小さなシェフ、メアリー

 日はすっかりと沈み、街の中が仕事を終えた人間たちで昼間とはまたちがった騒がしさを見せはじめた時間。

 古びた小さな宿の中。明かりが灯った一室からは、ここ最近ぱったりと聞こえなくなっていたはずの子どもの元気な声が響いていた。


「ごちそうさまでしたー!」


 すっかり空になった皿が並んだダイニングテーブル。

 口の端にクリームソースをつけたまま、メアリーはカランと音を立てて手にしていたスプーンを皿の上へと置いた。


「こらメアリー。そんなに音を立てて皿に置いたら行儀が悪いだろ。それに口元が汚れたままだ」


「わぁごめんなさいお父さん! フランズリーのサンドウィッチもクラリスお姉ちゃんといっしょにつくったお料理も、すっごく美味しかったからいっぱい食べちゃった!」


 ジェイクに指摘されてナフキンで口をぬぐうメアリーに続き、斜め向かい側に座るヴィクターもこくこくとうなづく。


「メアリーの言う通り、たいへん美味だったね! まさかクラリスにこんな料理の才能が……いや、メアリーとつくったのならば二人ともか。二人にこんな才能があったなんて、ワタシとしてはお金を払いたいくらいだよ」


「もう。それは言いすぎよヴィクター。私は人並みにできるだけ。メアリーちゃんの教え方がよかったんだから」


「そうなのかい? ならばメアリーはお料理の先生にでも向いているのかもしれないねぇ」


 そう賞賛しつつヴィクターはパチリと指を鳴らすと、なにもない空間から手元に取っ手つきの白い箱をだす。


「それじゃあ、そんなお料理の先生と頑張ったクラリスにはご褒美をあげよう」


「ご褒美! なになに?」


 テーブルに身を乗りだす勢いで期待に満ちた瞳を向けるメアリーに、ヴィクターは箱の蓋を開けて中身がよく見えるように傾ける。

 箱の中に入っていたのは透明な器に入ったデザートだった。

 小さく切ったスポンジケーキの上には形が保たれるように固めに作られたプリン。そしてそれを彩る、こぼれ落ちそうなほど乗せられた宝石のような果物と白いクリーム。

 開けた瞬間からただよう甘い香りは、きっとこれから食べるものを幸せにするのだろう。


「プディング・ア・ラ・モードだ。一目見て、これは買わないわけにはいかないと思ってね」


「すごい! ……あっ」


 テーブルに置かれた豪華なデザートに大きな喜びの声をあげたのはクラリスであった。

 彼女はすぐにハッとして顔を赤くすると、にへらと表情を緩めて笑う。


「ご、ごめんなさい。あまりにも美味しそうだったからつい……」


「クラリスはプディングが大好物だからねぇ。喜んでもらえてなによりだ。こんなものでも口に合えばいいんだが」


 予想していたとおりの嬉しそうなクラリスの表情にはこちらまで嬉しくなってしまう。

 スプーンを片手に果物宝石の山を崩すメアリーとクリームの乗ったプリンにスプーンを差しこむクラリスを見て、ヴィクターもいっしょになって口を緩める。


「なんだなんだ。女子おんなこどもにはお楽しみがあっても、オッサンにはなにもくれないってか」


「Um? なんだい。店主もデザートをご所望しょもうだったかね」


「いいや。別にそんなんじゃねぇけどよ」


「だろうね。だからそんなキミには……」


「俺には?」


「なにも買ってきていない」


「なんだよ。期待させやがって……ほらメアリー。またクリームついてるぞ」


 少し残念そうに肩をすくめたジェイクは、隣で幸せそうにプリンを頬張ほおばる娘の口元を彼女がやったのと同じようにナフキンで拭う。


「えへへ、ありがとうお父さん」


「まったく……お前は母ちゃんがいねぇと、すぐにだらしなくなるんだからよ」


 そう呟く様子はどこか物悲しそうで。

 ヴィクターとクラリスは思わず顔を見合わせて目をパチリとまばたきする。

 お互い目だけでなにを言いたがっているのかは分かっていたが、それを実際に言葉にしたのはクラリスであった。


「あの……ジェイクさん。私ずっと気になっていたんですけど、メアリーちゃんのお母さんって今はどちらに……?」


 それはクラリスがずっと気になっていたことであった。

 ヴィクターとクラリスがこの宿屋へやってきてから出会ったのは、ジェイクとメアリーの二人のみ。他に人のいる気配はない。

 当然とも思える疑問にジェイクは少し困ったように視線をあちこちに向けながら「あー……」やら「うーん……」やら唸っていたが、やがて諦めたのか浅く溜め息を吐いては右手をメアリーの頭へと乗せた。


「メアリー、それ食い終わったならちょっと洗い物頼めるか。少しだけ二人と話したいんだ。俺もあとで手伝いにいくからよ」


 人払いをしたいのだと。メアリーよりも長く生きているヴィクターとクラリスは直感的にジェイクの言葉の意図を読みとり親子の会話を見守る。

 大きな手になでられて満更でもない様子のメアリーは頼られたことが嬉しいのか、ふんふんと鼻息も荒く両腕を広げると全身で気持ちを表現する。


「ぜんっぜん大丈夫だよぉ! お父さんがいなくても洗い物なんて私一人でもピカピカに……あっ、プリンすっごく美味しかったです! サンドウィッチも! ありがとう、ヴィクターお兄さん!」


「どういたしまして。そうだ。せっかくならばもう一個だけ、ワタシの気の使えるところを見せておこうかな」


 そう言ってヴィクターが指先をパチリと鳴らす。

 瞬間、テーブルの上に並べられていた空になった皿たちがまばたきをする間もなく姿を消した。

 ヴィクター以外の一同はその光景にギョッとしてまじまじとテーブルを見つめるが、そろって同じような反応をする姿が面白かったらしい。ヴィクターは小さく吹きだすと、椅子の背もたれに大きくって笑い声をあげはじめた。


「ぷっ、あはは、なんだいみんな変な顔して。ただ皿をキッチンに移動しただけだよ。子どもの足で何度も往来おうらいするのも大変だからね。これなら楽できるだろう」


 彼の言っているそばからキッチンの方では陶器とうきの軽くぶつかる音が響き、たしかに目の前にあった皿たちはそちらへ移動したのだということが分かる。


「すごいすごい! ヴィクターお兄さんは魔法使いさんだったんだ! 私、魔法って初めて見た!」


「美味しいディナーのお礼だと思ってくれたまえ」


「うん! ありがとう!」


 メアリーは満面の笑みでうなづくと小走りにキッチンの方へと消えていく。

 やがて、水が流れるかすかな音がヴィクターたちの耳にまで届きはじめた。

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