王国に糸を引く者

「それじゃあ、邪魔者もいなくなったし話を聞かせてもらおうか。店主」


 ヴィクターがこの食卓についてから三度目に指を弾いた時、彼らのそれぞれ目の前には一目見て高いと分かる淡い藍色あいいろに縁どりされたティーカップに、カップと同じ柄をしたティーポットが現れた。

 どうやらこのカップとポットは自意識はないが、自動で動く魔法仕掛けらしい。甘い香りのする鮮やかなオレンジ色の紅茶が宙に浮いたポットからカップへと注がれ湯気をたてる。


「ヴィクター。そういう言い方はないでしょ。ジェイクさんにもメアリーちゃんにも失礼よ」


「Hmm。そうかい。どうもワタシは正直に物事を言ってしまう癖があるようだからね。クラリスの気分を悪くしてしまったのならば、今度からは注意しよう」


「気を使う場所はそこじゃないわよ……」


 悪びれた様子もないヴィクターは、カップに入った紅茶に口をつけてチビりと喉をうるおす。

 こんな時にいつも彼の代わりに頭を下げるのはクラリスであった。


「本当にごめんなさい、ジェイクさん。うちのヴィクターが失礼なことばかり言ってしまって」


「……ねぇクラリス。今うちのヴィクターって言ったかい? んんー、ふふ、キミさえよければぜひもう一度聞かせてほし――イッ、ダ!」


「お願いだから、あなたは黙っててちょうだい」


 そうしまりのないゆるゆるの顔でポコポコ花火を打ち上げられては、鬱陶うっとうしいを通り越して苛立いらだちすら覚える。

 クラリスは渾身こんしんの力でヴィクターの足を踏んずけてやると、痛みに悶絶もんぜつしかけてカップをテーブルに叩きつける男を無視してジェイクへと向き直る。


「はは、お前たちがいると俺もメアリーも退屈しなくていいな。別にさっきのことも気にしちゃいねぇよ」


 二人のやりとりを笑い飛ばしたジェイクがヴィクターのれた紅茶を一気に飲みほす。


「……で、メアリーの母ちゃん……俺の妻の話だったな」


 カップがソーサーに置かれるわずかな音に、クラリスと涙目のヴィクターの目が引き寄せられる。


「結論から言えば、俺の妻マリー・アーキンは、今現在ポール・マモナの城に軟禁なんきんされている」


「軟禁、ですか……」


「あぁ。さすがにメアリーには出張家政婦みたいなもんだと伝えているがな。……お前ら、覚えているか。国王ポールが街へ降りてくる理由を」


「はい。たしかお嫁さん探し……って」


 そのことはまだクラリスたちの記憶にも新しかった。

 時には国民を危険な目にあわせながらも大通りに招集し、大規模な行進をおこなうポール。

 しかしなんとも馬鹿げた理由である。力と権力であれだけの群衆を集め、歓迎されないパレードを開く理由が嫁探し。


 ――まぁ、ワタシが国をでる前なんかは、そんな女性を探す手間なんてかからないほどにモテていたけれどね。


 もちろん意中のクラリス以外に好意をもたれたところで、利用する以外の価値を見いだすことはできないのだが。

 内心張り合おうとするヴィクターも、さすがに二度足を踏まれるようなことは避けたいのか言葉にはせず心にとどめる。

 そもそもヴィクターが考えるにポールは同じ土俵にすらあがれるような相手ではないのだ。身分以外は。


「嬢ちゃんの言うとおりだ。あの王様は国民や旅人の中から気に入った女をパレードのついでにさらっていっちまうんだよ。何人も何人も、自分の花嫁候補だって言ってな」


「その話をするっていうことはまさか……」


「ああ、そうだ」


 ジェイクがうなづく。


「マリーはその花嫁候補に一番最初に選ばれた国民だったんだよ」


「そんな……」


 クラリスがショックを受けた表情でジェイクを見つめる。

 彼は自分の妻が一人の国王の私利私欲のために連れさられたのだと、そう言ったのだ。


「何度もマリーを返すよう抗議こうぎしにいったが、どれだけ粘っても門前払いでな。これ以上邪魔をするなら娘もただじゃおかないなんておどされちまった。……だが、ゆいいつ安心したのは一度だけ彼女が城の中を歩いているのが窓から見えたことぐらいだ。監禁されたり他の国に売り飛ばされたわけじゃねぇって分かったからな」


 だから軟禁。

 ジェイクの話や今までの情報から考えれば、きっとマリーと同じ境遇の人物は多くいるのだろう。


「それって、いつの話なんですか……?」


「たしかもう三ヶ月くらい前だったかな。前王のカールから息子のポールに王が変わってすぐのことだったはずだ」


「三ヶ月前に、王が変わった……。前の王様はどこへ?」


「さぁな。どうにも失踪しっそうって話で公表されてはいたが、理由も動機も明かされてねぇんだ。突然すぎる話で生きてるのか死んでるのかすら分からねぇ。真実がどうなのかさえ、俺たち国民には分かりやしないのさ」


 クラリスの質問に淡々たんたんと答えるジェイクの言葉の端々からは疲れを感じさせていた。

 きっとマリーがいなくなってから、ろくに寝てもいないのだろう。そう思えば彼の目の下のくまも、伸びたままの無精髭ぶしょうひげも、ジェイクの心の中の不安を表しているようにさえ思えた。


「……店主、少し質問をしてもいいだろうか」


「なんだ」


 ようやく足の痛みから解放されたヴィクターが、崩れた姿勢を整えてジェイクに問いかける。


「王権が今の豚王ぶたおうに交代したという三ヶ月。その時期に城に不審な人物は出入りしてはいなかったかね」


「不審な人物ねぇ……。あー、そういや不審な人物とは違うかもしれねぇが、どうも魔導師様とか呼ばれている奴。ほら、パレードの時にポールの後ろにいただろ。アイツが現れたのはその少し前の時期だったかもしれない」


「なるほど。やはりそうか」


 一人納得をしたヴィクターはテーブルの端を指で叩き、それぞれ空になったカップとポットを空間から消す。

 彼の言葉に首をかしげたのはクラリスであった。


「なるほどって、どういうことなの?」


「Um。これは少し言うべきか迷っていたことだったのだが、まぁいいだろう。……実を言うと、ワタシが先ほど買い出しへと行っている間、街で兵士たちに襲われた」


「えっ、ちょっと、なんでそんな大事なこと言わなかったのよ! あなたは怪我とかはしてない? 大丈夫なの?」


「Haha! もちろん大丈夫さ。軽くおどしてやったら彼らはすぐにいなくなったよ。それにあまりクラリスに心配はさせたくなかったからね。……どちらかと言えばキミに殴られたり蹴られたりする時の方が痛いし」


 隣のクラリスに聞こえないよう後半は早口にぼかしながら話していたが、幸いにもそこは聞こえなかったらしい。

 彼女も「それならいいけど……」と心配そうにヴィクターの顔を覗きこむだけで、それ以上の追求はしてこなかった。


「だが、兄ちゃんが襲われたってのはどういうことなんだ。まさか本当にさっき王様襲撃しちまったってわけじゃあねぇよな……?」


 少し焦った表情のジェイクにヴィクターは首を横に振る。


「いいや。それは未遂に終わらせたさ。終わらせたんだが……どうも襲ってきたのは例の魔導師サマっていう奴の差し金らしい。なんでもワタシを捕らえろだの殺せだのと言われていたようでね」


「おいおい、殺せってのはまた物騒だな……。なんで入国してきたばかりのアンタがそんなに狙われなきゃならない。いくら未遂でも王様襲おうとたのがバレたんじゃねぇか?」


「Hmm……まぁ、普通に考えればそれもそうなんだが」


 そこまで言って、ヴィクターは溜め息を吐きだす。


「あの魔導師サマって奴はワタシの知り合いだ。久々の再会に軽くちょっかいをかけてきているみたいでね」


「えっ」


 クラリスとジェイクがほぼ同時に声をあげる。

 キッチンから聞こえていた水の音が止まり、陶器のぶつかる音がするのはメアリーの洗い物が終わったからだろう。話をつづけられるのもあと少しであった。


「でもヴィクター。あなた兵士たちに襲われたってことは、攻撃されたってことなのよね……? 知り合いだったらそんなに酷いことするのかしら」


「するさ。アレは嫌味で狡賢ずるがしこい奴だからね 。ワタシの顔を見たら嫌がらせ程度に手駒を差しむけてくるぐらいはする。……それに」


「それに?」


「この国の周りにはってあった結界。ワタシを知っている魔法使いの仕業しわざじゃあないかとは言ったが、アレならば……まぁ、しゃくだがワタシを妨害できるレベルの結界くらいははれる。カラスの使い魔がいるという共通点もあるしね」


 ――その使い魔も、アレの使ってるものと同じがしたし。


 買い出しの際に宿の屋根にとまっていたカラスを自身の使い魔に襲わせた時に、使い魔伝いに魔力の味は確かめている。

 大昔に食したような。とてもではないが美味とは言えない、覚えのある泥水のような味。


「そこで話は戻るが、店主が言っていた三ヶ月前。王権交代については必ずアレが関わっているはずだ。ああいう王宮なんかに我が物顔でいすわるのが好きな奴だからね。なぜあんな豚王ぶたおうの花嫁探しなんて手伝っているのかは知らないが、前王の失踪に関わっているとも言い切っていいだろう」


「……兄ちゃんの話が本当なら、その裏で糸を引いてる魔導師様が、ポールをたぶらかして前王おうさまやマリーや他の女たちを苦しませていると……」


「そういうことになるね。……だいたい」


 ヴィクターが鼻先でふっと笑う。

 その一瞬の反応を見て、クラリスは経験上この話がこれから脱線するのだろうということを察し、口を挟むこと放棄した。


「だいたい、花嫁候補とはなんなんだね? いくら見た目が醜悪しゅうあくであろうと、オトコならば生涯愛する女性はただの一人でいいはずだ! まったくワタシを見習ってほしいものだね。こんなにも一途いちずクラリス一人の女性を想っているオトコは世界中探し回ってもワタシが一番に決まっている。そう。二番との差に越えられない壁をつくっての一番だ。それに比べてあの豚王ぶたおうは権力を利用して女漁りまがいのことなど――」


「お父さーん、お父さんがお手伝いしてくれる前に洗い物終わっちゃったよぉ。お話し終わった?」


 まるで演説のように二人の観客を前に語りだしたヴィクターにツッコむ者はいない。

 ハンカチで手を拭きつつキッチンからやって来たメアリーに気がついたジェイクは、ポンとその頭を撫でてやった。


「ああ。おかげさまでとりあえずはな。ありがとう、メアリー」


「えへへ。だってお母さんがしばらくいない間は、私がしっかりお父さんとお店をお手伝いするって決めたんだもん。そしたらお母さんが帰ってきた時に、今度は私もいっしょに……三人でお宿をけいえーすることができるもんね!」


「……そうだな。また母ちゃんの国一番に美味い料理と……あとはいっぱい練習したメアリーの料理でお客様を喜ばせてやろうな」


 そう寂しそうに笑い、語りかける姿に胸が苦しくなるのはなぜだろうか。


「……」


 その答えも分からないまま。クラリスは声をかけることもできずに、二人ぼっちの親子をただ見ていることしかできなかった。

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