暗転

《大通り――菓子店》


 ジェイクの宿屋とはちがって、カラカラと鳴るドアベル。

 その音を聞きながら扉を開けたヴィクターは、昨日も見た顔の相手に片手をあげるとはつらつとした様子で声をかけた。


「Hi! マダム。また来たよ」


「あらあら。誰かと思えば昨日来てくれた色男じゃない。そんなにうちのプリンが気に入ってくれたのかしら」


 ショーケース越しに顔を上げた恰幅かっぷくのいい女性は、ヴィクターを見るやいなや手にしていた新聞をカウンターに置いて立ちあがる。


「いやぁ、ワタシの恋人がえらくここのプディングを気に入ったみたいでね。また食べたいとせがまれてしまったんだ」


 少し表現を誇張こちょうはしたが、あながち間違ってはいないだろう。


「そうかい。そりゃあ嬉しいねぇ。じゃあ今日も昨日と同じプリン・ア・ラ・モードでいいのかい?」


「ああ。四つ頼むよ」


 ヴィクターは店主の女から目当ての品物が入った白箱を受けとると、カウンターに数枚の銅貨を置く。


「ありがとう。きっと彼女も喜んでくれるよ」


「だといいねぇ。どうせなら今度はその子も連れて、いっしょにおいで。オマケくらいはしてあげるからさ」


「Haha! それはありがたい。ぜひ機会があればそうさせてもらうよ」


 店を出たヴィクターは、受けとったばかりの白箱を片手に中身が崩れないよう気をつけながら早足で帰り道を進む。

 すでに昼に近い時刻ともあり、街の中は昨日と変わらず活気にあふれている。

 道の端々からかかる声に空いた手で断りを入れながら足取りも軽い彼は、ふとジェイクの宿屋につづく路地の手前でピタリと足を止めた。


「……ん?」


 なにか、違和感を感じる。

 おそるおそる足を進めるヴィクターは、宿屋の前までやってくると建物全体を見渡して違和感の正体を探しだそうとする。


 ――ここじゃあない。だが……わずかにこの辺りで魔法による空間転移をおこなった跡が残っている。


「まさか」


 一つの考えに行きついたヴィクターは急いで入口の扉を開ける。

 すると建物の中からはむせ返るほどの甘い臭いがヴィクターの鼻をつき、思わず片手で口元と鼻を覆った彼はまっすぐにダイニングへと駆けこんだ。

 そして、その場の惨状を見て彼の手の箱がボトリと床に落ちる。


「な……メアリー。メアリー、しっかりしたまえ!」


 床にはついさっきまでクラリスが使っていたカップが見るも無惨に割れており、そのすぐ近くには気を失ったメアリーが倒れていた。

 駆け寄って呼びかけても返答はなく、外傷がないことと彼女が穏やかな呼吸をしていることにとりあえず安堵あんどをしてその場に寝かせる。

 同じようにキッチンにはジェイクが倒れており、メアリー同様彼がいることを確認すると、ヴィクターは二階のクラリスの部屋へと走りだした。


「クラリス!」


 そう呼びかけて扉を開くが、彼女の姿はない。

 他の部屋やシャワールーム、物置きにいたるまで建物中を探し回ったがどこにも彼女の姿は見当たらなかった。


「どこに……どこにいったんだ。クラリス……」


 この甘ったるい臭いを常に嗅いでいるからか、じきにヴィクター頭はガンガンと痛みはじめていた。

 エントランスまで戻ってきた彼は頭痛と朦朧もうろうとしてきた意識に首を振る。


 ――この感じ、襲われたとみて間違いない。しかし誰が。逃げだしたのならばいいが、まさか……誘拐された? 門は閉鎖されていて外部からの侵入は考えられない。この国の中でクラリスを連れ去る動機があるのは……


「探しものか? ヴィクター」


「ッ! オマエ、フィリッ――」


 油断していた。

 いつの間にか背後にまわっていた敵の存在に気がつくことができなかった。

 ヴィクターは後ろを振り返りながら魔法を使おうとステッキを呼びだすが、そうするよりも前に彼の膝がガクンと落ちて床に崩れる。


 ――この甘い臭い、魔封じの毒霧か……!


 起き上がろうにも手足に力が入らず、そこでヴィクターは目の前の人間にめられていたことにようやく気がついた。


「そうしてると本当の犬みたいでいい様じゃねぇか。言っただろ。また近い未来で会おうぜって。オマエが会いに来てくれないから、俺の方から来ちゃった」


 そう語る目の前の男――フィリップは、自身の肩にとまったカラス使い魔と同じ烏羽色からすばいろの瞳を細めて笑っていた。

 少し癖のある黒い髪に同じ黒色のローブを被った彼は、ヴィクターの目の前にしゃがみこむとニヤリと口元を歪ませて顔を覗きこむ。


「なぁ、久しぶりにトモダチに会えて嬉しいだろ。オマエは昔からトモダチ少なかったもんなぁ。会いに来てくれる俺みたいな、優しいトモダチがいてよかったじゃねぇか」


「――だ」


「あぁ?」


「クラリスはどこだって聞いているんだよ。オマエが彼女をさらったんだろう。彼女になにかあったら、オマエの喉笛を食いちぎってやるからな……!」


 どうにか自由のきく目と口で精一杯に睨みをきかせてみるものの、フィリップは少し驚いたように目を丸くしただけですぐにへらりと笑った。


「なんだよなんだよ。この状況で、まぁだフられた女の心配してんのか? いやー……ほんと。……つまんねぇ男になっちまったもんだよ。ヴィクター」


「ッ、やめ――」


「やーめないっ」


 そう言ってフィリップはヴィクターの頭に手を乗せる。

 直感と経験上、これがまずいことだとヴィクターは分かってはいたが、自由のきかない身体ではもう抵抗することはできない。

 ゆいいつ発することのできた制止の声も虚しく、全身の駆け巡る電流のような衝撃を最後に、ヴィクターの視界は暗転したのだった。

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