産に、世間話ついでの情報交換が始まる。
「だが一応、若翁の婚姻には訳がある。大師の言うには、
「ああ、聞いた事がある。大師の側から持ち掛けた話なのだろう」船守がうなずきながら言う。
そういえば、
「まあ、
「少将の兄上というと、
「その通り。そして許嫁だった息女は、同じ南家の
「だが、兄宮が出家した時、既に大炊親王は
「大師が何を考えていたかは知らぬ。だが、大炊親王は捨石のつもりだったのやも知れぬ、その様に言う者も多い」船守は答えながら、少しばかり周囲を伺う。
仮の宿なので、隣とは衝立一枚だ。あまり大声で話はできない。とは申せ、衝立の向こうでは先程から高いびきが続く。心配はないだろう。
「挿げ替える首……開成様がよう言われていた。大炊親王に
「
「皇嗣ゆえ、皇族しか成り得ぬ。その筆頭が若翁なのだろう」
「挿げ替える首は既に用意してある。壮絶な脅しだな」船守も口の中で呟く。
「だが、大炊親王とて自分の考えは持っている。秘密裏に事を起こそうとしたが、いずれも不調法な結果に終わった。御身らも覚えておろう、大師の暗殺未遂騒ぎを」種継は身を乗り出し、更に声を潜める。
「先の右大弁と御身の伯父上が流罪になった、あの要領を得ない騒ぎか」同様に顔を寄せる船守が聞く。
先の右大弁とは
種継の伯父は、式家の当主である
「密告して来たのは、弓削の
「暗殺を命じたのは大炊親王だ。時の天皇の命令を高官らも無視する訳に行かぬ。だからというて、実行する訳にもゆかぬ。もっとも伯父上は、半ば本気で、決行しても良いと思い始めていたらしいが」
「まあ、足並みはそろわなかろうな。後手に回った分、大師派に嗅ぎつけられた訳か」船守が小さく溜息をつく。
「大師のみにあれば、このような稚拙な計画は、水面下で抑え込んで逆手に取るくらいは、してのけただろう。ところが、坊主の部下までがそれをかぎつけた。この類の駆け引きにはずぶの素人だ。挙句に親族の小者を御注進に走らせた。おかげで、面に出さぬ方が良い事が明らかになった。それが伯父を始めとした上位者の名前だ」
ここで種継が坊主と呼んでいるのは、当然ながら大臣禅師だ。
「少将宮の伯父上も、御身の伯父上も、大炊親王からも坊主からも被害を被ったという事か」船守は苦笑いを浮かべる。
この事件が起きたのは一昨年の春だった。大師の
尋問が始めると、宿奈麻呂と湯原王の双方が、自らが主犯だと言い張り、他の者は黙秘を続けた。介入して来た僧侶らのお陰で、この後の拷問などは行われず、名の上がった者らを流刑にする事で納まった。今にして思えば、下手に追及して、大炊天皇の名前が出る事を恐れたのかもしれない。
「この騒ぎで女帝も大師も、天皇の弱みを握った訳だ。だが、流罪になった者らの身内は穏やかではいられまい」私は種継に向けて言う。
「ああ。大師が討たれ、大炊親王も追放され、湯原王も伯父も罪は許された。だが大殿や若翁、我が式家としても、この屈辱は忘れておらぬ」
普段は軽さを装う種継だが、人並み以上の美男だけあって、本音を吐露されなどすると空恐ろしくすら見える。これが藤原氏という権門の血なのだろう。
夜も更けたので、宿の者に無理を言って夜具を用意してもらう。そして種継と共に、そのまま船守の宿で寝に着いた。冬の初めともなれば、幕舎で地面の上に寝るよりも、屋根の下の方が遥かに快適だ。
夜明け前に隊の幕舎に戻り、身支度をして、のうのうと兵士らの点呼報告を受ける。朝餉の配給を受ける頃には、少しばかり明るくなってきた。天気はあまり良くないが、風がないので割合に暖かい。
この日は距離を稼ぎ、日が傾く頃に
弓削寺には三日ほど滞在して音曲を楽しみ、多大な喜捨をした。挙句に詔して、
鼻白む思いで詔を聞いた翌日の閏十月三日、
こうして十一月、どこか現実離れした慌ただしさの内に大嘗祭も行われた。文武百官、ようやく一息ついたところに、先より体調を崩していた藤原南家の右大臣薨去の知らせが届いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます