72 魔法使いのファン
「先生、わたしジュエリエッタのところに行きたいわ、ドアを開けて!」
「えっ。……はっ、はぁ」
突然の申し出に、アカは随分おどろいて生返事を返してしまう。
冬も過ぎ去り、長期休暇も終わった。
アオとキィは学園へと出払って、当然シロは部屋で寝ている。屋敷に声を発するのはアカとクロ以外にはいない状況。
どうせ暇なのはアカも同じで、特段覚えずにいう。
「でしたら、私も一緒に行きましょうか」
「ん。それはやめて。女同士の内緒話だから!」
なんとも力強く大きな声で内緒話を宣するものである。
苦笑しながらもともあれ、そのように釘を刺されては無理に同行するわけにもいかない。
ジュエリエッタの屋敷ならば危険もあるまいとアカは懐からあるものをとりだし、クロへと差し出す。
「わかりました。ちょうどいいので、これの実験をしてみましょう」
「……なによ、それ」
両手で受け取ってみれば、紐状の金属を輪にしてあって、小さく輝く玉が添えられているアクセサリー。
輪の長さからしてこれは。
「ブレスレット……?」
「はい。あなたの呪詛を抑える術式を刻んだ、ブレスレットです」
「え」
驚いて言葉をなくす。
その驚愕は大きく、なぜならアカと遠く離れてしまえば呪いがぶり返すことを忘れていたことと、それの解決手段が同時に提示されたことによる相乗であったからだ。
アカは硬直するクロの手を取り、その手首にそっとブレスレットをつけてやる。
「これをしておけばだいたい一時間ほどは私がおらずともあなたの呪詛を抑え込むことができます。私に頼らず、外の世界に脱する術と考えてくださればいいでしょう」
「え……と」
なにか、言い知れぬ不安感が背中を触れた気がした。
凍え震え、悪寒が走る。恐ろしい。
アカの言いよう、これではまるで――
「どこにもいかないわよね」
「?」
「先生、どこにもいかないわよね!」
まるで自分がいなくても、クロひとりでなんとかできるようにと準備しているようではないか。
潤んだ瞳で見上げれば、アカは苦笑した。
「あぁすみません、そのような意図はありませんでしたが……不安にさせてしまいましたね」
「ほんと?」
「ええ。約束しますよ、我が身が滅びるその時まで、あなたが望む間だけ傍にありましょう」
「ごめんなさい、急に不安になっちゃって」
「いえいえ、こちらも配慮が足りなかったかもしれません」
この少女が寂しがり屋であると、アカは知っていたはずなのに。
一方でクロとしては過剰反応してしまったいささか気恥ずかしい。
誤魔化すように話を続ける。
「とりあえず、これがあれば」手首を掲げて見遣る「わたしひとりでも外出して大丈夫なのね」
「ええ。私やこの屋敷に付与した術式とほぼ同等の効果を発揮します。ただ先にも言ったように長時間はまだ難しく、一時間ごとに屋敷で二十四時間の休憩が必要ですので」
「わかったわ」
しかし棚から牡丹餅。
これからアカの調査をするに当の彼の同伴は憚られ、単独行動が可能となったのは幸運だ。
……当人がいるなかで彼の印象を訊ねられて、気にせず返答は難しかろう。クロなら無理だ。
「よし、じゃあ行ってくるわ」
「はい。ジュエリエッタさんの屋敷でしたね、ドアを開けましょう」
アカは自らのマスターキーを取り出し、虚空へと刺す。
「帰りはご自分の鍵で大丈夫ですので」
「わかってるわよ」
「くれぐれも時間にはお気をつけください」
「わかってるってば!」
「……申し訳ありません」
可愛い子には旅をさせよとは言うが、心配なのである。
クロは呆れて。
「なにを不安がってるのよ。ドア開けてすぐにジュエリエッタの家じゃない。帰りだっておなじだし」
「それはそうなのですが……」
自分の術式がちゃんと作用するのか心配だ、とは言えないアカである。
無用にクロを不安にさせるし、そもそも天たる自分の術を信用しないでなんの魔術を信じろというのか。
口ごもっていると、クロは肩を落としてまた無駄な心配性と判断。
展開していた遠飛びの扉を開いてしまう。
「じゃ、行ってくるわ」
「はい。いってらっしゃい」
そして。
ドアはばたんと音を立てて閉ざされ――師の感心とも呆れともつかないぼやきは届かない。
「あぁまったく、本当に勘のいい子だな」
◇
「……おや?」
ドアを開ければすぐにほーちゃんが飛んできて、クロとわかれば奥へ案内してくれた。
そして廊下の先の部屋に顔を出せば、ジュエリエッタがこてんと首を傾げる。無表情ながらに疑問が滲んでいる。
「クロ、もしや君ひとりなのかい?」
「そうよ。遊びに来たわ」
魔力の気配から、クロの後ろに彼が控えていないことに気づける。
だからこそ不思議に思って。
「それはまた……大丈夫なのかい。呪いがあるだろうに」
「先生が短時間なら大丈夫にしてくれたわ!」
「だからあの人は本当に無茶をあっさりと……」
頭を抱える。
自分には百年経っても不可能なことをちょちょいのチョイで解決していく様はもはや出来の悪い喜劇のようなもの。
笑えばいいのか困惑すればいいのか、はたまた術師として腹立たしく思うべきか。定まりそうもない。
だがすぐに気を取り直して、ほーちゃんに客人用へのお茶の用意を指示。
あのひとの超越はいつものことだと割り切った。
それからクロにテーブル席を勧め、自らもその正面に座す。そのころには余裕も戻っており、ティーカップを摘まむ姿は落ち着き払った泰然たる魔術師のそれ。
「さて。今日はなんの用かな?」
「聞きたいことがあるの」
物怖じもせずクロは即答。
素早い返しにも鷹揚と、ジュエリエッタは紅茶を一口いただいてから聞き返す。
「ほう? 聞こうか」
「先生について、教えてほしいの」
「……?」
酷く怪訝そうな顔になる。
言っていることは理解できても、言いたいことが掴めていない。
慎重に。
「それはどういう謎かけかな?」
「言葉通りよ」
困った。
素直な少女の言葉は真っすぐに過ぎて年老いて捻じれたジュエリエッタには些か捉えがたい。
指でコメカミを押さえている内にほーちゃんがクロのためのティーセットを運んでくる。
ジュエリエッタが午後のティータイムをとっていた最中であったので、用意はすぐに整ったようであった。
機械的な動作で並べられていくそれを眺めながら、ジュエリエッタはいう。
「それはしかし。なんだね。ワタシの知っていることなどきみの知っていることと大差ないと思うがね」
「やっぱり?」
「あぁ。彼は謎多き男だからね」
冗談めかして
「というか、当人に直接聞いたほうが早いと思うが」
「それはわかってるわよ」
カップに琥珀色の液体が注がれていく。
クロはそれに砂糖をつぎながら。
「でもなんにもせずにただわからないからって先生に聞くだけじゃ、頼り切りみたいでイヤだもの」
「なるほど、弟子としては正しいスタンスだね」
むぅとジュエリエッタは悩んでしまう。
クロはそんな姿にこそ首を傾げ、そういえばとハズヴェントに言われたことを思い出す。
「あんまり考えないでよ。ジュエリエッタ。さんの主観でいいんだから」
「素晴らしい方だと思うよ」
「即答じゃない」
主観でいいと言った途端にこの答え。
まるで平坦に。わずかの熱も感じさせない淡々とした言い草で。
太陽は眩しいとか空は青いとか、普遍の物事を語るような物言いだった。
偽命のジュエリエッタにとって、それは正しく常識的な事項なのである。
クロはカップを握りながらも目線は呆れ返っていて。
「ジュエリエッタ……さんって、やっぱり先生のことをすごく尊敬してるのね」
「それはもちろん。同じ魔術師としては憧れるし尊敬するし、なんなら心酔していると言っていい。切に弟子入りしたいと願っているのだけど、どうしたらいいと思う?」
「魔術師なら、みんなそうなの?」
まくし立てる妙な早口にクロは疑義を呈する。後半部の疑問符についてははまるきり無視しておく。
返答はやはり口早。
「どうかな。ワタシは特にファンであることを自負しているけれど、やっぱり御伽噺の存在と捉えるひとのほうが多いだろうね。そういうひとらが直接、彼と出会うときに感じるものはなんなのか、ワタシにはわからないな」
「ジュエリエッタはファンだから、ファンとしての心持しかわからないってこと?」
「さんをつけなさい」
「ごめんなさい」
二度は気を付けたのに、つい三度目で失敗してしまった。
なんだか、呼び捨てのほうが言いやすいのであった。敬意を払っていないとかそういうわけではなく、呼びやすさだ。
特段そこを疑ってはいない。ジュエリエッタは苦笑する。
「質問の答えは是だ。ワタシはワタシの視点でしか語れないのさ」
「ハズヴェントと同じこと言うのね」
「まあ、ひとには多面性というものがあるからね。それはアーヴァンウィンクルさまでも例外ではないのさ」
人によって態度が変わる。気分によって行動が変わる。思い付きによって意見が変わる。
それが人間の多面性というやつで、自分の見た誰かの姿は一面に過ぎずすべてではない。
どこか共通した根はあれども思いもよらない別の顔をもっていないとも限らない。
「要するに、ふたりとも先生を人として見てるってことよね」
御伽噺の魔法使いではなく。
誰より高きに至る魔術の天ではなく。
ただひとりの人間として見ている。
「それはそうだろう。彼と接すれば疑いなくそう思えるさ」
「……わたし、ハズヴェントに最初のころ、先生は化け物みたいなものだって教わったわ」
「それもまた彼の一面ということだね。そして、多くが見ることになる面でもある」
「わかってるわ。ハズヴェントが事前にそういう考え方もあるって教えてくれたことくらい」
諭すような言い方が癪に障ってクロはいう。
ジュエリエッタはやはり苦笑だ。
「ふむ。たしかにワタシやハズヴェントくん、それに君の周囲の子らでは彼を見る目に色眼鏡がなさすぎるかもしれないね」
実物を知りすぎて偏見が皆無。
それは同時に、一般的な意見からかけ離れたある種、特殊なコミュニティにおけるマイノリティでもある。
赫天のアーヴァンウィンクルという存在を本当の意味で知りたいのなら、近い距離だけでなく遠くから見た彼も知るべきなのかもしれない。
「できればもうすこし遠い――彼をそこまで好ましく思っていないようなひとにも意見を聞けたらいいんじゃないかい」
ジュエリエッタの言葉を受け入れ、すこし難しそうにクロは考え込む。
すこしして、結論のようにぽつりと一言。
「……先生の、敵?」
「いや敵は危ないだろう」
というか、彼に敵などいるのだろうか。
ジュエリエッタは素朴な疑問に首を傾げるのだった。
いっぽうで、クロには思い当たる節がある。
だがさて、かの御仁のもとへハズヴェントやジュエリエッタのように足を運ぶことは可能であるか。
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