73 魔法使いの(元)敵
「それで今度はバルカイナ氏ですか……その、どうかしたのですか?」
なんとも曖昧にしか、アカは問いを発せられなかった。
ハズヴェントに急ぎ会いに行った。
先日ジュエリエッタにひとりで話があると出て行った。
そして今日にはバルカイナ氏に会いたいのだという。
流石にアカも不思議に思い快諾とはいかない。
特にバルカイナ氏は他ふたりと違ってアカにとって敵という印象があるはずなのだが。
それが本意ではないとはいえ、彼はアカと戦ったのだから。
そんな彼のもとへクロがひとりで向かうというのは危機感を覚えそうなもの。
まあ実際のところ、バルカイナ氏は好々爺然とした弟子に慕われる方である。
アカとしては送り出すにそこまでの危険は感じていない。
だが、理由は気になる。
なにかクロに芽生えた強い感情、それを知りたかった。
だが、少女は顔を背けて謝意を口にする。否定である。
「ごめんなさい、先生。いまは先生に話したくないわ」
「……今はということは、いずれはお話してくださるのですか?」
「うん。それは約束する。それに、ええと……いずれとかじゃなくて、明日には」
「明日、ですか」
思ったよりもすぐである。
「今日バルカイナと話して、明日はほかの子たちと話して、そのあと。そのあとに話すわ」
「……わかりました。それまで質問はやめておきましょう。ただし」
アカは少女らの心を尊重し急かず待つことを決める。
同時に、アカもまた腹をくくった。
「明日、私のほうからもひとつお話があります。他の子らも含めて、みんなにです」
「? ええ、もちろん聞くわ」
「ではまた明日その時に」
「うん、また明日ね」
どうしてそんなことをわざわざ事前に言うのだろうか。
アカの声音がすこし硬い気がしたのは気のせいだろうか。
わからないけれど、底冷えするような不安感が這い寄ってきているのは、たぶん気のせいじゃない。
◇
「ごめんください!」
こんこんとノックをする。
庭先に遠跳びのドアだけ用意してもらえば、アカには下がってもらう。下手に一緒にいると連れだってアカが同行してしまう。
そのため、開いたドアに向き合うのはクロひとり。
ドアを開いたのは黒髪に紫のメッシュが入った仏頂面をした壮年の男だった。
「君は……」
「ご機嫌よう。わたしはクロ……アカ先生の弟子よ」
「……」
男――シシドは扉を開く前から
だからさほど驚かず肩を竦める。
「見覚えがあるな。アオの妹弟子、だな」
「そうでもあるわね」
「ミーティからよく聞かされた」
「なによ、あの子知らないところで陰口でも叩いてたの?」
「いや、君は目標なのだそうだ」
「ふぅん?」
びみょうにこそばゆい感覚になって言葉を継げないでいると、ひょっこりとシシドの後ろで首を出す少女がひとり。
「シシド兄ー? 誰だったの――って! お前!」
「あ、嫌味なミーティ」
「小生意気なクロ! あんたなんでここに……!」
「そこは先生のセーフハウスなんだから、こっちから経路を繋げるに決まってるじゃない」
「だから早く引っ越ししようって言ったのに!」
もう! と腹立たしさに地団太踏むのはかつてクロと争った緑魔術師のミーティであった。
彼女らは現在、アカが用意していたセーフハウスのひとつに住まい、表沙汰からは離れて暮らしている。
そして当然、弟子らがいるのならば――
「まあ、嫌味なミーティはいいのよ」
「ちょっと!」
なにぞ言いたげにするミーティだが、シシドがため息とともに手で制する。
言い合っていては話が進まない。
「では、来訪の理由は?」
「バルカイナに会いたいの!」
「……」
かの
いや、敵対している場合ならアオも呼び捨てしそうではあるか。
なんともまあ、どこまでも規格外の姉妹だ。
「わかった。師にうかがってみよう、君はそこですこし待て」
「ありがとう」
「いや。……時に、アオは元気か?」
「もちろんよ、また一段と強くなったんだから!」
誇らしげに笑うその様に、シシドはなんとも言えずに苦笑を漏らした。
◇
「ふむ、ふむ。して用向きはなにかの、娘」
じろりとねめつける眼光は力強い。
それは座した老人でしかないというのに、まるで衰えを感じさせない異様なまでの力を全身から発散している。
塊坤のバルカイナ――老いてなお現代魔術師の最高位に君臨する魔術師は伊達ではない。
玄関口で手持無沙汰に待っていれば、思いのほかすぐにシシドからお呼びがかかった。
対談の許可がでたらしい。
文句言いたげなミーティを無視して案内に従って進みある奥部屋に入室した。
そして対面。
さすがにクロも気圧されてしまう。
なんとか内心を悟られぬようにとクロは胸を張る。
「はじめまして、塊坤のバルカイナ。わたしはクロよ、先生の弟子」
「そうか」
ともあれまずは挨拶だろう。
急いて問答をはじめたバルカイナのほうがわずかばかり不躾であったか。
「確かに初対面、挨拶は道理だの。
わしは塊坤のバルカイナという。お前の師には世話になった」
皮肉めいた発言は、けれど事実そのもので。
クロもまた反応もなく頷くだけで流す。
要件を切り出す。
わずかの焦りの感情は、繕っても滲み出る怯懦か。
「今日の訪問はわたしが個人的に聞きたいことがあって来たの」
「……ほう? かの御仁の言伝があるわけではなく?」
「ええ。完全にわたしの事情よ。先生は無関係」
「それは……はて、どうしたわけか。あまり理解ができんな」
想定外の返答にバルカイナはいささか困ったように目じりを下げる。
まさかかの御仁と無関係の来訪とは思いもよらなかった。
先に挨拶したように、バルカイナとクロは初対面。そんな相手に、少女はなにが聞きたいという。
クロはいう。
「わたしが聞きたいのは、先生――赫天のアーヴァンウィンクルについて、あなたの知っていることを教えてほしいの」
「……わけがわからんの」
問いを向けられても、いや、内容を聞いて余計にわけがわからない。
バルカイナは不可解と不愉快の間あたりの語調で吐き捨てる。
「お前はお前の師について他者に教えを乞うのか?」
「そうよ。わたしの知らない先生をわたしは知りたいの。あなたの主観でいいから、教えてよ」
「……なぜわしなのだ」
「あなたが先生の敵だったからよ」
「もう敵対する意思はない」
「わかってるわよ」
そうでなければクロひとりでやってきたりしないし、そもそも送ってももらえなかったはずだ。
真っすぐなその瞳はどこまでも揺るぎなく、漆黒に染まって他には塗られない。
この塊坤のバルカイナに一切の怯みなく目を合わせ言葉を交わす――この少女はかの御仁の弟子であると、ようやく合点がいった。
「わたしの周りにいる先生を知っているひとたちは、みんな先生の味方なのよ。どこまでいっても徹頭徹尾、味方なの」
「それ以外の視点が欲しいというわけか」
「さすがに話が早いわね!」
嬉しそうに笑うのは、クロだけでなくバルカイナもであった。
口端でひっそり笑むのは少女の気性が弟子のミーティを奮起させるに値すると理解したがため。
この少女は、確かに対抗したくなる。
それとは別に冷静に思考は回る。問いに対する答えを用立てる。
「慈悲深い方だとは思う。だがそれゆえに厳しい一面もあり、他者を圧倒するのに慣れている。そのぶん、加減もまた手慣れているのだろうな」
蟻を摘まむように容易く敵を屠り、同じくらい繊細な力加減で潰しはしない。
人を殺すことなく無力化するのは難儀である。それは持っている力が大きければ大きいほどに。
ならば誰より大きな力をもつアカが加減に慣れるというのは、それだけ場数を踏んでいることを意味するのではないか。
クロはなんだか不思議そうに。
「えっと。先生は戦いに慣れているってこと?」
「そのように、わしは想定した」
「意外ね」
クロの視点ではあまりピンとこない意見であった。
なにせ彼女は彼が戦っている姿を――彼が真剣に戦っている姿を見たことがない。
むしろ対面して衝突したバルカイナは肩を竦める。
「そうかの? たとえかのお方といえど生まれた時より今の強さをもっているわけでもない。必ず格上がいた時期はあろう」
「それは経験から来る言葉と受け取っていいのかしら」
「好きにせよ」
三天導師という例外を除けば、塊坤のバルカイナは現代における最年長の魔術師に近い存在であろう。
言葉には経験が滲み、その裏打ちされた含蓄は若輩のクロなどでは推し量ることができているか不安になるほど。
ともあれ新たな視点という意味では興味深い内容ではあった。
アカにもクロのような若輩の時期があり、アオやキィのように研鑽に励んだりして、そうして今の卓越に至っている。
天に座して自らを見守ってくれる浮世離れした現在の彼にだって、地に足のついた過去はある。あったのだ。
「……」
すこし思案に沈んでいると、それを沈黙ととってバルカイナのほうが舌を回す。
話し始めてみれば幾分か吐き出してしまいたい感情があって、それを自覚してしまえばこの機に乗じるのも悪くはないと思った。
彼――赫天のアーヴァンウィンクルに対する印象を徒然に語る。
「それ以外には、そうさな。
大事なものを明確にしており、それ以外との線引きが天地ほどに隔たっているように感じたの」
もしもあの時、あの戦場で。
彼の弟子をひとりでも深く重く傷つけていたのなら、きっとこれほど穏やかな結末を迎えることはできなかったのではないか。
弟子を傷つけられて怒りを覚えるのは、同じ師として共感できること。
「そのわりに、兄弟弟子のことは苦手としているようだったか。
まあ御伽噺の通りであれば翠の御方はどうにも難しいお人柄のようで仕方ないのかもしれんが」
バルカイナとしても翠天のルギスには随分と弄ばれた人間だ。彼の実在とその悪性は身をもって理解しているつもりだ。
アカには彼と遭遇した記憶があるかと問われたが、それがどこにも見当たらない。
では知らぬ間に遠くから呪いを受けたのであろうと言われたが、それに気取ることさえできなかった。
御伽噺にある通り、翠天にふと目をつけられたことに理由などなく、呪詛を放つに理屈などない。
ただそれだけの気まぐれであらゆるものを失う。実際やられたほうからしたらたまったものではない
元敵であることを見込まれ白羽の矢が立てられた身としては申し訳ないが、引き留めてくれたアカには感謝しかないのが本音である。
――と、そこでバルカイナはいつまでも黙りこくる少女に疑惑を抱く。
「ふむ? おい聞いておるか」
「……え。あっ」
今、目が覚めたとでも言いたげなその反応はこちらの言葉など耳に入っていなかった証明であろう。
思考に没頭していたようである。
バルカイナは呆れまじりに苦笑する。
「このわしを前にそのマイペースは、ある種感心するものがあるの」
「いえ、その……ごめんなさい」
とにかくまずは謝って。
「この気づきを得るために、わたしはみんなの意見を聞きたかったんだって思うの」
「求める解は既に手中にありと」
「だからごめんなさい、そこで考えるのに集中しちゃってたわ」
「まぁ、構わんがな」
役に立てたのならば、いいだろう。
彼に感謝しているということは、彼の弟子にも感謝していることになる。
クロがこうして頼って来たくれたことは、わずかなりとも心を軽くするのに一役買ってくれていて。
深い罪悪感は決してなくなりはしない。やってしまった罪業には向き合わねばならない。
バルカイナは罪人である。
だがだからこそ誰かのためになることは純粋にうれしいのだ。
なんとも。
この歳になって随分と幼い感情を抱くものだなと自嘲しながら、バルカイナは息を吐く。
「用が済んだのなら帰るといい。きっと、お前の師が心配している」
「そうね、そうするわ! ありがとう、バルカイナおじいさん!」
「!」
虚を突かれたその呼び名に、バルカイナはまたくつくつと笑うのだった。
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