幕間 そして世界は天を見上げる
「これは……!」
思わず、ほーちゃんの手渡してくれたティーカップを取りこぼす。
陶器の器は落下の衝撃で破砕し、床を暖かな紅茶で濡らしてしまう。
けれどそんなことなど気にも留めず、ジュエリエッタは突如感じた強大なる魔力に恐れおののく。
それはまるで、不意に地上に出現した太陽を目の当たりにしたようなもので、魔術師――いや、そうでない誰であっても世界中どこにいようとその眩しさに目を焼かれる。
「アーヴァンウィンクルさま……? ではそれに引けをとらない相手は、やはり翠天の――!」
ついに邂逅してしまったのか。
ついに戦いになってしまったのか。
まさか自分の生きている間に神話の続きが巻き起こるなんて、ジュエリエッタは思いもしなかった。
そして、場合によっては。
「ワタシの人生も、ここまで――いや」
首を振る。
落ちて割れてしまったティーカップを拾い上げるほーちゃんに、もう一度お茶をお願いする。
「勝ってくれるよね、アーヴァンウィンクルさま」
◇
「この時が、ついに……」
ローベル魔術学園学園長室にて、アドバルドは椅子の上でへなへなと脱力していた。
すべてが終わることを悟った。
だがまだ終わりじゃないとも信じている。
どうにせ、この天から一色が欠け落ちる。
「ともあれ、ふふ」
なぜだかアドバルドは笑っていた。
勝利するのは、必ず自身の友人であると信じて疑っていない。
だからこそ、先を見据えて笑みがこぼれるのだ。
「これであなたも再び世にその存在を知られてしまう。なにか手助けをせねばな」
さしあたり、新しい茶葉を買い足しておこうか。
◇
「皆、落ち着け」
しわがれながらも厳格な声で、バルカイナは慌てふためく弟子たちに言い放つ。
突然に吹き荒れた魔力の嵐。彼方遠くのはずなのに、その爆発的な輝きはこんな辺境にあっても底知れない驚愕と、なによりも恐怖をもたらす。
今、星の裏側で乱舞する魔術のひとつでも流れ弾のように逸れて人里にぶつかれば、それでそこは消滅するだろう。
遥か遠くの出来事なのに、喉元に刃を突き付けられているような心地になるのは必然だ。
そんな中でもバルカイナは冷静で、常の通りに弟子らを嗜める。
「心配はいらん。赫き天は、我らを守ってくださる」
「それって……」
「全員、この魔力をよく視ておけ、感じておけ。わしらの至るべき到達点――魔法使いの領域を、しっかりとその身に噛みしめ、進歩の糧とせよ」
◇
「まったく……はじめるのなら先に伝えておいてほしかったのですが」
既に魔術師協会には多数の問い合わせが殺到していた。
近くの町の者から全速力で、離れた場所の魔術師からは魔術による遠隔で。
そして協会員からは直に、この会長室に事情を知らないかと雪崩れ込んできた。
魔術師協会会長シュレーア・ロズウェルトは、酷く辟易としていた。
彼女だって知りはしない。むしろこっちが教えてほしいくらいだ、一体全体どうなっているのか。
ただ推測は立てられて、きっとまたアカがこちらの予想外のことをしているのだろうなとは思っていた。
だとて天同士の争いを急にはじめるのは本当に勘弁してほしい。
いや事前通達があっても困惑はしていただろうけど、それでも心の安寧というものがあるじゃないか。
これからどうすべきか。天位の実在を明かすしかないのか。これまでの協会とアカとの関係性は秘匿でいいだろうか。
問い合わせのすべてをシャットアウトし、会長室で立てこもるシュレーアは深刻に頭を悩ませていた。
「あはっ、お兄さん、すっげぇ。つよーい」
そんな部屋に、もうひとり。
のほほんとした声で楽し気に笑うのは尽滅のカヌイ。
アカの魔力を感じていの一番にこの部屋に現れ、ドアを閉められる前に滑り込んだ少女である。
ここ最近は奔放に各地を巡って人探しに精を出していたカヌイであったが、なんの偶然か今日は協会本部に顔を出していた。
休暇はいいが、月に一度くらいは顔をだせと言ったのはシュレーアであって、押し入って来たことにあまり大きく文句は言えなかった。
「でも、相手もやばいね。ねぇ会長、これって相手もお兄さんと同じ魔法使いなんだよね?」
「まず間違いないでしょう。彼が隠蔽もできないほどの全力で立ち向かってなお揺るがず、むしろ……」
「お兄さんは勝つよ」
断言する。
一度戦い、その強さを知るカヌイにはわかる。
今どれだけ劣勢でも、苦戦していても、彼は絶対に負けない。
なぜなら。
「お兄さんを負かすのは、アタシなんだから」
◇
「っ、あー。なんつーか、たくよぉ……」
がしがしと頭を掻き、ハズヴェントはなんとも言えない風情で空を見上げていた。
魔力感知なんてできないはずの自分にも、そのぶつかり合いは掴み取れて。
「やっぱし、蚊帳の外ってのは無性に腹ァ立つぜ」
ここではないどこか。
遠く、立ち入れない場所でアカが戦っている。
なぜ自分はそこにいないでこんなところにいるのか。
手助けしてやりたいのに、届かない。
いや、違う。それは自分のエゴだ。
これでいいのだ。適材適所、なすべきを果たすのが彼への報いになる。
「あーぁ、王様になんて言うかねぇ」
これより向かう王城を見上げ、ハズヴェントは憂鬱にため息を吐き出す。
アカの――三天導師の存在の露呈は、もはや避けられないであろう。
この世界そのものに影響し、なんなら滅ぼすことのできる個人。それが三人――否、これから減るので二人もいる。
必ずしも民衆は好意的には受けとめまい。
御伽噺は御伽噺であるから楽しめて、それが現実に出現したとなればどうか。
王は、どのような裁定を下すのか。
「最悪また旅ガラスか……ま、そん時ゃそん時で楽しめばいいか」
なんとも気楽そうに笑って、ハズヴェントは歩き出す。
◇
「……はじまったみたいやねぇ」
ぽつりとこぼした一言は、テーブルの間に緊張を走らせるのに充分な威力を秘めていた。
今日この日、アカがルギスと決着をつけることになる――その事実を事前から知っている人物は数少ない。
その一握りにあたるシロ、アオ、キィの三弟子は、どこまでも不安そうに膝を突き合わせていた。
ひとり部屋で待つなんて心細いことはできなかった。いつものように振舞って平静を装うなんてできなかった。
ただなにも言わず、三人は身を寄せ合うようにしてテーブルに座している。
「だいじょうぶ、だよ」
シロの言葉に、まずキィが反応した。
特になにか考えたわけでもなく反射的に自分に言い聞かせるような言葉が出ていた。
「っ。これが、翠天のルギスか」
見えない。遠い。果てしない。
それでもその脅威は、その恐怖は理解できる。できてしまう。
アオでさえこれだけ離れた距離でも怖気が走り、ともすれば震えてしまいそうだ。
いつもなら。
いつもなら、ここまで怯えていると、アカがすぐに心配そうに声をかけてくれる。
優しく力強く励まして、慰めてくれる。
けれどアカはいない。
遠くで大敵と戦っている。それが手に取るようにわかるのは、アカもまた全身全霊を賭して戦っているから。
こんなところからできるのは勝利を信じ、無事を祈るくらいだ。
傍に行っても足手まといになるだけなのはわかっていたし、むしろこちらを狙われて不利をもたらすばかりなのもわかっている。
勝率のわずかでも減らすような真似はしたくない。それでアカが敗れた時の後悔はきっと想像を絶する。
であればこの場で祈るというのは逃げなのか。
後悔したくないからと逃げ、正念場を見届けずに済ませ――やはりこれでアカが敗れても、
「……え」
知らず涙が流れ落ちる。
全身が震え、心が引き裂かれ、ただ絶望が迫り来る。
「せんせーの、魔力が……きえ、た……?」
――きっと死ぬほどに、後悔する。
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