第4話 天平宝字八年の事 其の参 右兵衛督の話

 しつこいようだが、まだ過去の話だ。近江出兵の時、最高司令に任命されたのは藤原式家の蔵下麻呂くらじまろだった。乱平定の功績が認められ、従三位を与えられて右兵衛督うひょうえのかみに就任した。つまり、私の上官となった。この人は式家当主の末弟なので、私より一つ年下の三十一歳だ。この年で得た高すぎる位階に、家の内でも困惑の目が向き、本人も懐疑的に思っているようだ。

 今までも出兵時にも殆ど接点はなかったが、任務で顔を合わせるようになれば、案外、人懐こい性格だと知れる。同世代という事もあり、少しばかり親しくなると屋敷に招かれるようにもなった。


 式家の屋敷は右京二条から四条辺りに固まっている。右兵衛督の屋敷には、異母兄の雄田麻呂おだまろや甥の種継たねつぐという年の近い者も頻繁に訪れるが、今宵の客は私だけだ。

「では、授刀少尉たちはきのしょうじょうは山部王様の乳母子めのとごなのですか」私は督殿に問う。

 授刀少尉とは藤原種継の事だ。私は十六歳で武官として官界に入った。以来、上位者や上級者を名前で呼ぶなど不敬千万、官名や通称で通す事がすっかり慣例化している。

「ああ。名前からして山部氏やまべうじ乳母めのとだと思うのが当たり前だな」

「少尉の御母堂が山部氏なのですか」

「いいや、種継の母は秦氏はたうじだ。公に派遣された乳母は山部氏なのだが、種継の母は、大殿おおとのが知己にたのうで来てもらったそうだ。何せ、あの若翁わかぎみは幼少のみぎりから、たいそう手のかかる御仁だったゆえに」

 大殿とは白壁王で、若翁とは山部王の事だ。手がかかるとは、聞かん気で手に負えないとか、矜持が高すぎて鼻持ちならないとか、もしかしたら病気がちで目が離せないとでもいう事なのか。いずれもありそうなので、何とはなく納得する。

「しかし、式家の御内室ですよね。そのようは方が孫王(天皇の孫に当たる諸王)より頼まれたとはいえ、乳母になるものなのですか」

「種継の父親、まあ、俺から見れば母親の違う兄だ。その母親の身分はかなり低い。種継の母親も身分を問われれば、決して高いとは言えぬ。それ故、宮家の子息の乳母になれるのなら、願うたり叶うたりと思うたのであろう」

 母親の出自や身分を子供に問う例は、藤原氏のような中央の権門だけではない。私の本拠の備前国びぜんのくにでも当たり前のようにある。

御身おみは山部王に興味があるのか」督殿は酒瓶しゅへいを差し出しながら聞く。

「興味などと僭越な事は申しませぬ。そうですね、皇族にしては面白い御方だと思います」つきを取り、督殿の出方を伺いつつ答える。

「確かに。あの家の方々は、父親からして変わっておられるからな」

中納言宮ちゅうなごんのみや様ですか」

 噂では、孫王で初めて内舎人を務めたという変わり種で、今は太政官一の酒豪として知られる。先頃まで官界上部に名を連ねていた皇族官人は、為政者の移り変わりですっかり影を潜め、今は中納言の白壁王だけが残っている。

「それで、若翁のどの様なところを面白いと思うのだ」

 幼馴染の督殿が山部王を若翁と呼ぶのは、特に不思議にも思わない。しかし、授刀衛府では舎人たちもが同じように呼んでいるらしい。当然ながら、この綽名を広めたのは件の種継少尉だ。

「面白いとは言葉の綾です。ただ、随分の辛い立場に立たされておられる、そう思うのです。思う事すら不敬なのやも知れませぬが」

「同情を不敬などとは言わぬ。実際、大殿も若翁も長らく辛い立場に立っておられた。だが、ようようにしがらみから抜け出そうとされている。大殿は皇家の最上臈じょうろう、れっきとした孫王だ。この後、皇家存続にかかわる可能性が大きい。それを分かって群がって来る輩から、今は少しばかり開放されたところだ」

恵美えみ家の事を言われているのですか」

「ああ、そうだな。そして同じ皇族からもだ」

「中納言宮は近江帝おうみのみかどの血筋でしょう。それでも皇位継承に関わられるのですか」

 九十年も前の壬申みずのえさるの年に近江帝は崩御した。そして皇子と皇弟が位を争うという、皇家を二分する大乱が起きた。勝者の皇弟は飛鳥浄御原宮あすかきよみがはらのみやに即位し、その子孫が皇家の正統となる。敗者となった皇子の兄弟の子孫は、皇位継承から遠ざけられて現在に至る。

「近江帝の浄御原帝きよみがはらのみかどのという議論は、今や空論に等しかろう。考えても見ろ、浄御原帝の親王みこらの家が、どれだけの勢力を残しておられよう。北宮きたみや家は宝字元年の謀反未遂事件で離散した。新田部にたべ親王家も舎人とねり親王家も、この度の謀反で息の根を止められたも同然。なが親王家は文室真人ぶんやのまひとを賜姓されて臣下となった。忍壁おさかべ親王家の嫡系も都を追われて久しい」

 督殿が上げた親王家の人々は、浄御原帝の孫や曾孫だ。いずれも皇嗣争いに巻き込まれて命を落とすか、皇籍を剥奪されて流罪に処せられた。もしくは皇籍を自ら返上して天皇に仕える事を誓った。ところが近江帝の末子の志貴親王しきのみこの子供たちは、皇嗣から無縁で過ごして被害を免れている。

「皇家を見回してみたところで、親王みこ内親王ひめみこもおられぬ。孫王も殆どおられぬ。三世王に目を向けたところで、優位な立場におられる方はどれほどか」

 つい先頃には、舎人親王家から出た大炊天皇おおいのすめらみことの異母兄たちが親王と呼ばれていた。しかし、謀反への連座者として皇親の身分を剥奪され、流刑地への護送を待っている。それどころか大炊天皇自身も廃帝として衛門府で拘束されている。阿倍太上天皇あべのおおきすめらみことは再び高御座に着き、女帝として廃帝らを断罪する。

 官界に残る孫王も、近江帝末子のそのまた末子、五十代半ばの白壁王のみだ。何人かの兄や姉が存命らしいが、既に骸骨を乞うた身だ。その子供たちも都にいなかったり、散位で官職に就いていなかったりする。中央官界で目に見える程の活躍をするのは、おそらく山部王くらいだろう。

「先の斎宮内親王さいくうのひめみこが、どうして白壁王様のきさきとなられたのだと思う」

「時の天皇すめらみこと皇子みこの誕生を期待してかと」

「まあ、誰もが思う通りだがな」督殿は鼻先で笑う。

 先の伊勢斎宮、井上内親王いのえのひめみこは、聖武皇帝と贈り名をされた首天皇おびとのすめらみことの第一皇女として生まれた。阿倍女帝あべのみかどの一つ年上の異母姉に当たる。幼くして伊勢に下り、同母弟の薨去に伴って退下した。既に三十を目の前にしていた内親王に伴侶を与えたのは、父親の聖武皇帝だった。しかし、父親の生前に誕生したのは女王ひめみこだけだった。

「今、聖武皇帝の孫に当たられる皇子は三人おられる。しかし二人は、父親を謀反人とする。もう一人は未だよわい四つ。女帝が次の皇太子ひつぎのみこにと考えているのは、その様な幼い子供なのだろう」

 阿部女帝の異母妹に不破内親王ふわのひめみこという人がいる。新田部親王の子の塩焼王しおやきのみことの間に二男二女を儲けた。しかし塩焼王は先の謀反で、恵美仲麻呂えみのなかまろに担ぎ上げられて敗死した。

 井上内親王には女王の他に、他戸王おさべのみこという男子もいる。詳しくは知らないが、内親王が四十歳を過ぎてから産んだ子供だ。健勝に育っているのか、老婆心ながら心配になる。

「無理を通せは、立太子は明日にでもできよう。しかし譲位となれば、十年以上は後の話だ」

「つまり、他戸王様の家族として、中納言宮も大尉宮だいじょうのみやも見られるようになると」

「そういう事だ。藤原の各家も例外ではない。宿奈麻呂兄などは、末娘を他戸王に輿入れさせる算段中だ」督殿は長兄の名を上げて、他人事のように笑う。

 この人の家は、息子ばかり四人か五人いると聞く。妃云々に関しては、まさに他人事なのだろう。

「どうだ、御身も若翁と知り合いになって、媛御ひめごを他戸王の内室の一人にでもと薦めては」

「滅相もありませぬ。そもそも、私には娘はおりませぬし」

「次は女の子が良いと、御内室は言われているのであろう」

「まあ、日夜、その様に祈願しているようですがね」わざとらしく溜息をついてみる。

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