第11話 天平神護元年の事 其の伍 事変の後先
事がある程度収まり、関係者を獄舎に送った後、ようやく騒ぎの全容が知れる。捕物騒ぎが起きたのは八月一日の夜半だが、密告は前日の昼過ぎにあった。
この男のように、謀反などに乗じて昇進した者を、衛府の四等官(長官・次官・掾・主典という上級職)に据える例が多い。為政者らの意向は知らないが、現場の者としては迷惑至極だ。元々が武官ならばまだ良いが、大津大浦などは武官経験がほぼない。それが兵衛府の次官、武官人事を担当する司の次官になったところで、仕事など出来るものなのか。占で人事を決められでもしたら、たまったものではない、冗談半分以上の陰口は常日頃だ。
悪評はさておき、大浦の身柄は一日の未明に確保し、午後には自白が取れた。日暮れを待って各衛府に総動員令が下り、名前の知れた者は大小問わず捕獲命令が出る。
主犯は兵部卿の
全作戦の指揮官は
兵部卿の屋敷からは、実に様々な贅沢品と呪物の類が出て来た。贅沢品の多くは依頼者が贈ったと判断され、質や量からも、この事件以前より呪詛が行われていた事が明らかになる。依頼者や呪詛相手の名前も、遠からず知れる事となるだろう。願わくば、近しい者の名が出て来ないようにと、誰も彼もが無言で思う。
今日は
話題に上ったのは、先の呪詛に関する証拠品の内容だった。そこに『
己が心に思い求める事が成されたならば、遠流にされた尊い御霊の子孫である人々を都に呼び戻し、帝の臣下とする。また、
「では、仇敵の男女とは、
「ああ。前後の文脈から、女帝と
兵部卿
「ここだけの話だが、大臣禅師ら坊主の身分など、女帝がおられなければ無に帰する。わざわざ、呪詛する必要もあるまいよ」船守も言う。
「和気王は自らの即位を狙っていたと思われる。女帝を除いた後、即位に際して一番の障害となるのは誰だと思う」今度は種継が私に問う。
「一度は高御座に着いた御方、であろうな」
和気王は皇帝に祭り上げられた祖父に、その息子を除く事を祈願する。代わりに、流罪になっている親王らを都に戻して重用する。そのような願いが、果たして聞き入れられるものなのか。おまけに呪詛相手の淡路公が贈った名で、呪詛を願うのは本末転倒を通り越して、どこか滑稽にすら思えて来る。
大炊天皇と和気王は、常に険悪な間柄だったと聞く。一族の恥とまで罵ったという噂も、呪詛騒ぎで信憑性を増す。とは申せ、私のような下々の常識で推し量るには、闇が深すぎる。
「確かに、淡路公までが呪詛対象とは驚いた。では俺が最初に耳にした、近衛中将と元
「中将はともかく、
この人の内室は、中将の娘御だと聞いている。上官であり岳父でもある人が、この呪詛事件の連座者として捕縛された。動揺は尋常ではなかろうが、素振りは務めて見せない。
「益女が粟田の屋敷に人を遣ったのも、兵部卿が中将の裏切りを心配し、動向を探ろうとしたためだろう」船守が更に言う。
「御身ら近衛府では、最初から兵部卿に目を付けていたのか、要するに」
「そうだと言いたいところだが、こちらも女孺の噂に翻弄された感がある。よりによって、その噂を耳に挟んだ女帝が、二人の仲を探れと命じたのだからな」
以前より淡路公再擁立の噂には過敏になっていた。元嬪の名前にも反応したのだろう。
「そして益女に行き当たり、兵部卿も浮かび上がった。機嫌伺の振りで兵部卿に接触した
「若翁とは、
「ああ、そうだ。兵部卿の屋敷で派手な
「山部王様は最初から、この件に関わっていたのか。噂とは随分と印象の違う御方なのだな」
「それは俺が再三に言うておるだろう。その辺の盆暗が言う、御飾りで位に就いた些末な皇族官人ではないと」船守が横から言う。
「まあ何と言うか、傍目には品が良さそうだが、実情はかなり下世話の人だな」種継が苦笑する。
「
「何せ、この船守と手合わせをして引き分ける程だ。子供この頃から、母方の
「実践というか我流と言うか。
「確かに、
この船守などは、節会の騎射の常連だ。紀氏の内では敵う者はいないと聞く。
「出てきたら、
「節会の作法はどうあれ、少将宮が中将と兵部卿の関係に気付かねば、事件の発覚はもう少し遅れただろう」船守は相変わらず、山部王びいきだ。
「若翁の言うには、兵部卿は何を思うたか、露骨に呪詛まがいの行為をほのめかして来た。その類の依頼が、それだけ多いという事なのだろう。そのためにはまず、益女に貢物をしろと薦める」何やら意味深に、種継はうなずく。
「それも方便だろうと、我々は踏んでいるのだがな」船守が小さく笑う。
「呪詛を請け負う事がか、それとも貢をする事がか」
「呪詛やら占やらを依頼したいのは、兵部卿自身だった。だから、呪女への貢を算段していた」船守は笑いながら言う。
「そこに育ちの良さそうな、見目の良い男が現れた。あの女はかなりの器量好みだ。好みの男をくれてやるから、次の段取りを諮りたい」
種継の話によれば、兵部卿の下心に気付いた山部王は、当然ながら激怒した。絶対に陰謀を暴いてやるとの意気込みを固め、再び屋敷を訪問する。そして、呪詛の依頼者が献上して来た飾り大刀を見た。後日、近衛府の内で、同じ大刀を粟田中将が同僚に見せている場に遭遇した。
「まあ我々としては、粟田諸姉様との噂もあったし、中将や兵部卿の狙いは、淡路公再擁立だと思っていた。だが、紀益麻呂の密告で大津大浦を捕らえ、自供を引き出したところで、ようやく事の次第が知れた。御位を脅かされて、今は
「だが、いずれもこの事件には、早々の決着をつけたい。女帝におかれては、今年中に紀伊行幸を実現したい。故につまらぬ騒ぎは早急に収めろとの御命令だ」船守は、かなり面倒そうに言う。
「女帝のみならず、あの坊主と身内らも大いに乗り気だ」
「もしかして、河内に離宮を造る件が絡んでいるのか、行幸云々に」私は聞く。
「ああ。希望では冬になる前に紀伊に行き、帰り道は河内を経由し、建設中の離宮に滞在する。そこでゆるりと過ごし、弓削氏の氏寺や周囲の知識寺などに詣でる。それが御望みだと聞いているよ」
「衛門督としては、事件の捜査よりも離宮の方に尽力している始末だ。とは申せ、保良宮や紫香楽宮の例もある。果たして、どうなるものやら」種継は苦笑する。
聖武皇帝が大寺院と共に建設した紫香楽離宮、藤原恵美大師が着工した保良離宮、いずれも天変地異や政変で計画は途絶えた。
「我々が謀反騒ぎに翻弄しているというのに、上は離宮の行幸のと、ご苦労な事だな」私もつい、投げやりに言う。
「大殿は、それらの何れにも振り回されておられるよ」種継はなおも笑う。
大殿とは、筆頭中納言の
「まあ、太政官の重鎮ともなれば、当たり前だ。あの御方は、酒も強いが仕事もできる」船守はまたも、納得したようにうなずく。
事件に一段落ついて、私達の気も緩みかけている。酒も手伝い、会話はあちこちに飛びながら夜更けまで続く。
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