76 決断の痛みは誰が負う


「最っ低」


 開口一番、クロは忌々し気に低い声を吐く。

 もう本当なんど奴の話を聞いてもその評価は上方修正されない。むしろ聞くたびに下落していって、底値をついたと思ってもまだ突き抜けて下がっていく。


 他の弟子らも言葉にしないだけで強い不快感を滲ませ、表情を曇らせる。

 唯一、無表情のままシロがいう。


「シロを弟子にするとき、ちょいと渋ったのはこれが原因じゃね?」

「ええ。もう百年は昔の話ですが、どうしても踏ん切りがつかずにあなたと出会うまで弟子をとらずにいました」

「ほーか。でもシロは弟子にしてくれたんじゃね」

「今はそれでよかったと思っていますよ」


 思い返すように、アカは目を細めてシロを。それからアオ、キィ、クロとそれぞれ弟子らの顔を眺めていく。


「あなたたちと出会えてよかった。弟子になってもらえてよかったと、私は思います」


 噛み締めるように、抱き締めるように、アカは万感の思いを籠めてそう言った。

 けれどすぐに悲し気に眉を下げる。


「ですが、あなたがたのことが露見すると、奴は一も二もなくあなたがたの命を狙うでしょう」


 ずっと、後ろめたく思っていたこと。

 アカの弟子というだけで天に命を狙われる立場になってしまうという危険性。それを黙っていたのは本当に申し訳ないと感じている。

 それを言ってしまえば離れて行くのではないかと恐れていた。

 弟子らが師を慕うように、アカだって彼女らをなにより大切に思い、離れ離れを厭っている。

 離れたくないし死んで欲しくない。成長を見届けたいし旅立つ背中を見送りたい。

 身勝手に矛盾した思いがアカを縛り付け、身動きならずに沈黙を続けてしまった。

 選択肢を、奪ってしまった。


「……それがなによ」


 今にも謝罪せんとするアカに、決して謝らせなどしないと素早く言い含める。

 むしろ不機嫌に、クロはいう。


「もしかして、だから離れたほうがいいとか言い出すわけじゃないわよね」

「……そう思って悩んでいた時期もありましたし、今回一時的にそうしたほうがよいとも思ってます」

「いやよ!」

「……」


 即答、断言。

 それはここまで会話していれば予想できたこと。まさか自分の話の前に告白を受けるとが欠片も思っていなかったアカである。

 念のため他の三人にも視線を送るが、誰もまるで肯定的な色は見えない。


 けれどこれにも理由がある。


「近々、私は彼と決着をつけます」


「え」

「……っ」

「それって――」

「居場所、わかったんけ?」


 シロは努めて冷静に問う。


「いえ、まだです。ですが、それを探り出せる方に心当たりがありますので」

「……せんせーが無理なことなんに、心当たりがあるん?」

「ええ。私の師です」

「! 瑠天の……!」


 怪訝の顔も一転、驚愕のままに納得せざるをえない。

 アカの師、最初の天、世界で最も優れた魔術師。

 彼女について、アカはほとんど語らない。けれど、時折もれでた情報からでもその逸脱ぶりは想像するに易い。


「彼女と接触するには一年に一度、この季節のある一日だけしか機会がないのです」


 エインワイスは自らの術法を用いてその身を徹底的に隠している。

 常ならばアカもルギスでさえも現在の彼女の隠れ家を見つけ出すことは不可能に近い。

 けれどアカはエインワイス自身からある座標を教えてもらっている。

 条件付きとはいえ、彼女に会いに行くことができる。


 とはいえ本来なら、正直に言ってアカは師になど会いたくはない。

 ルギスほどではないが、瑠天のエインワイスもまたアカは苦手としている。

 だが、クロの呪詛の件もあり、なりふり構わずにでもルギスを見つけねばならない。

 この一年間、彼女の呪いを根治する術は見つかっていないのだから。

 そう、もとよりアカはクロを弟子として引き取った時から決めていた。

 一年で呪詛に対する有効なアプローチが見つからなければエインワイスと、そしてルギスに会いに行こうと。


「クロ、私はあなたの呪いを解くとお約束しましたね」

「それは……」

「この一年、長いようで短くありましたが、その全てを費やしても進行を食い止めるのが精一杯であった力不足は本当に申し訳なく思っています」

「謝らないでよ」

「いえ、謝ります。これは私の不徳の致すところであり、私の未熟です。そして、私の兄弟子の仕出かしであり、彼の罪です」


 目を伏せるアカに、不意とアオが問う。


「だからアカが戦うのか」

「……はい」


 ルギスは言葉でなにを言っても自らを省みることはすまい。

 誰の説得も、どんな理屈も無意味ならば――もはや武力行使以外に道はない。

 

「アカ、勝てるのかよ」

「わかりません」

「!」


 その返答こそが、アオにとってはなによりも驚きで、衝撃的であった。

 アオにとって、アカは常勝の存在だ。

 誰にも負けない、なにより強い。最強で無敵で、天そのものだ。


 そんな彼が勝敗に自信を持てないという。

 いつもの謙遜や不確定要素への不安などではなく、単純明快に実力を比して勝利を確信できない。

 負けを、強く意識している。

 

 愕然としているアオの横で、キィもまたひどく不安そうに。


「でも……そんな、急だよ」

「お伝えするのが遅くなり、申し訳ございません。どうしても踏ん切りがつかなかったのです。私の弱さです」

「来年とかじゃ、ダメなの? だって、万が一にもセンセが……」

「クロの呪いはできうる限り早くに解呪せねば、それこそ万が一がありえますので」


 クロはこの屋敷で唯一、呪われたままの身。

 その呪詛は翠天の残した最悪のそれで、いつその命を奪い去ってもおかしくはない。

 アカがなんとか呪詛の進行を抑えてはいるが、それだって完璧とはいえずふと溢れてしまうかもしれない。

 一年後という不確定に先延ばしして、もしもその間にクロを失うようなことがあれば悔やんでも悔やみきれない。

 年に一度しか開かれない扉――タイミングが限定されている以上、後回しはリスクを背負うだけだ。


「……せんせー、もう決めたことなんじゃね?」


 最後に、シロが真正面から切り込んだ。

 アカはまるで抵抗もなしに受け入れて、頷いた。


「はい」

「じゃ、なにを言っても野暮じゃね。じゃけど」


 そこで、シロはこれまでの気丈な態度が嘘であったかのようにくしゃりと顔中で悲哀を彩る。

 もはやほとんど泣きそうになって。


「死んだら許さんけぇね」


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