〈回想〉キミが選んだだいじなリボン

《過去――コーディリア城》


 初めてヴィクターとクラリスが出会ってから数年の時が流れた在りし日。

 ヴィクターは迷っていた。


「Um……」


 城の中に与えられた彼のための一室。

 必要最低限のものだけが置かれたその部屋のすみに置かれた姿見の前で、ヴィクターはかれこれ三十分以上は鏡の中の自分との睨み合いをつづけていた。


「やはり赤の方が合うだろうか? いや、しかし青というのもなかなかきつけられるものがある。Ah、こんなにも迷うのならばメイド長にでもあらかじめ相談しておくべきだったんだ。早く決めないとそろそろクラリスが――」


「もういるわよ?」


「ひっ!」


 突然近くから聞こえた声に、あまりの驚きからヴィクターの喉から引きつった悲鳴がでる。


「……ワタシに気づかれずに背後をとるだなんて、いつの間にそんな魔法を覚えたんだい。可愛いクラリス」


「なに言ってるのよ。何度もノックしたのにヴィクターったら返事もないんですもの。さすがに気になって覗いてみたら夢中で鏡とにらめっこだなんて……なにしてたの? これ?」


 そう言ったクラリスはヴィクターの両手に握られた赤と青の二つのリボンに目をとめる。


「実はこのリボン、どっちを身につけていくべきかで迷っていてね。本当ならば早く支度したくをすませてキミを迎えにいくはずだったんだが、気になりだしたら終わりがなくて……」


「そんなことで? 別にいつもだって、魔法でてきとうな服にポンポン着替えてるじゃないの。今更そんなこだわんなくたっていいのに」


「よくないだろう! だ、だって今日はワタシとクラリスの、ひ、久しぶりの……デートなんだから……!」


 デート。その言葉の意味が表すとおり、二人の関係はこの数年でただの王女と教育係から進歩していた。

 自分で言いながらだんだんと顔を赤らめてきたヴィクターは、ぽこぽこと背中越しに花火を打ち上げながら無意識に喜びを表現する。

 そう照れる姿もクラリスにとっては可愛いものである。

 ヴィクター自身はこれを師に面白半分でかせられたまわしい呪いであると言ってはいたが、クラリスは彼の気持ちが目に見えて分かるこの呪いが好きだった。


「もう。久しぶりっていっても、一週間くらいでしょ? 本当にヴィクターってば大袈裟ね……。しょうがない。このままじゃ時間もなくなっちゃうから、私がどっちか選んであげる」


「本当かい?」


「ええ。それじゃあ……今日はこっちの青いリボンにしましょうか。あなたにはきっと赤いリボンの方が似合うけれど、今日はこっち。ほらしゃがんで」


「Hmm……どうしてだい? どうせならば似合う方をつけた方がキミの目にもよく映ると思うのだが……」


 するりとヴィクターの手から青いリボンが引き抜かれ、彼はその行く先を目で追いかける。

 クラリスは両手でリボンの端と端をつまむと、少しかがんで手の届く位置となったヴィクターのシャツの襟元えりもとへと通す。


「だってこっちの色、私の目と同じ色なんですもの。今日はデートなのよ。これなら私のヴィクターって感じがして自慢もできるしいいでしょ?」


「ッ! え、あ、いや、んー……ふふっ、そうだね。も、もちろんワタシの心は今も昔もずっとクラリスだけのものだが? しかしこうしてキミのものだと証明する証があるのも――」


「はい終わり」


 先ほどまでとは比にならないほど打ち上がる花火は、その一つ一つがちがった色彩や形状をしており、空中を舞う間に溶けては消えていく。

 ヴィクターは自分の元から離れていくクラリスを名残なごり惜しそうに見つめてはいたが、鏡に映った首元の青に気がつくとふにゃりと嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうクラリス。キミがせっかく選んでくれた証なんだ。これは大切にするよ」


「ただのリボンでしょうに。それよりもほら、早く街に行きましょうよ! あなたを連れていきたい場所があるの!」


「えっ。ちょ、待って。クラリス!」


 クラリスはおもむろにヴィクターの手をとると、彼の制止の声を無視して走りだす。

 勢いよく扉を開けた彼女は、偶然近くを通ったメイドたちが驚いたことにも気がつかずにヴィクターの手を引いて城の出入口を目指していた。


「Ah、すまないねキミたち! ――クラリス! ワタシはキミとちがって背も脚も長いんだ。そんな無理くり引っ張られては、走りにくくて仕方が――」


 ゆいいつ気がついたヴィクターだけはクラリスに代わってびの言葉を口にしたが、そんな彼もすぐに意識は前方のクラリスへと向けられて前のめり気味についていく。

 嵐のように去っていった二人を見て、メイドたちは少しの間呆気あっけにとられていたものの、すぐに顔を見合わせくすりと笑った。


「クラリス様にヴィクター様……今日もお幸せそうでしたね」


「ええ。まさに美男美女というべきお似合いのお二人で、うらやましいかぎりですが……」


「なにか?」


 メイドのうちの一人が言葉尻を濁したことに対し、もう一人が首をかしげる。


「いえ。あのクラリス様の噂……本当なのかと思って」


「あっ……もしかして、あの噂ですか? クラリス様に、オフィーリアの――」


「こんなところで、堂々とサボりかな?」


「きゃっ! せ、セオドア様!」


 彼女たちの話に背後から割って入ったのは、体格のよい豪奢ごうしゃな衣服を身にまとった金髪の男であった。

 男の姿を見たメイドたちは慌てて廊下の端に並ぶと、深々とお辞儀をして彼に敬意を示す。


「も、申し訳ございません!」


「今すぐに仕事へと戻りますので、どうかお許しを……!」


 二人のメイドは男――セオドア・アークライト王へと謝罪の言葉を口々に述べて頭を下げつづけるが、当のセオドアは豪快に笑い飛ばして片手を振る。


「よいよい。これだけ広い城内なのだ。時には小休止を挟みながらこなせばいい。ほら、こうべをあげよ。王であるワシが言うのだから、不満はあるまい?」


「セオドア様……寛大かんだいなお心遣い、痛み入ります」


「うむ。ではワシはもう行くが――あぁ、そうだ」


 なにかを思いだしたのかセオドアは数歩歩くとすぐに立ち止まり、メイドたちの方へと振り返る。


「今夜の晩餐ばんさんの間は兵も給仕きゅうじも誰もつかせるなと、兵士長やメイド長に伝えておいてはくれないか。ちょっと家族水入らずで話をしたいことがあってな」


「は、はい。かしこまりました」


「頼んだぞ」


 そう言ってセオドアは大股で廊下を去っていく。

 彼が曲がり角を曲がって消えた頃。二人のメイドたちはまたお互いに顔を見合わせては王の言葉を思い返していた。


「王族の皆様がご家族水入らずってことは……」


「ええ。やっぱりあの噂は本当に……」


 その真偽がどうであるのかも分からないまま、彼女たちはそれぞれの仕事へと戻っていくのであった。

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