78 瑠天の


 ドアの開放にともなって響く軋んだ音色は、もう長らくこの蝶番が働いていなかったことを理解させる。

 けれど踏み入るその家に、埃のひとつも見受けられない。

 建物自体は年季が入っているようだが、その中身はまるで時の経過を感じさせない。生活感が残り、誰かの気配を感じさせる。

 玄関を通り、左右に扉のある廊下を渡り、階段を上り。


「……あれ?」


 そこでふと、クロは首をかしげる。


「この間取りって」

「ええ、私たちの屋敷と同じ間取りですよ。むしろ、こちらを私が参考にしたのですが」

「やっぱり」


 いつも帰ってくるときと、同じなのだ。

 玄関の広さ、廊下の長さ、階段の段差。細かいところもすぐに思い出せるのはクロの優秀さで、思い入れの深さ。


 ならばと予測がたつ。


「上の階には先生の部屋があったの?」

「はい。私と、師と、それから翠天にそれぞれ個室がありました。それから残りは空き部屋です」


 何十年とともに過ごした屋敷を、エインワイスはアカの旅立ちと同時にこの空間の狭間の深部に落とし隠した。

 アカはそれを寂しく思い、弟子らと住まう屋敷の間取りにそのまま再現したのだ。


「……瑠天のエインワイス、世界で一番すごい魔術師――魔法使い」


 そしてなによりも畏怖すべきは、アカの師匠であるということ。

 一体どんなひとなのだろう。

 怖いひとなのだろうか、優しいひとなのだろうか。

 アカとルギスの師であるという時点で人格の予想は難しい。そのふたりがまるで違った方向性であり、師からの影響が見えるようで見えないからだ。


 あぁいや、そういえば「天空物語」ではどういう描写であったか。


「つきましたよ」


 思い出そうとしている内に目的の場所、そのドア前にまで到着していた。

 アカは特に断りもなしに開いて、その部屋に踏み入る。クロも慌ててついていく。


 そこには。


「なんだ、急な来訪じゃないか。どういう風の吹き回しだ――馬鹿弟子?」

「ええ、お久しぶりです、師エインワイス」


 真っ裸の女性が、ベッドの上で胡坐をかいてこちらを睨みつけていた。

 黒い髪は濡れているように艶やかで長い、それに反して全身は白く透き通って美しい。まるで絵画のなかの女神のよう。

 顔立ちも整っているのに、だが強烈苛烈に過ぎる瑠璃色の眼光だけが魔獣染みて恐ろしい。

 粗野な口ぶり、荒々しい態度、威圧する表情。

 美女であるのに異論はないが、媚びや愛嬌の要素が一切合切欠落した錬鉄のごとき女であった。


 エインワイスは突然現れた弟子にもなんら驚くこともなく、当たり前に受け入れて笑っている。まるでずっと前からこの日このタイミングで登場することを知っていたかのよう。


「えぇと」


 思い出した、御伽噺に曰く――瑠天は気まぐれな風のような魔法使い。


 硬直するクロを見遣って、アカはため息を。


「師よ、とりあえず服を着てもらえますか、私の弟子が困っています」

「なんだお前、弟子とったのか」

「我が師」

「ち、うるせーな。布切れの一枚二枚でごたごた抜かすな」

「常識をもってください」

「天に人の常識説いてんなよ」


 威風堂々と、その女性は全裸でのたまった。

 彼女が、瑠天のエインワイス……でいいのだろうか。クロは困惑してしまう。


 気にしちゃいない。エインワイスは顎に手をあてずいとクロに照準を定める。


「で、それがお前の弟子か」

「本当にこのまま話を続ける気ですか」

「だからうるせーよ。話進めろ」


 言いながら、渋々とエインワイスは傍にかけてあったローブをひっつかんで身を包む。

 ……裸体にローブってむしろ変態的な度合いが増している気がするが、見た目の上では肌色が大分減ったのでツッコまない。

 これ以上、文句を述べると不貞寝されかねない。


「それで、弟子か。天位か?」

「まさか」

「だが可能性は見えるな。ほぉ、お前にしては随分と目が利いてる。ちなみにアカ、お前がここ出てからどれだけ経った?」

「四百年近く」

「んだよ、四百年でそんな逸材見つけ出したのか、私なんかな――」

「彼女を見つけたのはルギスです」

「ん? お……なるほど呪われてるな」


 理解が早く納得が早い。トントン拍子に話は進む。

 得心顔でエインワイスはいう。


「ははぁ、つまりこの娘の解呪ができるか試しに来たわけだ」

「流石に、説明がいらず助かります」

「ふん、まあいい」


 エインワイスは自ら立ち上がることは決してせず、手を伸ばしてちょいちょいと来いと命ずる。

 すこしおびえながらも、クロは素直にベッドに近づき、エインワイスに寄る。

 とんと額を指で叩かれ――あぁこれ、先生にもされたなとふと思い出した。

 そして指先から花咲くように魔法陣が展開される。


「ん……なんだこれ」

「どうしました」

「なんか、歪んで……おいアカ、お前なんかしたか」

「私はなにもしていません。ただ抑え込んだだけで、そちらの術式には触れていません」

「ふーん? じゃ、こいつか?」


 その果てのない深みをもった藍色の瞳に見つめられ、クロはすこし震えた。

 それでもなんとか虚勢を張って。


「なっ、なによ。わたしだってなにも――」

「無意識か。すごい才覚だなお前、名前聞かせろよ」

「え」

「名前だよ、アカからもらってないのか?」

「クロよ」


 聞き捨てならないことを言われた気がしたが、それでも名を問われては答えざるを得ない。

 誇るべき、大事な、アカからもらった名前なのだから。


「クロって、お前もセンスないなー」

「師に言われたくはありません」

「そうかよ。で、クロ」

「うん」


 なにか不吉な予感を覚えながらも、クロは目を逸らさなかった。

 そしてエインワイスは特段に熱もなく言う。


「本来ならこの呪い、お前を十歳程度のころで殺してたぞ」

「え……」

「まさか。私が見た限りでは――」


 見立て違いにアカは納得いかず、口を挟もうとするも手で制される。黙ってろと。


「それが歪みだ。確かに現状、掬ってみれば十五程度の年月になってるが、これ延長されてんな」

「延長ですか? そんなバカな」

「馬鹿も糞もない、事実だ。クロの魔才と気力が、ルギスの呪詛を書き換えたようだ」


 アカでさえ発見できなかった事実をさも当然のように語るのは、流石は世界で最も優れた魔法使い。

 興味深そうに観察して、けれどすぐに肩の力を抜く。


「けどまあ、それが限度だな」


 ちらとアカを、アカが常に展開している呪詛を抑える術式を見遣って。


「馬鹿弟子が表面上は取り繕ってるようだが、寿命は変わってない。二年ともたずに死ぬぞ」

「わかっています。だからここを訪れたのです――我が師、解呪は可能ですか」

「無理だな」


 あっさりと匙を投げる。


「スイのやつもだいぶ上達してるし、なにより歪みが逆に面倒くさい。延命にはなってるが、解呪の阻害にもなってやがる。下手をすればむしろ悪化するし、なんなら正規の方法での解呪ももう無理だろこれ。たぶん、スイでも無理だ」

「な……っ」


 アカは絶句する。

 おそらくエインワイスにも解けないことはわかっていた。最初からの想定と変わらない。この問いかけは一縷の可能性を試したに過ぎない。

 けれどまさかそのようなアカでさえ見抜けない狂いが発生していたなどとは思いもよらなかった。

 これでは本当に解呪法がひとつに絞られてしまったではないか。


 一方むしろクロは冷静に淡々と。


「でもルギスを殺せば、それで解けるんでしょ」

「ああ、それは間違いない。そっちの方法でなら歪みも関係なしに根本から消える」


 固く結んだ糸をほどくのに、手順を覚えているのが解呪の術式。

 そして術者の死による解呪はハサミで直接糸をぶった切るようなもの。

 手順が別の要因で狂ってしまった以上、もう力業で叩き切る他にない。


 エインワイスはどこか面白がって。


「つまり、もうお前が生き残る術はスイのやつを殺すしかない。世界で二番目に優れた魔術師を、殺すしかな」

「最初の想定通りよ。べつに驚きもしないわ」

「はは。なんだよアカ、お前よりも随分と天に馴染みそうな娘じゃないか」


 妙にうれしそうに言う。

 それはアカに対する当てつけでもあったが、純粋に喜ばしいのかもしれない。

 エインワイスは、天が増えることを歓迎している。

 逆に彼は――


「それで今回ほとんど役に立っていない我が師」

「なんだと馬鹿弟子、喧嘩売ってんなら買うぞ」

「もうひとつご協力願えませんか」

「そっちが本題だろうが」

「ええ」


 やはり見抜かれている。

 すべてお見通し。彼女の手のひらから抜け出せた覚えがない。

 けれどそれが窮屈とも感じない自分に苦笑して、アカはいう。


「翠天のルギス、彼を見つけ出してほしいのです」


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