71 魔法使いの友
「剣をすこし預けていただけますか」
ハズヴェントがぼうっと煙草をくゆらせていると、不意の訪問があった。アカである。
音もなしにぬらりと真っ白なローブが現れる様はお化けみたいだなぁ、とハズヴェントは思った。
もちろん、そんなことは口に出さず、気の知れたように対応をする。
「ん? 調整か?」
「いえ、精霊――疑似精霊とでもいえばいいのでしょうか、ともかくストルフェさんを斬ったでしょう? それの解析をしたいのです」
「あー。すっかり忘れてたぜ、そういやこいつ、解析の術式がついてたんだっけか」
部屋の端にて雑に放り出されている愛剣を拾い上げながら、ハズヴェントはのたまう。
いや大事な剣をどうしてそうぞんざいに扱うのかと問い詰めたいところではあるが、アカは無言で受け取る。
鞘走らせ、刀身を覗かせ触れる。なにやら魔術的なことをはじめるが、ハズヴェントには理解できない。
暇つぶしのように、アカの手元を見ながら口を回す。
「ていうかなんだ、旦那でも精霊の解析はしたことねぇのか?」
「そうですね、いちおう、外側からスキャンしたことはあるのですが、内部やその欠片までははじめてのことです」
「あー。知り合いのほうがそういうのは頼みづらいのか」
人間でいうところの血液検査や内臓器官の調査にあたるもの、おいそれとは頼めない。
むしろ敵対勢力であるほうがこのように戦闘中のドサクサに採取ができるだけ手っ取り早いまである。
もしかして前回の極北地にハズヴェントを連れて行ったのは、それが目的であったのだろうか。
まあ、ひとつの行動に複数の目的が含まれることなんてザラである。あまりツッコむところでもないかと思い直す。
そうではなく、ハズヴェントには伝えておかねばならないことがあった。
「そういや言っとくことがあったわ」
「どうしました」
「ちょっとここ離れるわ」
「……いいので?」
そんな買い物行ってくるみたいに気軽に言うけれど、彼はこれでも重要な任務に就いた兵士である。
アカの監視――極秘の任務ではあるが、だからこそ持ち場を離れることは許されないはず。
ハズヴェントはあっけらかんと。
「そりゃ王命だしな。てーかあんたのせいだぞ」
「私ですか? ええと、なにかしましたか?」
「極北地。竜全滅」
「あぁ、なるほど」
さすがにそれを文書で報告されてはたまったものではなかろう。
真偽確認、というか問い詰めるために呼び出された。まさかアカを招聘するわけにもいかないのなら、その監視役を一時離脱させる他にないのだ。
その事情を理解して、アカはふと心憂い様子でぼやく。
「あなたが不在となると、すこし不安ですね……」
「なにが――あぁ、そういや、もうあれの時期なんだっけか」
「ええ。一年、待ちました」
アカの言葉は、どこか張りつめて余裕ない。
一方でハズヴェントは別の部分に肩を竦めた。
「クロを引き取ってから、もう一年かぁ。なんか、早ぇなぁ。歳食ったかね」
「まだまだ現役ですよ、あなたは」
すこし気抜けして、アカはそのように言っておく。
じっさい彼の実力に陰りはなく、その若々しさにも曇りはない。
まだまだ未熟みたいな風に笑って、ハズヴェントはごく楽観的に手をひらひらと振る。
「まあ、がんばれ。あとはあんたのがんばり次第だし……奴さん相手じゃおれは足手まといだろうしな」
「気楽に言ってくれますね。命がけなんですが」
「たまには賭けておかねぇと有難みがわからんくなっちまうわ」
「落としたらお仕舞いのものにそのようなスタンスはとれません」
「そうか?」
心底、不思議そうに言うこの男は、命のひとつやふたつ気軽に投げ出して突っ走ってきた経験からの態度であろうか。
そういう意味では彼と違い、アカは臆病で、戦闘行為には向かない精神性を保持している。
臆病者は、だから最も恐れていることを遠ざけたがる。
それがいずれ必ず向き合うことになるとわかっていながら。
「んで? そのことはちゃんと弟子どもには話したんか?」
「……いえ、それがまだでして」
「なんでだよ。いくらでも時間はあっただろ」
「その。この話をするのは、やはり少々後ろめたいので」
「なにが。嫌われるかもってか?」
「端的に言えば、はい」
「しょーもな!」
呆れかえって物も言えないとばかり、ハズヴェントは今日一番の嘆息をでかでかと吐き出した。
それからガンを飛ばして半ば怒ったように言葉を叩きつける。
「その程度であんたが嫌われるわけねぇーだろ! 命賭けてもいいわ!」
「いえ、そんな子供みたいなことを言われましても」
「ほんと旦那はどーでもいいところでビビりやがって、このばか。阿呆、ヘタレめが!」
「へっ、へたれ……」
なぜかとても落ち込む。
落ち込んでいようと容赦なし、ハズヴェントはアカから剣を奪い取る。
「おうこら、どうせもう解析終わってんだろ? 早く帰れ、帰って弟子どもに話して来い!」
「えっ、いえしかし……」
「うるせぇ! いいからさっさと帰って話して来い!」
あんまりな剣幕に、アカはすごすごと逃げ帰ることしかできなかった。
◇
「え、ハズヴェントいなくなるの?」
「はい、お国から呼び出しがあったらしく、しばらく基地を空けると」
「……じゃあ時間ないわね! すぐ行ってくる!」
「今からですか?」
「うん!」
頷くやいなや、クロはそのままの格好で玄関を開けて出て行ってしまった。
待ったをかける隙間もなかった。
……これから、話しておきたいことがあったのだが、どうも噛み合わないようだ。
「また今度に、しますか」
◇
「旦那この野郎、体よく先延ばしにしやがったな!」
「……急になによ」
アカが去ってさほども経たないうちに訪れたクロの姿を見て、ハズヴェントは頭痛のように頭を抱えた。
クロがこの場にこのタイミングで現れたということは、アカはまだ例の話をしていないということだ。物理的にその時間がない。
ハズヴェントは子供相手であるのに随分と不機嫌そうにいう。
「旦那が嫌なことをなにかにつけて後回しにしてやがるって話。ガキかよ、あの云百歳」
「……そうなの?」
「ああ。すぐ話せって言ったのに、クロがここにいるんならそーだろうよ」
「わたしが飛び出して来たんだから、先生は悪くないわよ」
「なんだよ、そんな慌てておれに用か?」
「うん」
素直な首肯に、しょうしょう興味惹かれる。ハズヴェントは黙って話を聞きいる姿勢に入る。
そしてクロはアカのことを知らないのではないか、という疑念と不安について述べる。
――それはもう呆れかえった表情をされた。
「おま、そりゃお前……そんなの誰かに聞くまでもねぇだろ」
「わたしはそうは思わないわ」
「そーかよ」
その瞳は真っすぐで、その眼光は真摯である。
真剣なのだろう、クロなりに。
真面目なのだろう、クロなりに。
それが他者から見たときにどうにも天然ボケというか、ズレている風情に感じるのだとしても。
ハズヴェントは面倒臭い師弟に、大きなため息を吐き出す。
「まぁ、いいけどよ」
たしかに誰かの視点と自分の視点では違う物の見方になるのは正しい。多くの視点を募ってひとつの情報を得るということ自体は間違いではない。
だが、クロはそんなことをせずともこの一年近くで――
いや、だから、それの自覚が必要なのか。
ひとり得心し、ハズヴェントはクロのこの行動を指示したのはおそらくシロだろうなとなんとなくわかった。
とまれ、聞きたいのなら聞かせてやる。
「おれから見れば、旦那はただの心配性の先公だよ」
「……三天導師なのに? 世界で三番目の魔術師なのよ?」
それを、ただの先生と言ってのけるか。
クロはさすがにその発言は軽薄すぎるのではないかと思う。
だがハズヴェントは一切譲らず、むしろ呆れたように。
「そーだよ。
すげぇ魔術を使う。そうだな。
誰より強い力を持ってる。知ってるさ。
メシも睡眠もいらん化け物。笑えるよな。
でも、それだけだろ」
笑って、ハズヴェントはいう。
「弟子の危険にアタフタする。
自分の指導の正しさを疑って懊悩する。
強すぎてダチのひとりもできずに寂しがる。
そういうただの人間だ」
「…………」
反論はできない。
そう綺麗に言葉で並べられると、そうであったようにも思える。
クロは彼のことをずっと見てきた。
だから、見当外れには敏感に反応できる。納得いかない部分があれば強く反論する。
けれどハズヴェントの綴るそれに誤りはないように思えた。クロの中にある否定のために張り巡らせておいた琴線には触れていない。
ただ胸のもやもやは残存し、曰く言い難い感情をくすぶらせてただ表情だけを不満げに彩らせた。
「ぶすっとすんな、なんも間違ってねぇだろが」
「間違ってないけど、正鵠を射てるって感じじゃないわ。すごく……あれよ」ちょっと思案して「そう、そうよ。ハズヴェントの主観が大きすぎる気がするわ」
「おれはおれだぞ、おれの主観を取り払って発言なんざできるか」
「む」
いや、多少なり客観的に物を見ることくらいできるだろう――とは、クロは問い詰めなかった。
主観と客観の線引きなんて、クロにはわかろうはずもないのだから。
さらに、ハズヴェントはいう。
「言っておくが、おれ以外に聞いても大抵が主観的なことしか返ってこないと思うぞ。旦那の感想だなんて特にな」
「じゃあ、この調査はあんまり意味がないってこと?」
「意味はあるだろ。主観的でも意見を複数取り揃えれば見えてくるもんもあらぁ」
ひとつだけの感想ならばそれは個人の意見でも、数を重ねることでデータとして取り扱われる。
クロのやろうとしていることは決して無駄ではない。
「なるほど……ハズヴェントにしてはいいこというわね」
「どーいう意味だ?」
「褒めてるの」
「嘘つけ」
「ごめんなさい」
素直に頭を下げる。
ふたりはなんともなしに笑い合った。
「じゃあ、わかった。わたしはその人にとって先生がどういう人かってのを聞いてくことにするわ」
「ん。いいんじゃねぇの」
「ハズヴェントにとっての先生は、きっと友達ね」
「ま、一言にするとだいたいそんなとこか。世話の焼けるダチだよ」
気安く気軽に、とても近しい。
肩肘ばらずに素の自分をさらけだせるような。
ただの友達だ。
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