81 天争
――爆撃。
けたたましい破滅の爆音が連続して鳴り響く。
凄まじい熱量を伴った爆発は火炎と風とをまき散らし、海上だというのに大火が膨れ上がって空をも朱に染める。
いつの間に暗雲が立ち込め、紫電が駆け巡って何故だか雪まで降っていた。
その儚い雪はゆらゆらと落下し、触れたものを瞬く間に凍り付かせる。海面は炎と氷に分かたれて互いを食い合うように海を染めていく。
そんなありえざる不自然な自然の猛威も、魔法使いの腕のひと振りでまた激変する。
火炎も冷氷も暗雲も、すべて一切嘘のように立ち消えた。
代わって青空の中でも眩く輝く幾重もの光の筋が駆け抜ける。まるで流星群。槍の如くに星は降り注ぎ、海面を貫いては水柱を立ちのぼらせる。
弾け巻き起こった天に上る水流は、重力に引かれて落下――せず、凝り集まり龍の姿をかたどって敵を食らわんと吠える。
襲撃の龍は、しかし突如吹き荒れた颶風に絡めとられ飛沫となって霧散する。風はやまず、刃のように鋭く辺り一帯を切り刻むも、落下してきた山とも見紛う岩塊がそれすら無視して圧し潰した。
その巨石さえ海面に触れた途端、内部から強烈な破壊を齎されて粉々になる。破裂の余波が遠方どこまでも広がって、激しい烈風が海原を荒れ狂わせる。
そんな地獄の風景にも鮮やかな彩りの魔法陣はなお無数に展開され、さらに周囲を混沌に叩き落す。
それぞれ白黒のローブを纏ったふたりの魔術師が向かい合い、敵手だけを睨みつけて立っている。
あらゆる破壊と暴虐が犇めくそこで、魔術師は正しく対処し凪いでいる。
◇
「なっ、なによこれ! 無茶苦茶じゃない!」
唯一無事なのは瑠璃色の結界領域。魔術のすべて一切不干渉とした瑠天の安全地帯だ。
あらゆる死が吹き荒れる嵐の中でも、そこだけは凪いでただ観客として立っていられる。
たったふたりの観客のひとり、クロは世界の終わりのような光景に震えあがる。
なんて規模の魔術合戦だ。
一発一発が九曜の奥義に等しいだけの魔力がこめられ、それ以上の精度で術式が編まれている。
それも多重にして多種、連続して間断がない。
直接攻撃に向く
すべての魔術は
こんな馬鹿げた破滅的で広大な戦い、下手な小島など消し飛ぶ。並みの月位では生存すら不可能。神話魔獣さえ裸足で逃げ出す。
ここが人も島も近くにない海の果てでよかった。いや、逃げたはずの海中生物や鳥たちには大迷惑だが。
それらすべての発生源は不動のふたり。
アカもルギスも一歩たりとも動くことはなく、ただ魔法陣を展開するために手が舞い踊るていど。
俗にいう素人術師の立ち往生……正反対に位置するそれもまた結果だけ見れば同じという皮肉。
言うなれば玄人術師の立ち往生。
全ての動きよりも術発動速度のほうが早いというレベルの魔術師は、素人のようにその場から動かない。動く必要性がない。なぜなら身動きで回避するより、魔術で対処したほうが確実で迅速であるから。
身動き――指一本の挙動よりもなお、次の魔術を展開するほうが速いという理不尽があればこその離れ業。
「ふん」
そこには無関心で、別の部分を見て感心を上げるのはエインワイス。
「私の寝ている間にもちゃんと修行はしてたようだな、感心感心」
呑気に笑う姿には一切の気負いがなく平坦そのもの。
この隔絶の光景においても無感動でいられる胆力――いや、これは余裕か。自分もまた、あのような滅亡を現出しうる存在であればこその、余裕だ。
クロにはもはやなにも言えない。
未だ天から遠い少女には、この筆舌に尽くしがたい現状を受け止めるのは難しい。
けれど次の一言は聞き逃せなかった。
「やっぱアカのほうが押されてんな」
「うそ!」
単純に反射でクロは叫んでいた。
と同時に、そもそもごちゃごちゃでしっちゃかめっちゃか、あの魔術の暴風に戦況と呼べるようなものを見極められるものなのかという疑問もあった。
それができるから彼女は天にある。
そう、御伽噺にしても荒唐無稽な大火力にして変幻自在の魔術戦争は、けれど彼らにとっての序の口で。
「あんな大規模魔術の撃ち合いなんてのはじゃれ合ってるだけだ、意味がない」
「じゃあ、本命は別ってこと?」
「そう。その本命を、アカはもっていない。逆にスイにとっては十八番だ」
「
この大災害の見えないところで、ルギスは
アカはそれを回避し、抵抗し、解呪し続ける。
表面上の大規模破壊よりも、その不可視の呪詛のほうが圧倒的に危険であると互いにわかっている。
それでもアカは
だから可視上積極的に攻め立てているのはアカだった。それでしか攻め込めないのだ。
「馬鹿弟子はとうぜん
「
「そりゃ師が私だからな。近くで私の術式を見て、教えを受けて、それで上達しなきゃ嘘だろ。そのお陰でスイの呪詛に今死んでないってんだから感謝して欲しいよな」
「ルギスは?」
「あいつは私の教えなんざ聞いてない」
ちなみに
「スイの奴は直接的な魔術が得意で、アカのほうは見えない補助的な魔術のほうが得意なんだよな。あいつらの性質が出てやがる」
「それじゃあ先生のほうが不利なのは、
「そうなるな」
それに比べて
色相に優劣はないが、殺傷という単位で見比べれば長短があるのも道理である。
「そんな……っ!」
「それでもやるって言ったんだ、なんか考えてあんだろ。なきゃ死ぬだけだ」
未だクロの目に映るのは世界の終わりか地獄の顕現の如き魔術の暴風雨ばかり。
戦いというより大災害で、魔術というより魔法染みている。
荒れ狂ったその戦場の戦局など理解できようはずもなく、両者の姿さえ朧気だ。
すべて理解しているエインワイスからは不利を伝えられるばかりで、光明などはどこにも見当たらない。
それでも。
「がんばって、先生。がんばれ……!」
自らの師を信じて、クロは決して目を離さない。
◇
「……っ!」
流石に、一筋縄ではいかない。
バルカイナやカヌイ、素晴らしき九曜の魔術師たち。
蛇の災害級呪詛魔獣や神話魔獣
この一年間で渡り合ってきたどの相手よりも強大で、おぞましく、恐ろしい。
全力のアカをして、劣勢だ。
だがそんなことははじめからわかっていた。
なにもなしにぶつかり合えば、敗れるのは自分だとハナから理解していて。
そのうえでこうして決戦に臨んでいる。
それは必勝の策があったからなのか。
なにがしかの起死回生の一手をもっているからなのか。
それは是であり否。
エインワイスのように、アカもまた天の御業は有している。
「――『
「っ!」
突如、アカの仕向けていた攻撃のすべてが停止した。
代わりに静謐な、それでいてこの場の誰もに聞こえる宣言がして。
それだけで世界が恐れおののく。
ルギスまでも攻撃の手を止めて全力で防御の姿勢をとる。そうせねばまずいと理解できていた。
しゃらりと――鈴の音にも似た異音が響く。
膨大無辺の魔力をただひとつの術式へと変換するという急激な、そしてあまりにありえないほどの圧縮変性。それがもたらした奇妙なほど綺麗な音色。
それはまるで、世界の漏らした悲鳴か断末魔か。
魔法陣が開く。
見渡す限り海上すべてを覆うほど巨大で、そしてなによりもどこまでも鮮烈に――赫い。
星そのものを塗り替えてしまうようなその魔法陣は、天の意志によって魔術となる。
赫天のアーヴァンウィンクルは、世界全てにまで波及させるが如くに命ずる。
瑠璃色の天が為した所業が星の命の完全静止であるというのなら。
赫天のアーヴァンウィンクルの齎したものは――
「――『
星の命の完全統御。
「っ」
一見してなにか変わったわけではない。
魔法陣は既に役割を終えて消えたし、アカの姿かたちも不変である。
だが。
「なっ、によこれ……!」
「やばいな」
エインワイスが咄嗟に結界を補強、自らにできる最大限の
それを貫いてエインワイスの頬を一筋の風が優しく撫でた。
触れたその箇所に冷や汗を流して、エインワイスは乾いた笑みを浮かべる。
「おいおい、私の結界を抜くほど強化したってのか」
エインワイスの
星の命がだ。
この星全ての
それが彼の天業。赫き魔術の究極。
つまりこの星そのものが彼の魔力タンクとなり、この星そのものが彼の武器となる。
否、アカが星そのものと同期するということ――
アカの手が伸びる。
真っすぐに、ルギスへと手のひらを差し出し魔法陣を展開する。
「くっ」
瞬間、ルギスは吹き飛んだ。
彼の敷いた全ての色相の魔術、防御、抵抗――それら全てを真正面からぶち砕き、ルギスを殴り飛ばした。
もう完全に力業、無限に等しい魔力量に物を言わせての魔術発射。
魔法陣が過充填になり砕け散る、その寸前を見極めて現在可能な限り最大出力をお見舞いする。
それはもはやなんの飾り気もなしの魔力による殴打であった。
属性はなし。物質ですらなく、触れたら儚く消えて去る。
ただそれだけの魔術の拳が、翠天のルギスを殴り飛ばしたのだ。
「ぐ……ァ!」
はじめて、ルギスの口から苦痛の喘ぎが漏れ出る。
だがそれでは終わらず、魔力殴打は連続する。一切の容赦なく滅多打ち。
先ほどまでのアカとルギスのぶつかり合いが小島を消滅しかねないほどのと表現したのならば。
現在のアカのそれは、大陸をも沈めかねない超絶の破壊力を無造作に連射できる。
「くそ……」
関係ない、ぶち抜かれる。
ルギスをして全身全霊の防御に専心してなお、ズタボロになる。
「クソがァ……!」
圧倒的な魔力量の差と、そこから生じる魔術の出力差。
このままではルギスは……
「舐めるなよ、糞塵がァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアアア!!」
「っ」
その憤怒は凄絶にして峻烈。天の怒りそのもの。
星を味方につけたアカでさえ、わずかに恐れを抱くほど。
ルギスはアカの猛攻に、その抵抗を一切とりやめる。
大陸を割断しかねないほどの殴打をその身で受け、それでも血走った眼光はどこまでも強烈。
爆発的に練り上げた魔力を注いで、ルギスはここで
「!」
「このおれに」
憤怒と憎悪と、負の感情のなにもかもを混ぜて煮詰めて腐敗させたような。
「勝つつもりだと! ふざけるのも大概にしろぉ!!
見くびりやがって塵屑の分際で!!
おれを誰だと思っていやがる!?
おれは天だ、おれは無敵だ、おれは不死身だ――!!!」
悪臭の漂うほどに低劣で不様で身勝手で、しかし突き詰めればどこまでも独尊である、天の叫び。
「誰憚ることなどなくすべてを踏み潰す権利がある!
塵など知らん、屑も芥も総じておれの足の下で蠢いていればいい!
おれに盾突くな、おれに逆らうな、おれに歯向かうな!!
至極当然の道理をなぜ理解できん、愚昧に過ぎて眩暈がするわ!! 死ね、死ね、死ね死ね死ねぇ!!
――お前なぞ、とっとと死んでしまえ!!!」
怒号ととも魔術は完成する。
毒々しい破滅を臭わせる翠の魔法陣、それは――
必勝の策があるのか――その問いに対する返答が、是であり否であったのは。
「――『
当然に、翠天のルギスもまた同じ奥の手をもっているがため。
□
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