第3章 二百年前。恋の始まり。そして死別/生まれ変わり。

対面、国王ポール・マモナ

 いつの間に眠っていたのだろうか。まぶたが重い。

 たしかヴィクターがプリンを買いにいくと言って出かけて、その間にジェイクとメアリーの手伝いをしようと席を立ったのだというところまでは覚えている。


 ――そのあと、どうしたんだっけ。


 クラリスは眠気にあらがいながら周囲の音に耳を傾ける。

 カチャカチャと陶器のこすれる音がするのは、きっと誰かがナイフとフォークを使って食事をしているからなのだろう。

 音の出どころからして、それは一人分の音。他は静かなもので、人の気配は感じられるが会話も食事の音も聞こえない。


 ――ヴィクターかしら……? でも、彼なら食事がはじまる前に起こしてくれるような気も……


「んんっ? 起きたのかなぁ?」


 その時。

 クラリスの斜め前――ちょうど食事をしている人間がいるのであろう位置から男の声が耳に届く。しかし――


 ――ヴィクターじゃない……!


 聞こえた声はクラリスの知っている声ではなかった。もちろんジェイクのものでもない。

 自分が今現在どこにいるのかすら分からない現状の中、周囲の状況把握と声の主の正体を確認するべく彼女はおそるおそるまぶたを開いた。――そこに飛びこんできたのは。


「あぁ、やっぱり起きたんだねぇ! おはようクラリスちゃん!」


「ひぃっ!?」


 軋むテーブル。倒れるグラス。そして顔にかかる生暖かい息。

 クラリスの目の前数センチメートルの距離にまで迫っていたものは、視界いっぱいのであった。その小さな頭にくっつけたようなギョロりとした瞳には見覚えがある。

『ねぇ、クラリス。あのデカくて醜い男がこの国の国王なのかな?』

 ヴィクターが言った言葉が思いだされる。


 ――ど、どうして王様がここに!?


 大きくて醜悪しゅうあくな面をした国王――ポール・マモナがそこにはいた。

 ポールは悲鳴をあげて椅子ごと後ろに引いたクラリスを見ると、不思議そうに首をひねる。


「ううん? そんなに驚いてどうしたのかな?」


「いや……それは……」


 この状況で、その顔の近さで、驚かないでいられるほどクラリスの心臓は鉄や鋼でできているわけでもない。

 ましてやポールは今まで酒を飲んでいたのか彼女の顔にかかる息は酒臭く、倒れたグラスから零れたワインが白いクロスにシミを作る様は大惨事。

 これでは用意された食事に手をつける気すらせてしまう。

 視界の端で二人の周りを慌てて駆けまわるメイドたちの心情を考えれば、嫌でもここに座っていることに気まずさも覚えてくる。


 ――起きてそうそう、なんなのよこの状況!


 しかしどれだけ意味の分からない状況であっても、今自分と話しているのは仮にも一国の王。

 なんと答えれば失礼のない返答をできるのか考えあぐねるクラリス。そんな彼女に助け舟をだしたのは第三者の存在であった。


「オイオイ。初対面の女の子にそんなにがっつくんじゃねぇって、いつも言ってるだろ。いい加減学べよ。ポールちゃん」


「あー、そうだったそうだった。いやぁごめんねぇ。クラリスちゃん」


 ポールの顔がクラリスの目の前から離れていく。

 どうやら彼は並んだ料理をなぎ倒してまでテーブルの上に身を乗りだしていたらしい。でっぷりと脂ののったポールの身体は、特注で作られたのだろうか、クラリスが横に二人並ぶことができるほどに大きな金色の椅子へと沈みこむ。

 すると同時にそれまでポールの身体で隠れていた別の男の姿がクラリスの開けた視界に現れた。


「んで、どうよ。昨日は遠くて分かんなかっただろうけど、言ったとおりになかなかの上物じょうもんだろ? うちにいるどの女よりもアンタにお似合いだと思うぜ」


 その男は自分髪や瞳と同じ黒色ローブを身にまとい、王であるポールに対して対等な立場であるかのように話す。

 だがポールはそれについてはまったく気にしてはいないようで、意味ありげな含み笑いでクラリスの顔をジロジロと観察する。


「むっふふ。本当にそのとおりだ。寝ている時も花のように可愛らしいお顔だったけど、起きていてもお人形さんみたいにビー玉をはめこんだような綺麗な目をしているねぇ。髪も飴細工みたいに金色に透き通っていて……舐めたら甘そうだ」


「それは……どうも」


 そんな言われをされては、せっかく気を使ってセットしている髪が可哀想である。

 クラリスとしても正直なところ、人に褒められてこんなに嬉しくないと思ったことはない。これならばヴィクターの熱烈な愛の文句を一日中聞いている方がはるかにマシである。そう、ヴィクターの。


 ――そうよ。ヴィクターは? それにメアリーちゃんやジェイクさんだって、さっきまで私といっしょにいたはずなのに。私だけがこんな場所にいるだなんて……


 じょじょに混乱していた頭が落ち着きを取り戻していき、クラリスはこの空間に自分がいることに疑問を覚えはじめる。

 大きな長方形のテーブルに乗った食べきれないほどの料理。部屋を煌々こうこうと照らすシャンデリア。壁にかけられた絵画や肖像画に、壁際一列に並んだ兵士たち。その中心に、自分がいる。


「なんだ。オマエまぁだ自分の置かれた状況が分かってねぇのか。あのヴィクターぶりっ子と関わりすぎて、危機管理能力が薄れてきてんじゃねぇか?」


「……あなたは、なんなんですか」


「んー? ああ、そういや俺は一方的にオマエのこと知ってても、オマエは俺のこと知らないんだもんなぁ。いやぁ失敬、失敬。俺は……あー、いや。初対面の挨拶くらいはちゃんとしとくか」


 そう言ってローブの男は右腕を後ろにまわし、左手を腹部にあてると、うやうやしくクラリスに向けて一礼をする。

 しかし彼の髪の隙間から覗いた烏羽色からすばいろの瞳がニヤリと笑うかのように細められたことに、クラリスは気がつくことはなかった。


わたくしの名はフィリップ。フィリップ・ファウストゥスと申します。はるか昔に《忌烏いみがらす》などと蔑称べっしょうされていた、今はしがない王宮直属の魔術師でございます。以後お見知りおきを。……クラリス・アークライト

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