やかましいカラス/ご機嫌ななめな忠犬

 クラリスが退室した後、ヴィクターはしばらく彼女の出ていった扉の方向を見つめていた。

 本当ならば今すぐにでも追いかけていきたい。だが、また拒絶されるのではないかと思うと怖くて会いにいくことはできなかった。


 やがて彼は諦めた様子で立ち上がり、ベッドの上へと倒れるように飛びこんだ。

 仰向けに寝転んだ視界に映る、窓枠の中の月。それは先ほど外を眺めていた時よりも少しだけ自分に近づいてきているような。なんとなくそんな気がして天井へと視線をそらす。


「……クラリスに嫌われちゃった」


 そう音にしてからヴィクターは後悔した。

 口にしなければ心の中にとどめておけたのに。音にしてしまっては嫌でも現実を認識してしまう。

 心にぽっかりと穴が空いたような、そんな気持ち。


「明日になったら、仲直りしてくれるかな。今までは誰かに嫌われても、こんなに苦しいことなんてなかったのに。どうして――」


『なぁニ普通の人間みタイに傷ついタ顔してルンだヨ。ヴィクター』


 静かな部屋の中、突然聞こえてきた不快なしゃがれ声はヴィクターのすぐそばから聞こえていた。

 ゆっくりと視線を向ければ、窓の縁にとまった一羽のカラスがヴィクターを見下ろしていた。


「うるさいな。今ワタシは虫の居所が悪いんだ。どっかに行ってくれないか」


 喋るカラスを見ても特に驚いた反応もせず、当たり前のごとく受け入れたヴィクターは追い払うように右手を振る。


『ギャハハ! なんダヨなンだよ。たかガ女一人に嫌わレただけジャねぇカ。別ニそんなノ、昔ミタイに洗脳しテ言うコト聞かせリャ――』


 下品に笑い声をあげたカラスはバサバサと羽を揺らして窓枠の上を踊っていたが、その姿は一瞬にして夜闇の街の中へと消えていった。

 建物の外ではガァガァと苦しげに鳴くカラスの声と複数の獣の唸り声が反響しており、固いものを砕くような音が聞こえはじめた頃には両者の声は聞こえなくなっていた。


「虫の居所が悪いと言っただろう」


 ベッドの上で起きあがったヴィクターは、開け放したままの窓を閉めるべく枠に手をかける。


『オイオイヤメろよォ。俺のカラス使い魔なんテ、昼間にさんざン食い散らカシタばかリじゃねぇカ。それニ挨拶がワリに送ッタ人間共まデ食いやガっテ。アレでモまダ足りなカッたのか?』


 バサバサと羽音をたてて現れたのは、先ほどとは別の個体のカラスであった。

 カラスは窓の縁に乗ると器用にくちばしを使ってヴィクターの手をつつき、手を離した隙を見計らって室内へと侵入する。

 それを見てヴィクターは不快そうに眉をひそめたが、ここで追い払ったところでどうせ新たな使い魔がやってくるのだ。そんなものを何度も相手にしている間に夜が明けてしまう。

 わざと聞こえるように舌打ちをしたヴィクターは、ベッドの端に座りなおしてゆっくりと足を組んだ。


「で、こんな夜遅くになんの用なんだい。――フィリップ」


 その呼びかけにカラスは床をぴょこぴょこと歩きながら爪がこすれる音を立てる。


『別ニなんだッテいいジャネぇカ。久しぶリニ旧友ヲ見つけタンダ。なかナか会イニ来てくれねェかラ、ちょっト様子を見ニきたんだヨ』


「そうかい。ならばもう顔も見たんだしいいだろう。明日になったらワタシは無理にでもあの結界を壊してこの国をつ。キミとはまたおさらばだよ」


 睨みつけながらそう告げたところで、ヴィクターの目の前のカラスはまた下品な笑い声を発しただけであった。


『ツレネぇなァ。あノ女ハまダ出てイくつもりハ無さそウだっタノニ。裏切ッちまウのカヨ』


「そう言うならば城に連れ去られた人間たちを解放して、門の結界を解きたまえ。そうすればクラリスの機嫌も直るかもしれない」


『アァ? ヤだヨ。俺はあノ王様を玉座につかセテ、魔法デ女ト権力を好きにさセテヤる代わリニ特別待遇しテもらっテんダ。路地裏デ残飯漁る生活ナンかニ今更戻れルカ』


 ほぼ予想していたとおりの回答に、ヴィクターはつい小馬鹿にして笑う。


「ふん。あいかわらずゴミみたいな生活をおくっているみたいだね」


『女に尻尾振っテ、ご機嫌とリしてルオマエよりハよっぽドいイ暮らシダゼ。まァ、フらレチマったオマエにハもう尻尾振ル相手もいねェがナ! イッヒヒ!』


「なんだって?」


 思わず空中に呼びだしたステッキを手にヴィクターが立ちあがる。

 彼の瞳の色と同じ先端の宝石が薄く色づき、カラスへと向けられた。


「この害鳥風情が。口のき方には気をつけろよ」


『おォ怖いネェ! うっカリ素がでてルゼ、ヴィクター。それニこンナ場所で魔法なんテ使っちマッタラ、隣の部屋ノ彼女、起きチマうンじゃねェカ? そノ怖い顔モ見らレチまうゼ。いイのかヨ』


「……ふん」


 チラリとクラリスがいる部屋の方向へと目を向け、少し考えたあとに渋々ヴィクターはステッキをしまう。

 いくら目の前の相手に腹が立ったところで、クラリスにまで迷惑をかけてしまうことは彼の本意ではない。


「出ていってくれ。ワタシはもう寝る」


『なンだ、へそ曲ゲちまッテ。……まァ、俺モもう飽きテキたシいいカ』


 カラスは大きく翼を広げると、ヴィクターの横を通過して窓の縁へととまる。


『そんジャあ最後に一つダケ』


「くだらない話だったら、また使い魔たちに襲わせるよ」


『まァマァ。聞けヨ。……明日になっタラ、直接俺二会いにコイ。オマエにとっテ良イ話があるンダ。取り引キしよウゼ、ヴィクター』


「嫌だ。キミと取り引きするだなんて、なにを要求されるか分からないしね。そもそもワタシにはキミにあげられる対価なんてものはなにもないよ」


 意地をはり即答で答えたヴィクターを見てカラスがきょとんと首をかしげる。

 その瞳の奥にいる相手もきっと同じ表情をしているのだろう。見えなくともその顔を思い浮かべるだけで不思議と腹が立つのは、もしかすればヴィクターの気がいつもより参っているからなのかもしれない。


『ギャハハ! ソうかイ。まァオマエにその気ガなインなラ、こっチカラ出向いテやってモいイけどヨ!』


「もう来ないでくれ……」


『いイヤ、来るネ。そんジャあ、まタ近イ未来で会おウゼ。ヴィクター!』


 しゃがれた声でそう告げたカラスは再び大きく翼を広げると、窓から飛びたち夜闇の中を城のある方向へと去っていった。

 ヴィクターはその姿を見届けることもなく、ようやく窓を閉めると万が一またカラスが戻ってこないようにと薄い結界をはる。


 そのままゴロリとベッドに寝転べば、自然とこの少しの間にあった出来事を思い返してどっと疲れが押し寄せてくる。――これが夢であったのならばどんなによかっただろうか。

 ヴィクターは一度大きく息を吐くと、今更やってきた眠気にあらがうこともなくまぶたを閉じる。


「クラリス……」


 脳裏には彼女の軽蔑けいべつした顔がチラついて、今までどんな顔をして自分の名前を呼んでいたのかも思いだすことができない。

 彼女の心が自分の心から離れていくのを感じる。


 ――離れ離れは寂しい、か……


 その言葉の意味を反芻はんすうしながら、やがてヴィクターは眠りについた。

 きっと――明日は酷い朝だ。

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