第11話 天平神護元年の事 其の伍 事変の後先

 事がある程度収まり、関係者を獄舎に送った後、ようやく騒ぎの全容が知れる。捕物騒ぎが起きたのは八月一日の夜半だが、密告は前日の昼過ぎにあった。

 弾正台だんじょうだいに現れたのは、陰陽寮おんようりょう紀朝臣益麻呂きのあそみますまろだった。報告の内容は、紀益女きのますめ呪詛ずそを行った可能性がある事と、そこに陰陽師おんようし大津大浦おおつのおおうらも関係している云々。この二人は結託して二人の男女を呪詛しようとしている。それを知り恐ろしくなった。大逆罪にも値する行為ゆえ、口を閉ざしている事も出来ない。まさに密告者の常套句だ。

 大津宿禰大浦おおつのすくねおおうらも相当に胡散臭い男として名を馳せる。元々、有能な陰陽師おんようしとして名を知られ、藤原恵美大師ふじわらのえみのだいし(仲麻呂)に重用された。そこでいささか危ない事を知り、恐れをなして阿倍太上天皇あべのおおきすめらみことの元に駆け込んだ。これにより大師の企てが知れ、太上天皇は大炊天皇おおいのすめらみことを更迭し恵美大師を討った。大浦は功労者として宿禰すくねを賜姓され、七位から一気に従四位上になり、左兵衛佐さひょうえのすけを経て兵部大輔ひょうぶたいふ美作守みまさかのかみに就任した。これはつい昨年の事だ。

 この男のように、謀反などに乗じて昇進した者を、衛府の四等官(長官・次官・掾・主典という上級職)に据える例が多い。為政者らの意向は知らないが、現場の者としては迷惑至極だ。元々が武官ならばまだ良いが、大津大浦などは武官経験がほぼない。それが兵衛府の次官、武官人事を担当する司の次官になったところで、仕事など出来るものなのか。占で人事を決められでもしたら、たまったものではない、冗談半分以上の陰口は常日頃だ。


 悪評はさておき、大浦の身柄は一日の未明に確保し、午後には自白が取れた。日暮れを待って各衛府に総動員令が下り、名前の知れた者は大小問わず捕獲命令が出る。

 主犯は兵部卿の和気王わけのみこ、協力者として命婦みょうぶの紀益女、近衛員外中将の粟田道麻呂あわたのみちまろ、式部員外少輔の石川永年いしかわのながとし、陰陽師の大津大浦、これらの者の屋敷に兵力が派遣される。

 全作戦の指揮官は衛門督えもんのかみ弓削御浄朝臣浄人ゆげのみきよのあそみきよひと、副官は近衛大将の藤原朝臣蔵下麻呂ふじわらのあそみくらじまろが任免されたが、これは能力や経験よりも年功序列だったらしい。

 兵部卿の屋敷からは、実に様々な贅沢品と呪物の類が出て来た。贅沢品の多くは依頼者が贈ったと判断され、質や量からも、この事件以前より呪詛が行われていた事が明らかになる。依頼者や呪詛相手の名前も、遠からず知れる事となるだろう。願わくば、近しい者の名が出て来ないようにと、誰も彼もが無言で思う。


 今日は紀船守きのふなもりと共に、右京四条の藤原式家の屋敷で夕餉に呼ばれる。ここの主は、近衛将監の藤原種継ふじわらのたねつぐだ。

 話題に上ったのは、先の呪詛に関する証拠品の内容だった。そこに『崇道尽敬皇帝すどうじんきょうこうていに祈願する』で始まる文章があった。この大仰な名は、大炊天皇が即位に当たり、亡き父親の舎人親王とねりのみこに奉った尊号だ。

 己が心に思い求める事が成されたならば、遠流にされた尊い御霊の子孫である人々を都に呼び戻し、帝の臣下とする。また、かたきと思い敵とする男女二人、この者らも除いて欲しい。このような内容が続く。

「では、仇敵の男女とは、女帝みかどと大臣禅師ではないという事なのか」私は聞く。

「ああ。前後の文脈から、女帝と淡路公あわじのきみの事だろうと、いずれの筋も考えているようだ。まだ、決定的な自白は取れていないようだが」種継が答える。

 兵部卿和気王わけのみこの尋問は、衛門府で太政官関係者が行っている。今の状況で概ねの自白を引き出す事が出来そうだと、関係者は安心しているらしい。もしも有効な情報が引き出せなければ、尋問者は武官に替わり、更に厳しいものとなる。

「ここだけの話だが、大臣禅師ら坊主の身分など、女帝がおられなければ無に帰する。わざわざ、呪詛する必要もあるまいよ」船守も言う。

「和気王は自らの即位を狙っていたと思われる。女帝を除いた後、即位に際して一番の障害となるのは誰だと思う」今度は種継が私に問う。

「一度は高御座に着いた御方、であろうな」

 和気王は皇帝に祭り上げられた祖父に、その息子を除く事を祈願する。代わりに、流罪になっている親王らを都に戻して重用する。そのような願いが、果たして聞き入れられるものなのか。おまけに呪詛相手の淡路公が贈った名で、呪詛を願うのは本末転倒を通り越して、どこか滑稽にすら思えて来る。

 大炊天皇と和気王は、常に険悪な間柄だったと聞く。一族の恥とまで罵ったという噂も、呪詛騒ぎで信憑性を増す。とは申せ、私のような下々の常識で推し量るには、闇が深すぎる。

「確かに、淡路公までが呪詛対象とは驚いた。では俺が最初に耳にした、近衛中将と元ひんの噂は関係があるのか、この事件に」私は問い返す。

「中将はともかく、粟田諸姉あわたのもろね様は無関係だ。二人の間柄も、やましいようなものではなかろう。本家の媛御ひめごが、上位者の思惑に翻弄されるのを見て気の毒に思い、見舞いの者を遣わせた。そこまでは事実だが、後は女孺めのわらわらの噂が勝手に独り歩きした類だ」種継が擁護するように答える。

 この人の内室は、中将の娘御だと聞いている。上官であり岳父でもある人が、この呪詛事件の連座者として捕縛された。動揺は尋常ではなかろうが、素振りは務めて見せない。

「益女が粟田の屋敷に人を遣ったのも、兵部卿が中将の裏切りを心配し、動向を探ろうとしたためだろう」船守が更に言う。

「御身ら近衛府では、最初から兵部卿に目を付けていたのか、要するに」

「そうだと言いたいところだが、こちらも女孺の噂に翻弄された感がある。よりによって、その噂を耳に挟んだ女帝が、二人の仲を探れと命じたのだからな」

 以前より淡路公再擁立の噂には過敏になっていた。元嬪の名前にも反応したのだろう。

「そして益女に行き当たり、兵部卿も浮かび上がった。機嫌伺の振りで兵部卿に接触した若翁わかぎみが、中将も関係する可能性を見つけた」種継が続ける。

「若翁とは、山部王やまべのみこ様か」

「ああ、そうだ。兵部卿の屋敷で派手な大刀たちを見せつけられた。少し後にその大刀を中将が持っているのを見た。そこから疑いが生じた訳だ」

「山部王様は最初から、この件に関わっていたのか。噂とは随分と印象の違う御方なのだな」

「それは俺が再三に言うておるだろう。その辺の盆暗が言う、御飾りで位に就いた些末な皇族官人ではないと」船守が横から言う。

「まあ何と言うか、傍目には品が良さそうだが、実情はかなり下世話の人だな」種継が苦笑する。

乳母子めのとごを見ていれば分かるだろう。なりも態度も大きくて、腕も口も達者だ」

「何せ、この船守と手合わせをして引き分ける程だ。子供この頃から、母方の和氏やまとうじ百済王くだらのこにきし氏の家で武芸を叩きこまれた。途中から俺も一緒に鍛錬したのだが、和氏の祖父おおじ殿の教え方は、ひたすらに実践重視だったな」

「実践というか我流と言うか。騎射うまゆみなどは作法も何も気にしておられぬ。だが、よう的中する。儀礼には向いておられぬが」

「確かに、節会せちえなどで姿を見た記憶はないな」私はうなずく。

 この船守などは、節会の騎射の常連だ。紀氏の内では敵う者はいないと聞く。

「出てきたら、大殿おおとの以下の家族が恥をかく。それ故、止められている」種継の言葉が冗談に聞こえない。

「節会の作法はどうあれ、少将宮が中将と兵部卿の関係に気付かねば、事件の発覚はもう少し遅れただろう」船守は相変わらず、山部王びいきだ。

「若翁の言うには、兵部卿は何を思うたか、露骨に呪詛まがいの行為をほのめかして来た。その類の依頼が、それだけ多いという事なのだろう。そのためにはまず、益女に貢物をしろと薦める」何やら意味深に、種継はうなずく。

「それも方便だろうと、我々は踏んでいるのだがな」船守が小さく笑う。

「呪詛を請け負う事がか、それとも貢をする事がか」

「呪詛やら占やらを依頼したいのは、兵部卿自身だった。だから、呪女への貢を算段していた」船守は笑いながら言う。

「そこに育ちの良さそうな、見目の良い男が現れた。あの女はかなりの器量好みだ。好みの男をくれてやるから、次の段取りを諮りたい」

 種継の話によれば、兵部卿の下心に気付いた山部王は、当然ながら激怒した。絶対に陰謀を暴いてやるとの意気込みを固め、再び屋敷を訪問する。そして、呪詛の依頼者が献上して来た飾り大刀を見た。後日、近衛府の内で、同じ大刀を粟田中将が同僚に見せている場に遭遇した。

「まあ我々としては、粟田諸姉様との噂もあったし、中将や兵部卿の狙いは、淡路公再擁立だと思っていた。だが、紀益麻呂の密告で大津大浦を捕らえ、自供を引き出したところで、ようやく事の次第が知れた。御位を脅かされて、今は女帝みかどが激怒しているところだ」

「だが、いずれもこの事件には、早々の決着をつけたい。女帝におかれては、今年中に紀伊行幸を実現したい。故につまらぬ騒ぎは早急に収めろとの御命令だ」船守は、かなり面倒そうに言う。

「女帝のみならず、あの坊主と身内らも大いに乗り気だ」

「もしかして、河内に離宮を造る件が絡んでいるのか、行幸云々に」私は聞く。

 弓削氏ゆげうじは河内では名だたる資産家だ。その弓削氏が総力を挙げて、本拠地に女帝のための離宮を建設中だという。

「ああ。希望では冬になる前に紀伊に行き、帰り道は河内を経由し、建設中の離宮に滞在する。そこでゆるりと過ごし、弓削氏の氏寺や周囲の知識寺などに詣でる。それが御望みだと聞いているよ」

「衛門督としては、事件の捜査よりも離宮の方に尽力している始末だ。とは申せ、保良宮や紫香楽宮の例もある。果たして、どうなるものやら」種継は苦笑する。

 聖武皇帝が大寺院と共に建設した紫香楽離宮、藤原恵美大師が着工した保良離宮、いずれも天変地異や政変で計画は途絶えた。

「我々が謀反騒ぎに翻弄しているというのに、上は離宮の行幸のと、ご苦労な事だな」私もつい、投げやりに言う。

「大殿は、それらの何れにも振り回されておられるよ」種継はなおも笑う。

 大殿とは、筆頭中納言の白壁王しらかべのみこの事だ。

「まあ、太政官の重鎮ともなれば、当たり前だ。あの御方は、酒も強いが仕事もできる」船守はまたも、納得したようにうなずく。

 事件に一段落ついて、私達の気も緩みかけている。酒も手伝い、会話はあちこちに飛びながら夜更けまで続く。



 

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