クロ8 恩返し
――呪いを差し向けた者が死ねばその呪いは解ける。
それが
たとえ天の刻んだ呪詛であったとしても、そのルールから逃れることはできやしない。
つまり。
「わたし……もう呪われてないのよね」
「はい」
「命の心配もいらなくて、先生の加護もいらなくて、普通に生きていける……」
「はい、その通りですよ。とっくに、私の術も解けています」
「なんか、実感わかないわ」
物心ついた時より呪われていた。
一時も片時も、あの気色悪く気分悪い感覚なしにはいなかった。呪われていない生活というのがありえなかった。
ここ一年、アカが抑えてくれただけでも夢のように安楽だったのに……完全に取り除かれてみればもはや羽でも生えたみたいに異質な気分になる。
手のひらを見つめる。
握り、開き、また握る。
軋むことなく思う通りに身体は動く、強化の術さえ解いているのに。
それでも実感がないと思えてしまうのはなぜだろう。
きっと、それが急激なことだったから。
あまりに落差が激しくて、感覚が追いつかない。心が定まらない。
クロはいつまでも手のひらの開閉を繰り返し、どうにもしっくりこないと不服そうだ。
アカは苦笑して。
「まぁゆっくりと慣れていきましょう。もうあなたは一年どころか、長く長く生きるのですから」
「そう、よね。うん。解呪できたんだから、もうなにも焦る必要はないんだわ」
未来を思い描くことができる。
ただそれだけの当たり前を、クロは取り戻したのだ。
だからこそ、まず考えて願うことは自分などよりも――大好きなひとのこと。
「先生、わたし恩返しについて、決めたわ」
「……あぁ、それは」
まったくこの子は、とアカは呆れたように笑ってしまう。
ようやっと長らくあった命の危機を脱し、我が身からおぞましきものを取り除き、はじめて人並を取り戻せたというのに。
それでまず考えることが他者のこととは……本当に、呆れるくらい優しい子だ。
などと穏やかな気持ちでいられたのは数瞬だけである。
「わたしをあげる!」
「……はい?」
爆弾発言一発でアカは余裕のすべてを吹っ飛ばし、ふらつくよう一歩後退。
遅れてやってきた頭痛を感じ額を押さえ、脳裏に反芻する言葉にまた眩暈がする。
気にしちゃいない。
クロは真っすぐに笑顔で続ける。押せ押せだ。
「わたしを全部あげる。できることはなんでもするわ!」
「もうすこし、具体的に説明をいただけますか。その結論に至った経緯なども踏まえてお願いしたいのですが」
「もちろん、先生が望むなら説明するわ!」
先生が求めるのならばそれをする。
それが今のクロの望みで、未来へ思い描く最初の理想像。
恩返し、である。
「たとえば先生がふと寂しいなぁとか人恋しいなぁって思う時、あるでしょ?
そういう時、わたしに言ってくれればすぐに傍にいくわ!」
「それは」
「欲しいものができたらがんばって作ってみる。
やってほしいことがあったり、難しい問題にぶつかったら手伝ってあげる。
敵が現れたら立ち向かう。戦いたくないなら逃げ道を用意する。
悲しいことがあったら一緒に悲しむし、もちろんうれしい時には一緒に喜ぶ!」
いやそれはもう。
プロポーズでは……?
アカがもはやなにもできず硬直していると、クロは不意に失速して顔を逸らす。
「あ。でもその……」
なにやら口ごもる。もごもごと口腔内で言葉を転がし、発声にまで至らない。
顔は真っ赤、首まで朱色。
けれど意を決して正面に向き直れば目つきは怯えを殺すような強気で、目を合わせるといっぱいの覚悟が伝わる。
「こ……こどもが欲しいときはちょっと待っててほしいわ!」
「あー! あー! 聞こえません、なにを言っているのか全然わかりません!」
「だっ、だから!」
「ごめんなさい、それ以上はご容赦を。伏してお願い申し上げますので言わないでください」
綺麗に頭を下げて平身低頭。
なにかもう理解の外だ。心底、意味を理解したくないし、してはいけないと思う。
アカはなにも聞いていない――子供のように耳を塞いで締め切ってそのように自らに嘘をつく。
「先生がそういうなら言わないけど」
すぐに引き下がったのは、流石のクロでもここで余裕はないせいか。
相手の余裕なさを見て取ると、わずかながら焦りが薄らぐもので。
「……クロ」
アカは頭を押さえつつ、その名を呼ぶ。
自ら付けた、彼女の名を。
「これは、以前も言ったように思うのですが……恩返しなんて、必要ありませんよ。むしろ、たくさんの恩を、私はもらっています、もらいすぎています。なんなら私のほうが恩返しをしたいくらいです」
「したければしてもいいわよ」
「え」
即座に切り返された言葉は予想外。
呆けるアカに、クロは胸を張る。
「いいわ、先生の好きにして。でも、だからわたしも好きにするの。好き好んで恩返しをするのよ。
できるなら先生にも望んでいて欲しいけど、でも本質的にはわたしがしたいからする。先生の意向は、悪いのだけどあんまり関係ないのよ。
――魔術師は身勝手なんだから!」
「…………」
たった一年のことである。
出会い、教え、育てた――それは事実であるが、あまりにも短い。
であるのに、少女は本当に成長していた。
目を見張るほどの、すこし目を逸らしていたら置いていかれてしまいそうなほどの成長速度と言える。
魔術師としてだけでなく、人として――淑女として。
言葉もないアカに、クロは恥じらうようにふと笑う。
「ほんとはね、言いたいことがたくさん……ほんっとにたくさんあるの。でもそれが多すぎてまとめられなくて、そのくせ混ざっちゃたりもして、心から伝えたいことが言葉にできないの」
無限ともいえるほどに感情は多彩で、今にもあふれ出しそうだ。
せめて心の感情を言葉に変えて口から音と発するくらいが精々で、それが上手くいかないのもまた常のこと。
膨大過ぎて要約できない。色々過ぎてまとまりがもてない。
なによりも、真に想う感情が自分でも掴み切れていない。
そのくせ表現して伝える方法が言葉しかなくて、言葉はいつでも不完全でなにか心と齟齬が出る。
あぁ――この心をそのまま、あなたに伝えて届けることができたのならどれだけいいか。
そんな魔法があったら、どれだけいいか。
だがそんなことは天でさえもできない所業。
だからアカはこう返す。
「わかりたいと思っていますよ、いつも」
わかってほしいとわかろうとしているというのは表裏で、クロが伝えようと努力してくれるのなら、アカだってそのぶんわかろうと努力する。その逆も然り。
「きっと、私に伝わった言葉では、伝えきれていない思いがあるのでしょう。ですが私に届くのは言葉だけで、それをもって理解を深める他にはありません。だからこそ、些細な言葉を、わずかな意味合いを、取りこぼさないようにと努めます」
きっと他人同士が真に分かり合えることはないのだろう。
それでも手を伸ばし、理解を望み、寄り添うことをやめたりはしない。
それが人として人と生きることだと思うから。
「うん、ありがと先生。
すこしずつしか伝わらなくたって、長いこと諦めないで続ければ、いつかはきっと伝わるものね」
いつかこの感情をクロ自身が解き明かす時が来るのだろう。
そして、それをアカに言葉を尽くして伝える。
一時、間違っても訂正すればいい。
喧嘩してしまっても仲直りすればいい。
ともかく続けてさえいれば、いつか、きっと。
不意にアカは笑った。
「正直、あなたには驚かされてばかりです」
その才覚にも、その成長にも、その考え方にも。
いや、すべて合わせて、彼女の生き様と言ってしまっていい。
思い返すように、アカは遠くを見つめる。
「この一年、いろいろありましたね」
「ほんとよ! いろいろありすぎて今思い出しても目が回りそうだわ」
たった一年なのに、本当に遠いように思えた。
「ですが、まだまだたった一年です」
「うん。先は長いのね、とっても楽しみだわ!」
未来に期待し楽しみに思える。
それこそアカにもらったかけがえのないもの。
「魔術師としてもあなたはまだ赤子、年齢を見てもやはり子供です。これからもっとどんどん成長していく。その成長が、私には楽しみでたまりません」
「えへへ、先生を喜ばせられてるなら、私の才能っていうのもまあちょっとは許してあげられるかしら」
しかしそうか、とクロは思う。
本当に色々なことがあって、たくさんの人たちと出会って、魔術師としても人としても成長したつもりでいたけれど。
まだ、一年。
そして呪いは解けた。
未来はきっと無限大。
この世界は広い。
出会っていない人だって数えきれない。
魔術師としてもまだ人の位――天とはまるで程遠い。
「先は長いんだから、ずっとずっと一緒にいてよ先生」
カラフル・マギフテッド~魔法使いの弟子は四姉妹~ うさ吉 @11065nhu
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