プロローグ・赤2


 師と別れ、ひとりになって、アカは風の吹くまま世界を歩みだした。

 大陸中あちらこちらを見て回り、見渡して、多くの人々と触れ合った。

 西へ東へ。南海の小島や北の果てまで。

 あらゆるところに人は住まっていて、コミュニティを形成し、笑い合っていた。

 時に遠くで眺め、時に近くで親しんで、アカは多様な人を知った。

 それは同時に多くの別れの繰り返しでもあって、長寿であることを厭うたこともあったように思う。


 けれど生きた。

 生きて人と関わり続けた。


 些細な失望、どこにでもある悲劇、ひっそりと隠れた暖かみ。

 離れていては知れなかったこと、味わえなかった経験。沢山あって、まだまだきっと無際限にあって、どれだけ生きても終わりなど見えない。


 だから、アカは兄弟子のように人に憎悪など抱かなかった。

 師のように、地に無関心にもならなかった。

 

 あぁ――こんなにも色とりどりに、世界は輝いている。

 


    ◇



 師のもとで修行した時間と同じくらいは旅を続けて、ようやくアカは一所に留まることにした。

 弟子を、ひとり見つけたのだ。

 弟子の名をダイといい、親を亡くした才気ある少年だった。

 彼を育てるため、片田舎に小さな家を建て、ひっそりと隠れるように暮らした。


 だがダイを、はじめての弟子を、アカはたった数か月しか師事していない。

 一年にも満たない関係性で、アカの歩んできた歴史に等しい人生においてほんのわずかな交錯に過ぎない。


 なぜなら彼は、アカの最初の弟子は――


「わからぬ奴だとは思っていたが……」

「きさま……ルギス!」


 弟子を置いて少々遠出をした日。

 隠れ家に夕刻ごろに帰宅した。

 いつもならばドアを開いた時点で弟子の彼がどたどたと足音を立てて駆け寄ってくるはずなのに、その日はシンと静まり返っていた。


 嫌な予感とともに廊下を進みリビングにまで辿り着けば、そこには不倶戴天の兄弟子が待ち受けている。 


「ここまで愚かだとは思いもしなかったぞ、愚弟」


 一欠けらの色もない真っ黒のローブを纏い、長髪は灰色。

 怒りに満ちた感情はその顔面を常に猛らせ、どこまでも不吉を孕んだ翠の双眸はギョロリと周囲を睨み血走っている。


 その男の名をルギス――翠天のルギスという。 


 アカの兄弟子にして、三天導師の次席に座す魔術師であった。


 その兄弟子がなぜ自分の隠れ家に現れたのか。急な訪問になんの理由が――すべてどうでもよかった。

 今アカの目に映るのは、そんな些事でもルギス本人ですらない。

 ルギスの立つその足元に転がる、ひとりの少年だけがアカの感情を暴走させる。


「なぜ、なぜ殺した!?」

「なぜ? それすらわからんとは、どれだけ愚かなのだ、お前は」

「――私の弟子を、なぜ殺した! 翠天のルギス!!」


 駆け寄って抱き上げるその身に既に命の輝きはなく、ただどこまでも空虚な死体があるだけで。


 たとえ赫き天であろうとも、死した命は戻せない。


 血だまりのなか、ルギスはむしろ不愉快そうに。


「逆に問いたい、なぜ増やそうなどと気の違ったことを思い立ったのか」

「なに……!」

「天にあるは至高の座。不要に上がる輩などありえてはならない。三人ですら多いのに……増やすだと? 愚劣甚だしい!」

「なにが至高か! 歩めば届く人の頂きにすぎないだろう!」

「違うな、我らはもはや人ではない。天そのものだ。小さく遠い芥どもとはなにもかもが違うのだ」

「なにをいう、私は人間だ。貴様は人間だ! この子も、人間だ! どこの誰とも違いやしない!」


「地に足つけて。

 花に笑って。

 鳥を追いかけ。

 風と遊んで。

 月に手を伸ばし。

 天を見上げる――ただのひと」


 アカの思う天。

 アカの思想する天位。

 地に足ついた人の先こそがそうであると。


 だが、ルギスは枯れた花を握りつぶすがごとくに無関心に。


「ああそうか、そこにお前の思い違いがあったのだな」


「我らはもはやひとではない。

 地を見下ろし。

 花を踏みつけ。

 鳥を落とし。

 風がひれ伏し。

 月を握って。

 天に座す! ――天下全てを差配する者!」


 真っ向から違う思想は、互いの理解を断つ。

 相容れることは決してなく、反発だけが彼らの結論。

 出会った時より必ずどこかで起こったであろう決裂が、最悪の形でこうして現出したに過ぎない。


「愚かな愚かなアーヴァンウィンクル、お前がどうしてこんな血迷った真似をしたのか、私にはわからん。どうしてだ、どうしてお前はそんなに愚かなのだ?」

「貴様に理解できるとは思えない。人が人へ継ぎ、想念が広がっていくことの尊さが、貴様にわかるか」

「わからんな。そんな脆い物の考え方は」


 切り捨て、吐き捨て、ルギスは嘲笑う。


「脆弱で、愚劣で、そしてすぐに死んでしまう地上の芥どもがどれだけ継承を繰り返そうと、天に至れるわけがない。

 ゴミどもの狭い世界で一等賞をとったから、なんだという。

 ゴミどもが一斉に集まったから、なんだという。

 そんなもの、我々には手で払って退けることのできる埃となんら変わらない。

 どれだけ群れて増えて継ごうとも――遠き天には及ぶべくもなし」


 それは真実だった。

 なんなら三天導師、誰であっても今の人の世を終わらせることができる。

 ただひとりでもって全人類を滅ぼすことが、可能なのだ。


 天にある彼らにとって、人など如何様にもできる取るに足らない存在でしかない。


「あぁ……そうか」


 故に、失念していたことを思う。

 ルギスはその事実に遅まきながら気が付いた。


「そういうことか、アーヴァンウィンクル――お前、ひとりであるのが恐ろしいのだな?」

「っ」

「そうか。孤独が寂しいか、孤絶が苦しいか、孤高が耐えがたいか――惰弱者めが!」


 赫天のアーヴァンウィンクルは、なにも言い返せない。

 それは、ルギスの発言が事実であると認めているようなもの。


 ――そう、寂しいという凡庸な感情こそがアーヴァンウィンクルという導師にとって最大の欠陥。

 天にありながら地を求める、そんな矛盾した心こそが彼を最弱の導師として貶めている。


「通りでその愚劣さなのだな。天にあって地に縛られた半端者め。

 その地に縋るような価値観のうちは、お前は本当の天には至れん。この私には決して及ばない!」


 もはや用はないとばかり、ルギスはアーヴァンウィンクルも死体も置いて背を向ける。

 だが最後に、首だけで振り返り憎々し気にふたりを見遣る。


「いいかアーヴァンウィンクル、不様なる我が愚弟よ。お前に弟子などできようものなら、その度に我が手で殺してやる――その呆けた魂にゆめ忘れぬよう刻み込め!」


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