第8話 天平神護元年の事 其の弐 噂に上る人々
性懲りもないが、過去の話を続ける。春の半ば、
姉の家も我が家も、このように子供に恵まれた。しかし、比較するのも恐れ多いが、皇家はあまり順調ではない。
当分の間は
こうして皇嗣問題は棚上げの形となる。そして私はといえば、またもや姉のお零れで新たな姓を賜る。
吉備を名乗っても、郷里の
夏になったが、室はまだ仕事に復帰していない。相変わらず
珍しく昼過ぎに家に戻れた日、子供たちに昼寝をさせた室が、仕入れた噂話の披露にやって来る。
「その方は
話題に出た名前は、先の
「あくまでも噂ですから、真偽のほどは知れませぬけれど」何やら勿体漬けて、室は口ごもる。
「何だ、府議密通だとでも」ごく軽い気持ちで口に出す。
「あら、御存知なのですか」いささか驚いたように返す。
「御存知と、まさか本当に府議密通か」
「だから、噂です」
粟田諸姉という人は、元々、
「だが、もし本当ならば、その方も相手も不敬罪に問われるのではないのか」
「廃帝の嬪でも、そうなるのですか」
「さて……しかし、あの
大炊天皇には
「それで、相手の男の名は知れているのか」つい、老婆心が出る。
「近衛中将の粟田様だそうです」
「近衛中将だと……それは、少しばかり、互いに年がいっておるな」動揺をごまかすつもりで、わざわざ見当違いの発言をする。
近衛中将、
「確かに若いとは言えませぬが、特に不自然でもないでしょう。諸姉様は殿とそれ程に変らぬ御年でしょうし」
「
「それに中将様は大層な美男なのでしょう。若い頃から浮いた噂の一つ二つはあったのではありませぬか」室は妙に嬉しそうだ。
「いや、あの御仁は、武官の間でも朴念仁で通っておるよ。不義だの密通だのとは、あまりにかけ離れておると言うか。身持ちも堅い、御内室も確か一人きりだ」
「そうなのですか。御息女は、近衛将監の藤原様の内室になられたと聞いていますけれど」
「近衛将監の藤原様」鸚鵡返しに呟く。
「御存知でしょう。船守様の御同僚でいらっしゃる」
「種継殿は知っておるが、御内室にはお目にかかった事はないよ。しかし、近衛中将も粟田朝臣だ。同族の者が、諸姉様の元を訪ねたところで不義にはなるまい」
「具体的にどのような関係なのかは分かりませんわ。ただ、噂になっていると言うだけで。でも、同じ粟田でも、諸姉様と中将様では家の格が違うのでしょう。そう聞いていますよ」
「ああ、そうだ。中将は元々
実のところ、私に思い当たるのは不義密通などではない。官人らの間で噂される、淡路公の再擁立を目論む一派の存在だ。衛府にも、それに属する者がいる可能性は否定できない。
「御機嫌伺は大いにあるでしょうね、それも下心付きで」
「あまり下世話な事を言うな」
「後宮では皆、そう思うていますよ、女孺だけでのうて
「ありそうな事だ」私は溜息混じりに鼻で笑う。
恐らく命婦たちは、密通の噂を表面に漂わせ、その下で淡路公の事を話題にしているのかもしれない。
件の近衛中将を見かけたのは、
その時に話をしていた相手は、
成り上がりと陰で評される、四位の輩が顔を突き合わせる。関わりを持ちたくない者らは、見ない振りで遠巻きに過ぎる。かく言う私もその一人として、軽い礼を交わして通り過ぎる。その時にどちらかが兵部卿と口にした言葉を聞いた。
兵部卿の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます