70 あなたのことが知りたくて



 ――たしかに、吹っ切れているという言葉に嘘はないようであった。


 かつての悲劇を語るのに、アオやキィは虚勢を張ってはいても辛そうで、泣きそうで、泣いていた。

 けれどシロは淡々と、むしろところどころで笑っていて、楽し気ですらあった。

 アカと、それからハズヴェントとの出会い。シロにとって、それは大切な思い出なのだろう。


「シロは、すごいね」


 自然と微笑してクロは言っていた。


「ん、なんじゃ?」

「だって、わたしはいつか十年後、昔を語るときにそんな笑ってできる気がしないわ」

「まあ、シロは言うたようにまだ小さかったけぇ。だいぶ昔のことなんじゃよ」


 とはいえ、シロの記憶力は抜群で、当時のこともしっかりと思い起こせるのであるが。

 それでも悲哀というより、出会えてよかったという気持ちのほうが強いのだからやはり問題はない。


 なによりも辛い時期より、幸せであった時期のほうがもうずっと長く多く深い。

 アカと共にある十四年間は、それ以前のことなどチャラにできるくらいに幸福だったのだ。

 だから生まれてすぐに直面した不幸でさえ、今のためにあったとするのならば許してやれる。


「それでも、やっぱりすごいわよ」


 言葉の上ではそうであるかもしれない。

 理屈の上ではそうであるかもしれない。

 けれど心とは、そうたやすくはないはずで。


「んぅ」


 シロはなんだか褒めちぎられることに困ってしまう。

 そんなにすごいことをしているわけではない。本当に、そのような純粋な尊敬の目で見られることではない。

 むしろシロは救われた側で、この話におけるほとんど脇役ではないか。

 だから。


「クロ、ほんとうにすごいんはシロじゃなくてせんせーじゃろ?」

「それは、そうだけど」

「せんせーが見つけてくれた。せんせーが救ってくれた。シロもクロも、アオも、キィもみんなじゃ」

「……」


 当然、それに否定はありえない。

 沈黙している妹に、シロは笑う。


「じゃけえシロはその恩返しとして、せんせーの傍にいることに決めたんじゃ」

「……傍にいることが、恩返し?」

「そー。せんせーはあれでさみしがり屋じゃけぇ、誰か寄ってあげんと寂しがるんじゃ」

「そうなの?」


 それは、クロから見たアカにはない印象だった。

 クロにとって、アカはほとんど完璧な存在だ。

 御伽噺の魔法使い、絵本の登場人物、クロにとって命の恩人。


 そう思うと――気づく。

 もしかして、クロは彼のことをすこし美化してしまっているかもしれない。神聖視して偶像化して、認識と本質に齟齬がでているかもしれない。


 ――クロは一体どれだけアカのことを知っているのだろうか。


 すこし、震えた。


 師匠である。

 保護者である。

 大事な人、である。


 そんな彼について、ほとんどなにも知らないだなんて、そんなのあんまりじゃないか。


「どうかしたん、クロ」


 急に落ち込みだす妹弟子に、シロは不思議そうに首を傾げる。

 いや本当、この子はどうにも突然だ。


 クロは寒さに耐えるような声で自らの不明を懸命に伝える


「わたし……先生のこと、なにも知らない……恩返しの方法を思いつかないのも当然よ、よく知りもしない人の望むことなんて、思つけるはずがなかったんだわ!」

「……えぇ」


 あんまりに悲観的な意見に、シロは頭痛を感じる。

 妙なところで妙な思考回路になる子だな。


「クロ、それは思いっきり思い過ごしじゃ」


 言い聞かせるように言い含む。


「クロはせんせーのことよう知っとるはずじゃ。一年間、ずっと一緒におったじゃろ? 行動をともにして、いろんな言葉を交わして、それで知れたことで充分知っとるに値するはずじゃ」

「でも……」

「それで納得できんなら――」


 クロは頑固で意固地だから。

 だから言葉で説得しても納得はすまい。

 そんなことも、もうシロにはよくよくわかっている。

 自ら行動を起こすようにアドバイスするのがこの場合の最善であるとも、わかっているのだ。


「ほうじゃね……聞いてみるとええ」

「聞く?」

「クロがせんせーのこと、よう知っとると思う相手に。それからせんせー自身に、聞いてみりゃええ」


 ――きっと、大半が既にクロも知っていることだろうから。

 との言葉は飲み込んで、シロは言った。

 落ち込んで立ち止まるよりも、ともかく行動をはじめることが彼女には似合っている。


「ちなみにせんせー本人から聞くときにはシロも呼ばってな? 同席して聞きたいわ」

「わっ、わかったわ!」


 そうして、クロによるアカのことを知るための調査がはじまるのだった。


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