第2話 天平宝字八(764)年の事 其の壱

 唐突だが、ここより話は少しばかり遡る。一年と八か月前の天平宝字八年正月、定例の司召つかさめし県召あがためし(人事異動)があった。

 この頃、大炊おおいの天皇すめらみこと阿倍あべの太上天皇おおきすめらみことの仲は最悪と見られていた。ある時、両者の間に大きな諍いがあった。その翌日、太上天皇は官僚らの前に断髪と黒い法衣という姿で現れた。何でも、予てより教えを乞うている僧侶の元で出家をし、清い身となってまつりごとに当たるのだという。このような異様な事態の元、文官は元より武官の人事にも、官界は神経を尖らせていた。

 当時の近衛府は授刀たちはき衛府という名前で、中衛府と並ぶ天皇直属の衛府として注目されていた。その員外大尉いんがいのたいじょう山部王やまべのみこという名前があった。私がこの人の存在を知ったのはこの時だと思う。

 武官の人事は兵部省ひょうぶしょうが決めるが、山部王の前官は内舎人うどねり中務省なかつかさしょうの所属となっている。そのためか、この皇族官人がどのような人なのか、私も周囲の武官たちもまるで知らない。そもそも地方出身の私は、皇族になど縁が無い。皇族は放って置いても、いずれは従五位下という高位をもらえる。五位をもらった諸王みこを据える役職に、員外(定員以外に設けた役職)の授刀大尉たちはきのたいじょうあたりが適当だったのだろ。そのように思う程度だった。

 ところがこの御仁は無位のままで、この地位に就けられたと聞く。兵部省の言い分では、諸王には六位以下の官位がないために無位だが、扱いはあくまでも正六位上となる。あまり聞いた事のない状況に、やはり誰もが首を捻る。


「そもそも山部王という御人は何者なのか」同僚らに問いかけ、下世話にも詮索を始める。

「従三位中納言、白壁王しらかべのみこ様の御嫡男だ」年嵩の者から簡単に答えが返る。

 この頃の太政官は、いささか異様の人事を呈していた。首班は大師だいし(太政大臣)と呼ばれる藤原恵美朝臣押勝ふじわらのえみのあそみおしかつ、次席が御史大夫ぎょしたいふ(大納言)で元皇族の文室真人ぶんやのまひと浄三きよみ、その下には四人の中納言が並ぶ。筆頭は藤原北家の当主の藤原朝臣永手ふじわらのあそみながて、続いて件の白壁王、元皇族の氷上真人塩焼ひかみのまひとしおやき、そして永手の弟の真楯またてがいた。つまり上位六人の内の三人が皇親で、残りが藤原氏という偏りだ。参議は、ほぼすべてが藤原氏とその派閥に属する者しかいない。ところがこの時の藤原氏内部も、見事なくらいに割れていた。

「白壁王様という方も、かなり微妙な立場だな」訳知り顔の者が言葉を続ける。

 今はどこの派閥にも属していないように見える。だが、何かの切っ掛けで簡単にどこかに属する可能性がある。

「どのような素性の宮様なのだ」

「二世王で、近江天皇おうみのすめらみこと(天智天皇)の御孫に当たるそうだ」

 確かに微妙な立場だ。百年近い昔の壬申みずのえさるの年、近江天皇の子と弟が皇位を争った。白壁王の父親の志貴親王しきのみこは近江天皇の末子、負けた側の系統になる。大声では言えないが、血筋は正しくとも日陰を歩む存在だ。

「だが、山部王様は更に複雑だ」訳知り顔が更に言う。

「元内舎人うどねりで、まだ若いのだろう」三十にはなっていないと聞く。

「驚くなかれ、大師だいし様の娘婿だというぞ」

 この言葉に誰もが妙な納得をした。授刀督たちはきのかみの藤原御楯みたても大師(太政大臣・藤原恵美押勝)の娘婿だ。ここにもう一人の娘婿、山部王を授刀大尉に据えた。授刀衛府は大師の勢力として抑えられたも同然だ。

「では、山部王様が無位で大尉になったのは、岳父殿の根回しか」

「それならば、とっとと五位になるだろう。無位の大尉など聞いた事がないし、何よりも格好がつかぬではないか」

「その辺りは御偉方が何か企んでいるのやも知れぬ。俺たちのような下っ端には分からぬような事を」

 御偉方というよりも、藤原氏四家の当主たちだろう。初代の藤原不比等ふじわらのふひと公に四人の息子がいて、それぞれが家を興した事から一族の争いが始まる。上から南家、北家、式家、京家と呼ばれる。当初は南家が惣領の家として、表面上は仲良くやっていたらしい。ところが二十数年前の豌豆瘡えんどうそう(天然痘)によって、四人が短期間に亡くなる。この辺りから均衡が崩れて争いが表面化する。今は南家と北家が、とにかく仲が悪い。大師は藤原南家、婿の御楯は北家当主の異母弟だ。この婚姻で北家は守りの一角を崩された形になる。

「大師様としては、次は皇家との縁を結ぶのに力を入れておられるようだな」訳知り顔が納得するには、更に複雑な藤氏の内情がある。

 藤原南家は家の内にも派閥がある。先の右大臣だった兄を弟の仲麻呂が、ある事件で蹴落とした。そして時の女帝より藤原恵美朝臣ふじわらのえみのあそみを賜姓され、名前も押勝おしかつに改める。こうして今は、太政官の最高権力者として君臨している。だが出過ぎた釘よろしく、同じ家からも他の家からも常に虎視眈々と隙を狙われている。

 このような背景を知ったおかげで、私は山部王という人を侮っていた。為政者の手の上で良いように踊らされる、御飾り的な人物に相違ないと。思いながらも少しばかり奇妙な事にも気が付いた。

 山部王に嫁ぐ年齢の息女がいるのなら、どうして大炊天皇の夫人ぶにん(天皇の配偶者・三位以上)にと大師は考えなかったのか。天皇は私と同じ年なので三十二歳、ひん(五位以上の配偶者)はいるが夫人や(皇族の配偶者)がいない。当然ながら皇后おおきさきも定まっていない。更に言えば親王もいない。この状況に、どこの権門も年頃の娘がいれば入内を狙っているはずだ。大師が娘を上げないのだから、他の者が遠慮しているなどという事は決してないだろう。

 ともあれ、吉備の田舎者の私には、中央の銘家の考えなど分からない。このように結論付けて詮索をやめた。

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