第13話 天平神護元年の事 其の漆 腐れ縁の始まりと行幸

 八月半ば、主犯の二人、和気王わけのみこ伊豆国いずのくにへ、益女ますめ能登国のとのくにへの配流が決まった。連座者らには、日を置いて新たな任地への赴任を命じると、処分が据え置かれる。

 間もなく主犯が流刑地に発ったのに続き、粟田道麻呂あわたのみちまろは飛騨員外介いんがいのすけとして任地へ送られた。形の上では官職名が付くが、任務には当たらずに現地で拘留される。そこでは新たに任命された飛騨守ひだのかみ上道正道かみつみちのまさみちが監視役となる。ところが、この人事には裏があると、訳知り顔で言い出す者がいる。

 上道正道は四位なので、本来ならば飛騨守になるような階位ではない。この者も天平宝字元年の政変で、密告者として異例の昇進をした類だ。人柄的にも能力的にも、世辞にも良い評価は得ていない。関係者としては、この者に居て欲しくはない。これ幸いと都の外に追い出した。だが、事情通が気にするのは、粟田道麻呂との間に個人的な確執が存在する事だ。何らかの意図、むしろ圧力があっての人事ではあるまいか。噂はこのように囁かれる。

 この後、他の者も護送同様に任地へと向かった。そして一連の赴任から何日も経たない頃、山背国やましろのくにが緊急の報告を寄こす。

 伊豆国へ和気王を護送途中の事、滞在地の相楽郡さがらかのこおりで在地の者とのいさかいが起きた。これに巻き込まれた和気王が命を落とした。報告は早急に女帝みかどや太政官へと上げられたが、中務なかつかさ卿は極めて冷静に詳細報告を求めたという。

 都の外で起きた事なので、対処は山背守やましろのかみに一任する。現在の山背守は遙任しているため、国府の最高責任者の山背介やましろのすけがこれに当たる。この命令を告げる使者が都を出て幾らもしない頃、新たな早馬が宮の西門に到着する。

 こちらも山背介からの知らせだが、先の早馬に比べれば、焦った様子は殆ど見られなかったらしい。山背からの使者が言う。綴喜郡つづきのこおりで益女が殺害された。

 駅で食料や物資を補給し、馬も換えて出発した直後、複数の賊徒に襲撃された。殺傷された者はいないが、馬と荷を奪われた。荷の内には護送中の罪人も含まれるという、何やら呆れた報告だ。捜査はすぐさま行われ、間もなく賊は捉えられた。馬や荷も取り返したものの、罪人の女は殺された後だったと続く。

 和気王の殺害が故意かは分からない。しかし益女に関しては、船守も私も、口を塞がれたのだと確信する。山背守、藤原南家の是公これきみが、何かの指示をした可能性も否めない。そして、相楽郡には北家の所領もある。罪人の尋問に当たった北家の大納言や、南家の民部卿が、この度の殺害に関わっていると噂されたところで、大抵の者はどこかで納得をする。


 既に冬の初めで夜も寒い。それなのに、悪い夢見に目を覚ました私は汗をかいている。月は西に傾き切り、夜明けまではかなり間があるようだ。東向きの寝室の内は、自分の手も見えない程に暗い。しつは乳飲み子の娘と共に女部屋で寝起きをし、息子たちも別の部屋で眠っているので、ここには私しかいない。部屋の外から家人けにんの声がかかる様子もないので、声は揚げなかったらしい。

「まったく、俺に何を言いに来るのだ、呪女まじないめは」闇の中で横になったまま毒づく。

 益女が夢に現れたのは初めてではない。別に恐怖も何も感じないが、正直なところ、かなり鬱陶しい。これまでに同様、はっきりした内容は覚えていないし、他に誰が出て来たかも定かではない。ところが、最後に益女が言った、奇妙な言葉は覚えている。そして私は、思わず怒鳴りつけた。


 同じ言葉を聞いたのは、生前の益女からだった。あれは近衛府で尋問が行われた時だ。兵部卿の屋敷で拘束した時の証人として、衛門少尉えもんのしょうじょうが呼ばれ、私も尋問官として同席した。

 証言を引き出すのは、驚くほど容易だった。こちらの質問以上に、あの女なりの主張があるようだ。少将宮しょうしょうのみやの事を始めとして、自らの考えを立て板に水の勢いで話し始めた。こうして大半の疑問への供述を得て、予定よりも早くに尋問は終了する。益女の身柄を獄舎に戻すため、舎人とねりらが呼ばれる。舎人に引き立てられて部屋を出て行く間際、女は私に顔を向け、奇妙な程はっきりとした声で言った。

いまし、この後、龍の争いに巻き込まれよう。いずれも人喰いの龍ゆえに、油断をすれば喰らわれる。だが、忠誠を誓えば最高の支えになろう」

「どういう意味だ、それは」横柄な物言いに私は問い返す。

 衛門少尉や舎人らは、私に奇異の目を向ける。女は無表情のまま体ごと顔を背け、舎人らに促されて部屋を出て行った。

「どういう意味とは、何の事なのだ」衛門少尉が小声で問う。

「御身は聞かなかったのか。龍がどうのこうのと、今しがた、あれが言うただろう」

「御身の方を見た時にか。私は何も聞いておらぬよ。大体、あの女、口も開いておらなんだと思うが」

「何だと……では、俺の空耳か」

 空耳にしては異様な内容に思えたので、適当に話を切り上げる。衛門少尉は尚も怪訝な顔を向けて曖昧にうなずく。

 この後、最初に益女が夢に現れたのは、和気王の遠流が決まった直後だった。そして次は、山背国で殺害されたと知った後だったか。いずれの夢にも、他に何人かの女が現れたが、それが誰で何をしていたかは覚えていない。ただ、最後に益女の告げた、龍の争い云々の言葉だけが記憶に残っている。

 九月半ばを過ぎ、紀伊国への行幸が具体化する。その準備に忙殺され、夢の事などしばし忘れていた。それをよりによって、明日が出立という十月十二日の晩に、思い出したように現れる。怒鳴りつけたくなる気持ちも分かれと言いたくなる。


 そして十三日、ようように明るくなる大極殿院だいごくでんいん朝庭ちょうていに百官が居並ぶ。大納言の藤原永手ふじわらのながてが行幸の出立を告げる詔を読み上げる。続いて右大臣の藤原豊成ふじわらのとよなりを始めとした留守官、行幸の列の前後次第司しだいし(行列の管理官)や騎馬将軍らを任命する。そして日が姿を見せる頃、御前みまえの騎馬隊を先に立て、行幸の列は宮の門を出て行く。

 騎馬隊の将軍は民部卿の藤原縄麻呂ただまろ、そして私も騎馬軍曹ぐんそうとして加わる。前を行く騎馬小隊を率いる軍監ぐんかんは、近衛員外少将の山部王やまべのみこだ。二騎づつ列を作り、旗を掲げて騎馬兵は進む。それらが作る壁に遮られて、前の様子は窺えない。

 騎馬隊に続く御前の列は、総責任者である次第司しだいし長官の中納言宮白壁王しらかべのみこら、高官が続く。本隊はその後ろ、近衛や中衛、内舎人うどねりらの騎馬に囲まれて、紫の鳳輿ほうよが行く。女帝の乗る輿こしの後ろにも夥しい数の輿が続くが、乗るのは高位の内侍ないし(女官)だけではない。大臣禅師を始めとする僧侶や尼僧が乗る。おかげで輿を担ぐ奴婢が、いつにも増して必要となる。雑役を担う者や、食糧、物資を運ぶ車の数も膨大となる。


 この日は、かなり早い内に旧都の飛鳥に到着した。女帝や大臣禅師、僧形の側近らは小墾田宮おはりだのみやに、役付きの官人らは、近接する寺院や官衙かんが、豪族館に分かれて宿泊をする。それ以外の兵士や舎人とねり雑色ぞうしきらは各々の装備を解いて野営に入る。食事や馬の世話役も忙しいが、現地で様々な手配をする者も息が抜けない。

 翌日も女帝は飛鳥周辺を巡察し、小墾田宮に宿る。翌々日の十五日、紀伊街道を南に取る。曽祖父の眠る檀山陵まゆみのみささぎに敬意を払いつつ過ごし、夕刻前に宇智うち郡に入る。

 紀伊国に入ったのは十六日の事、翌十七日は朝から天気が思わしくない。昼を待たずして降り出した雨に、追い立てられるように鎌垣行宮かまがきのかりみやに入る。夜半を過ぎても止まない雨を危惧しつつ寝入るが、十八日の朝には薄日が差す。好天に道を稼ぎ、午後には海辺に至る。

 この後は玉津島行宮たまつしまのかりみやに滞在し、紀伊国内を巡察する。夕餉の頃には、国司らの持て成しの技芸を楽しむ。

 このように女帝や側近は気楽なものだが、役付きの者や警備に当たる我々は、行く先々で勝手が分からずに右往左往する。騎馬隊の内では、私のような軍曹の立場が一番負担が大きい。夕餉の宴席などさっさと終えて、明日に備えて休ませて欲しい。同僚らと愚痴の一つも零し合う。


 帰路に着いたのは二十五日、この日は海部あま郡の岸村行宮きしむらのかりみやに入る。二十六日、海沿いに北上して和泉国に入る。この日の滞在先は深日行宮ふけひのかりみやだが、その手前で都からの早馬に落ち合う。

 御前将軍の民部卿が列を停止させ、使者の報告を聞く。その後、御前次第司長官の中納言宮と共に御駕(天皇の輿)に向かう。

 行宮を発った時には日が射していた。日が傾き始めた今は、にわかに西の空が暗くなり、黒い雲は見る間に上空に広がる。先程まで殆どなかった風も吹き出し、いつ降り出してもおかしくない空模様だ。騎馬兵も歩兵も空を見上げ、早く行宮に入りたいと囁き始める。

 列を乱すなと兵士らに命じながら前方に顔を向けると、大きな青毛の馬に乗る黒い鎧姿が来るのが見える。あれは山部王の愛馬だ。馬首をそちらに向けた途端、前方の空を覆う雲が光る。

「やはり、都からの早馬ですか」私は騎馬のまま問いかける。

「ああ。右大臣からの書簡を持って来たらしい」並ぶように馬を近づけて来た山部王が答える。その背後に再び電が光る。

「何か不測事態でもあったのでしょうか」私の言葉に遠雷が重なる。

淡路守あわじのかみからの知らせが何やらと、民部卿が使者に問うていたが」風のお陰で少将宮の低い声は少しばかり聞き難い。

「では、淡路国で何かがあったと」

大炊おおい、いや、淡路公あわじのきみに関わる事やも知れぬ」呟く言葉を追いかけるように、更に雷の音が続く。

 西空を覆う雲全体が光る。何度目かの雷鳴が轟くが早いか、大粒の雨が乾いた道に落ちて細かく埃が立つ。それを抑え込むように、更に多くの雨粒が降り注ぐ。

「降り出しましたな、厄介な」私は左手を上げて、顔にかかる雨を避けながら言う。

「民部卿が戻って来られた」少将宮は列の後方に顎をしゃくる。

 民部卿は速足で馬を進めながら、列を進めろと大声で命じる。少将宮と私は慌てて本来の位置に戻り、兵士らに出立の合図をする。

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