〈回想〉王女と教育係とそれからなんでもない幸せな日々

 コーディリア国は他国に比べて経済や商業の発展が進んだ国であった。

 世界のほとんど中央に近い場所に位置するこの国には、東西南北のあらゆる国からの物流や流行が集まってくる。

 特に流行に敏感な若い人間たちには評判も高く、他国からの移住を決める者は後を絶たない。


 そしてヴィクターとクラリスが街へと降りてきて数時間。彼らはそんな街の一角をゆっくりと歩いていた。

 王女がお忍びどころか、堂々と恋人を連れ回して街へやってくるなど、今ではそう珍しい光景ではない。

 この数時間の間に二人がどれほどの店をまわり、そしてどれほどの量の買い物をしたのかはヴィクターの両手にかけられた様々な洋服店の紙袋たちが物語っていた。


「く、クラリス……今日、ワタシとキミはデートのために街へとやってきた……そうだよね?」


「そうよ」


「でもどう見てもこれ……荷物持ちなんじゃあ……」


「そうよ」


「えっ」


 ぴたりとヴィクターが立ち止まる。

 荷物をすべて落としてしまわなかっただけでも褒めてほしいものである。なにせそれほどまでにショックを受けてしまったのだから。


「クラリスにとって、恋人ワタシはただの荷物持ち程度の存在だったのかい……?」


 そうなのだとしたらとても悲しい。それこそ、今すぐにでも城のてっぺんにまで空間移動でもして、身を投げだしてしまいたいほどには。

 浮かれていたのが自分だけだなんて、なんとマヌケなのだろうか。

 そんな勝手な思いこみでわなわなと震えるヴィクターを見上げたクラリスは、小さく吹きだすと眉尻を下げてヴィクターのズレた眼鏡を背伸びで押し上げる。


「ふふ、ごめんなさい。ちょっとからかってみただけ。だってヴィクターといる時くらいしか、こんなに思いっきり買い物ができる機会なんてないんですもの。少しくらいは可愛い恋人のワガママを聞いてくれてもいいでしょ?」


「もちろんキミのワガママならなんでも聞くけどねぇ……。別にワタシじゃあなくたって、何人か城の人間をつかせて買いにくればいいのに」


「ヴィクターだからいいのよ。それに、あなただったらどれだけ買っても魔法で運んでくれるでしょ?」


 クラリスが上目遣いにヴィクターを見上げて笑う。

 なんとなく、ヴィクターは自身の背後にぽこりと花火が上がったのが感覚で分かった。


「ヴィクター? ……もしもあなたが嫌だと思っていたのなら私も半分持つけど……」


「いいや」


 ヴィクターの手元にあった紙袋が一瞬にして消える。彼が魔法を使ってそれらを別の空間へとしまいこんだのだ。


「嫌なんかじゃあない。キミの言うとおりだ。クラリスが満足するまで、こうして買い物につきあうことができるのはワタシぐらいさ。頼られるのも悪くはないねぇ」


「もう……。最初からそうやって運んでくれれば、私も変な気使わなくてすんだのに」


「Haha! それはすまないね。だが、ああして両手に荷物を抱えて歩いている方が人間らしいだろう」


「でたでた。またヴィクターの人間らしいアピール。絶対に魔法を使ってる方が便利なのに、わざわざ面倒なことするなんて物好きよねぇ」


「……まぁね」


 そう。きっと彼は物好きな人間だったのだろう。


 ――キミの隣を歩いている間くらいは……ワタシは魔法使いのヴィクター・ヴァルプルギスではなく、一人のヴィクターという人間でいたいのさ。


 それは、ただヴィクターがそうしたいと。彼がクラリスと出会ってから、恋人という肩書きのついた関係になってから最初にそうしたいと思ったことであった。

 意地ではない。彼女に求められさえすれば、彼は惜しみなく魔法の力を使うだろう。

 しかしそうではない――クラリスが魔法使いではないヴィクターを好いてくれているのであれば。ヴィクターは彼女と同じ、ただのつまらない人間でありたかった。


「それじゃあヴィクター。私の買い物はだいたい終わったことだし、続きは後にしてそろそろ本命に行きましょうか」


「本命……かい?」


「ええ。言ったでしょ。今日はあなたを連れていきたい場所があるんだって」


「Ah、そういえばそんなことを言っていたね。いったいどこなんだい?」


「それは着いてからのお楽しみ!」


 そう言うとクラリスはヴィクターの手をとり、バランスを崩しそうになる彼を無視して一直線に走りだす。


「だからクラリス! こうすると走りにくくて仕方がないと言ったはずだろう! ワタシも子どもじゃないんだから、一人でだってついていけるよ!」


「別にいいじゃない。私がヴィクターと手を繋ぎたいだけなんだから!」


「――き、キミねぇ……!」


 そんなことを言われては、振りほどくことも断ることもできるはずがない。

 二人の走った道を点々と彩る小さな花火の軌跡きせきに、道行く国民たちは今日もこの国の平和を感じて日常を過ごしていくのであった。

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