〈回想〉「クラリス」の結婚

《夜――コーディリア城・食堂》


 こんなにもこの食堂を広いと感じたのは、クラリスにとって生まれて初めてのことであった。

 いつもであれば自分と父、母、兄。または共にテーブルにつくことはないメイドたちや警備の兵士たちで賑やかにも思える室内。

 しかし今現在この静かな部屋の中にいるのは、クラリスと父のセオドア、そして母のリアだけであった。


 ディナーの時間ということもあって料理はすでに長方形のテーブルの上にすべて並べられており、時おり部屋の中に響く食器とカトラリーのぶつかる音がやけに大きく聞こえる。

 だが、そんな上品さをも感じさせる空気を破ったのは、男の大きな咳払いの音であった。


「――ところでクラリス。今日もヴィクターを連れ回して、また着もしない服や装飾品ばかり買ってきたと聞いたが……」


「着もしないなんて酷いわ、お父様! ほら見て、この藍色のワンピース。今日のデートの時にヴィクターが選んでくれたのよ? このイヤリングだってそう。彼の瞳みたいに綺麗な紫色の宝石でできてるの」


「うーむ。デートとかいう若者の言葉はワシには馴染みが薄いが……まぁたしかにクラリスによく似合う服ではあるな……なぁ、リア?」


 席を立ってくるりとその場で一回転したクラリスは、上座に座るセオドアに向けてワンピースのすそを少しつまんで見せる。

 いくら王ともいえど一人の子の親である。セオドアは娘の嬉しそうに笑う姿に無意識に頬を緩ませると、クラリスの向かい側へと座る妻のリアへと問いかける。


「お父様の言うとおり、よく似合ってるけど……そういう話がしたいんじゃなかったでしょ?」


 クラリスと同じ美しい金色の長い髪をおろした細身の女性、リアは手にしていたフォークを置くと眉を八の字に寄せる。


「あ、あぁたしかにそうだったな。……クラリス。お前がどれだけ新しい服や装飾品を買ってこようと、ワシもリアも怒ったりはしない」


「ええ」


「でもなぁ。ヴィクターを長時間お前の買い物にばかり付き合わせるのは、なんというか……彼も疲れるから……」


「ヴィクターが?」


「さっき城のホールで会った時、なんだかすごく疲れたような顔をしていたぞ? また何時間もお前の着せ替えショーに付き合ってもらったんじゃないか?」


 セオドアも過去にそういった経験があるのだろうか。やけに確信めいた言い方をしてくる。

 だが、たしかにそのヴィクターの様子はクラリスにも心当たりがあった。

 街へでてはじめの頃は真剣に服選びに付き合ってくれていたヴィクターも、クラリスの店を出て城へ戻るまでの間の店ではなにを着ても「いいんじゃあないか?」としか言わなくなっていた。言われてみれば、若干顔が死んでいたような気もする。

 それでも文句を言ってこなかったのは、ひとえにクラリスを思ってだろう。


「それは……そうね。気をつけるわ」


 クラリスは大人しく席につくと、また両手でカトラリーを握って動かしはじめる。

 家族団らんの食事の時間が終わったのは、それから十分ほどが経過した頃だった。


「それでお父様。今日はなにかお話があって、私たちだけの食事の席なのよね? 実は私からも話したいことがあって――」


「クラリス」


 昼間のことを思いだして少し表情を柔らかくするクラリス。

 しかし対照的にセオドアはこれまでと一転して深刻な顔で彼女の名を呼ぶと、食事を終えて用済みとなったフォークを置いた。


「これから真面目な話をするが……先にお前に謝らせてほしい。それこそ一生をかけて謝りつづけなければならないことだ」


「謝るって……いきなりどうしたの? お父様。……あっ。もしかしてまた、私の大事な宝飾のコレクションでも壊したんじゃ――」


「クラリス。お前と、南西の一帯の領土を占める大国オフィーリアの王――ローランド王との婚約が正式に決まった」


「――え?」


 はじめはセオドアがなにを言っているのか、クラリスには理解することができなかった。

 それが理解できるようになったのは、ゆっくりと彼の言葉を咀嚼そしゃくし飲みこむことができるようになってからで。


「待って。どういうこと? 私、そんな話なんて一度も聞いたこと……」


「すまない。お前には迷惑をかけたくなかったんだ。ワシとリアで何度もローランド王には断った。クラリスには想い人もいる。それに王族ではなく普通の人間として、幸せに過ごしてほしいというのは我々の総意だったからな」


「じゃあなんで……!」


「国を……国民を人質にとられた」


「ッ!」


 クラリスにはセオドアの言わんとしていることが分かる。

 彼は父として結婚に同意したのではなく、国王として同意のである。


「半年前に、オフィーリア国に社交界に行ったことがあったな。そこで見かけたお前をローランド王はたいそう気に入ったらしい」


「……」


「お前をめとることができなければ、兵をひきいて攻めこむと……そう言われたのだ。もちろん迎え撃つ準備はある。しかし、相手は世界でも一、二を争う大国だ。必ず……大きな被害がでる」


「……だから私がローランド王の元にとつげば、戦争は回避できるってこと……」


「本当に……本当にすまない。あの時、ワシがお前を社交界になんて連れていかなければ……」


 セオドアとて断腸の思いでこの選択をしたのだということは、クラリスにも痛いほど伝わる。

 うつむき気味に視線を落としたセオドアとリアは、これ以上クラリスになんと声をかけてやればいいのか考えあぐねているようだった。


「お兄様にこのことはもう話したの?‪ 今もまだ、遠くの国にいるんでしょう……?」


「ええ……ノアにはまだ話していないわ。あの子はコーディリアの代表として、東で起きた事件の調査に加わってもらっているから……。なかなか連絡をとるのが難しいの。だから彼が帰ってきたら話そうと思ってるわ」


 リアもセオドア同様に、悲痛な面持ちでクラリスにそう語っていた。

 ここにはいないもう一人の家族――クラリスの兄であるノアがここにいれば、彼女とともに反対をしてくれただろうか。

 昔からクラリスの幸せを最優先に考えてきた兄だ。きっと今すぐにでもコーディリア国をってオフィーリア国にまで抗議をしにいっていたかもしれない。

 たとえこれが、くつがえすことのできない決定であったとしても。


「それじゃあヴィクターは……ヴィクターにはまだなにも言ってないんでしょ? ……そんなの……嫌よ……。今日、せっかく……ヴィクターと結婚しようねって……やっと、告白したのに……。結婚式も世界旅行も、やりたいことなんて、まだなにも叶えてないのに――」


 彼の名前を口にしたとたん、クラリスの目からは大粒の涙があふれだした。現実味がないと思っていた父の話が現実であると突きつけられる。

 離れ離れになんて、なりたくないと。彼女の頭の中にはそればかりがぐるぐると渦を巻いて離れない。


 ――私がいったい、なにをしたっていうの? ヴィクターと離れ離れになるなんて、嫌だ。そんなの絶対に嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――


 他になにも考えられないほどに、ぐるぐると、ぐるぐると。ぐるぐるぐるぐるグルグルグルグル渦を巻いて――


「クラリス。まさか、お前が話したいと言っていたことというのは……クラリス?」


 娘の発言になにかを感じとったセオドアが声をかける。

 しかし、クラリスはゆっくりと席を立つと、どこか虚ろげな表情で彼の前へと歩いていく。

 セオドアはなおも心配そうにクラリスを呼びかけてはいたが――クラリスの正面の席に座っていたリアには、彼女が後ろ手になにを握っているのかが。分かってしまった。


「――ッ」


「クラリス! 待って、やめなさい!」


 クラリスの座っていたはずの席には、それまであったはずのテーブルナイフが一本。なくなっていた。

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