〈回想〉エンディング――王族殺し

 嫌な予感は、していたのだ。


 悲鳴が聞こえる。

 ヴィクターが食堂の扉を開いた時。彼が最初に気がついたのは、鼻につく嗅ぎなれた血の臭いであった。

 食堂の中はしんと静まりかえっており、よく耳をすませてみれば、わずかに誰かのすすり泣く声が聞こえる。


「――クラリス」


 彼女がどこにいるのかはすぐに分かった。

 ヴィクターは慌てることも、問いただすこともせずに、まっすぐに血溜まりの中でうずくまる彼女の元へと向かう。


「……ヴィクター……わたし、ちがうの。わたし、こんなこと……」


「……」


「こんなことが、したかったんじゃないの……!」


 そう言って涙をこぼしながらヴィクターを見上げた彼女の周りには、どちらもすでに多量の血を流して絶命していることがひと目でわかる、セオドアとリアの姿があった。

 彼女の手と同じように血に濡れたナイフは血溜まりの外側へと放られており、ヴィクターはただ黙ってそれを見つめる。


「どうして……ねぇ、ヴィクター。あなた、どうしてそんな顔をしていられるの? 私……お父様と、お母様を……こ、殺してしまったのよ……?」


「……あぁ。分かっている」


「私はただ……あなたと二人で幸せになれるのなら……それができないのなら、あなただけでも幸せになってくれれば……。それでよかった。でも、これじゃあ誰も……ッ!」


 これ以上は時間がなかった。

 騒ぎを聞きつけたのだろうか。食堂の外からは複数の足音が聞こえている。

 ヴィクターは血溜まりの中へと足を踏み入れていくと、震える彼女を抱きしめて優しく頭をなでてやった。


「大丈夫。大丈夫だから……クラリス。すべてワタシのせいにすればいい。絶対にワタシがまたキミを幸せにするから……また一からやりなおそう。だから今はすべて忘れて眠るといい。コーディリアのことも、家族のことも、キミ自身のことも――ワタシのことも」


「え……?」


 金色の柔らかな髪に触れた、ヴィクターの右手が淡い光をおびる。


「怖かっただろう。安心して。任せて」


「――あ、あぁ、ヴィクター。まって、ヴィクター……! なんか、おかしい。やだ。わたしの、あたまのなか、どんどんからっぽになって……!」


「うん。そうだね」


 彼女の頭の中から次々と記憶が、抜け落ちていく。

 小さい頃のこと。初めて王女として、自分の足で国民の前に立った時のこと。勝手に兄と城を抜けだして、歌劇場まで足を運び父と母にこっぴどく叱られた時のこと。

 そして。ヴィクターと出会って、今日。幸せだったあの時間。


「いやだ、ヴィクター! わたし、あなたのこと、わすれたくなんて――」


「ワタシだって同じさ。クラリス。でも……きっとキミならまた今と同じように、ワタシを愛してくれる。それがいつになるのかは分からないが……時間はたくさんあるんだからね。のんびり世界でも回りながら待つとするよ」


「ヴィクターッ――」


 ヴィクターの名前を呼んだのを最後に、彼の腕の中でこわばっていた身体から力が抜ける。

 安らかな寝息。――あぁ。彼女は、今。この瞬間。きっとしまったのだろう。


「さようなら……ワタシの愛しいクラリス」


 彼がそう手向たむけの言葉を述べるのと同時に、強い勢いで食堂の扉が開く。


「セオドア様! 先ほどリア様の悲鳴が聞こえましたが、いったいなにが――」


 ぞろぞろと駆けつけてきた兵士たちが食堂へとなだれこみ、その誰もが息をのんだ。

 部屋の奥に倒れる王と王妃の姿。そしてその間でぐったりとした王女を抱く一人の男。


「――ヴィクター! 貴様、自分がなにをしでかしたのか分かっているのか! セオドア様たちになにをした。あれほど、王族方と親しくしていたお前がなぜ……!」


「そう聞かれると困ってしまうね。なぜかと問われれば、理由を答えることはできないのだが。……キミたちはただのみを知ってさえいれば、それでいい」


 そう言ってヴィクターは彼女を抱き上げると、くるりと兵士たちの方へと振り返る。


「これはすべて、『ヴィクター・ヴァルプルギス』が仕組んだことだ。キミたちの知る『ヴィクター』はたしかに――彼らのことを愛していたよ」


「ッ!」


 ヴィクターと兵士たちの間に一陣の風が巻き起こる。

 次の瞬間に彼は、両側に大きく開かれたコーディリア国を一望できる窓の縁へと足をかけていた。


「ヴィクター! クラリス様を連れてどこへ……!」


「ははっ、なぁに。少し気は早いが新婚旅行ハネムーンさ。世界中を旅したいというのは、クラリスたっての願いだったからね」


 そして。

 ヴィクターは窓から大きくに向けて跳躍をする。

 国全体を見通すことができるような高さである。普通の人間であれば到底死んでしまうような、恐ろしい地面との引き合いに心臓を凍りつかせるだろう。

 だが、彼はあいにく――普通なんかではない。かつて世界中の誰もが恐れたような、少し変わり者の魔法使いであった。


「さぁ、ワタシたちの『幸せ』をリスタートしよう。クラリス! ワタシたちのことを誰も知らないような場所で、またすべてを一からやりなおすんだ!」


 ぷかりと宙に浮いたヴィクターは、瞳を輝かせて夜空を見上げる。

 のちに彼が耳にした話では、この日。コーディリア国の国民たちは彼らも知りえない、王族たちの秘密の祝祭があげられたのだと。そう思っていたそうだ。

 それもそのはずだろう。その時誰もが見上げた夜空には――


「Aha!」


 コーディリア城の上空で大きく花開く、満開の花火がいくつも打ち上げられていたのだから。

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